2011年2月7日月曜日

ご講評どうもありがとうございましたー長谷川亮一

(以下、長谷川さんのメールより)

長谷川です。ご講評どうもありがとうございました。

「おわりに」(の「戦後における国体論の変容」の節)に裏付けが無い、と
いう点は、手厳しいご批判、かつ今後への期待として受け取らせていただきま
した。若干の釈明的補足ををしておくと、当該個所は、第1章における議論を
踏まえた上で書いたものです。

そもそも、天皇制がいわゆる象徴天皇制という形で、男系世襲君主制として
“存続”しているという事実がある以上、いわゆる国体論が「終戦」とともに
消失したなどといえるわけがない、ということは、ほとんど自明の前提という
べきもの、と私は考えています。さらに、戦後の文部省(文科省)の教育政策
が、象徴天皇制と、それを基軸とするナショナリズムの教化をひとつの基軸と
して展開されてきたことも、教科書検定や日の丸・君が代の押しつけなど、
様々な事例から知られる通りである――ということが、あの話の前提でした。

とはいうものの「“強い”国体論」と「“ゆるやかな”国体論」の対比が必
ずしも明確でない、きちんと論証されていない、という点は確かにその通りで
ある、ということは痛感しております。この点については、たとえば、美濃部
達吉や津田左右吉に代表されるような、リベラリストとして大正期の学界を
リードし、十五年戦争期の「“強い”国体論」の犠牲となり、戦後は象徴天皇
制のイデオローグとなった天皇主義者たちをどうとらえるのか、といった問題
とかかわってくるのではないかと思っています。

最近の私見では、そもそも「国体」/天皇制というものは基本的に融通無碍
なものであり、歴史的に一貫するものを一切持たないにもかかわらず、一貫す
るものを持つかのように装っている、というのがその本質であろう、というよ
うに感じています。おそらく「天皇(制)はなぜ続いたか」という問いを立て
ること自体が誤りである(なぜなら、この問いは「天皇制に何らかの意味で一
貫したものが存在する」ことを前提としているからである)。

長々とわかりづらい話を書いてしまい申し訳ありません。それでは。

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