2011年1月8日土曜日

年初にあたって今年の抱負

みなさん、あけましておめでとうございます。
正月はどのように過ごされたのでしょうか。

今年初めてのメールをお送りします。昨年の末に、メールの読者で全盲の知人に会いました。彼は私のメールの内容をしっかりと理解し驚くべき記憶力で、適切なコメントをしてくれました。メールを読み(音声で聴き)長文の感想文を送ってくれた彼の作業がいかに大変なものであったのかを知り、これからはメールの内容をもっとしっかりとしたものにしなければならないと心を新たにした次第です。どうぞ、みなさん、本年もメールをご愛読くださり、積極的な御批判、御意見をお寄せ下さい。

正月早々に、西川長夫さんからお手紙をいただきました。「「民族差別」とは何か、対話と協働を求める立場からの考察―1999年「花崎・徐論争」の検証を通して」(『季刊 ピープルズ・プラン』52号、http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage29.html)についての感想でした。賛同するところが多いとしながらも、「人間らしく」の概念、民族を相対化するとしながら「民族差別」をとりあげた点、「「地域社会」と国家の関係について」の3点が曖昧でしっかりと書けていないという御指摘でした。まさに私の課題です。

私は、「在日」の生き方(自分の生き方)を人間としてという曖昧な表現ではなく、自分の住む「地域社会」のあり方を「模索」するところに照準を合わせたいと考えるようになりました。『ピープルズ・プラン』52号で徐京植と新左翼の活動家を批判的に記したのも、「地域社会」の具体的な変革への言及が(少)ないことを念頭に置いて、その部分への協働を訴えたかったからです。私は国民国家がどのようになろうとも「地域社会」は残り、「地域社会」は国民国家の規制と影響を受けながらも、全的に束縛されるのでなく、自律的・自立的な歩みをしなければならないという基本的なイメージを持ちます。

国民国家を絶対化しないという確固たる立場に立つと、いろんなことが見えてきます。私は「地域社会」に住む外国籍住民として、積極的に「地域社会」の「変革」に取り組みたいと熱望します。それは「参加」の名で既存社会への「埋没」や、または「多文化共生」の名の下での社会「統合」に与するものではありません。「対話」と「住民参加」を外国人を含めた市民の立場から提唱することで、「地域社会」を「変革」していくのです。

「変革」に関しては、塩原良和さんの『変革する多文化主義へ』という好著があります。オ―ストラリアの多文化主義の歴史と現実・問題点を記しながらそれを日本の状況に当てはめて考えようと意図されています。しかし私見では、その「変革」は日本人と外国人との関係性に留まり、「協働」によってその活動を拡げようとするのですが、日本人・外国人住民が共に住む「地域社会」そのものをどのように「変革」するのかという歴史的・社会的展望に欠けています。この点はさらに議論を深めたいものです。

川崎の場合、100年間の国策によって、人の住むことのないモンスターのような臨海部ができあがりました。しかしそこに朝鮮人集落が残り、公害運動の対象からもはずされ現在に至っています。50年あとの川崎はどのようになるのでしょうか。「地域社会」はどうあるべきなのか、それを経済の観点だけでとりあげるのは間違いです(『川崎の産業2008』『川崎元気企業―ものづくりベンチャーの時代』『続・川崎元気企業―川崎・多摩川イノベーション』参照)。

川崎北部にどんな「元気のある」企業が生まれても、小児喘息の罹患率が17%を超えるような「地域社会」にどんなQOL(Quality of Life)がありうるでしょうか。今後ますます多くなる外国籍住民の政治参加を認めず、また外国籍公務員の差別制度を温存したまま、どうして川崎は国際都市として住みよい街になりうるでしょうか。

東京都と横浜に挟まれた川崎臨海部の大部分を占める装置(素材)産業(鉄鋼、石油)は、急速に大きな転換(統合・縮小)をせざるをえなくなるでしょう。上記3冊の本においては、編集者や阿部市長をはじめ学者は臨海部に関して大変楽観的です。公害を克服した「環境都市」として世界に貢献しその技術開発で中小企業の発展に寄与すると記しています。専修大学の『平成20年川崎白書』においても同様です。PR(主張)をするのはいいのですが、現状分析から現状を肯定的に捉えるのではなく、批判的な視点を入れることは欠かせないはずです(その点、中村剛治郎論文は参考になります「グローバリゼーションと都市戦略―金沢市の金沢世界都市戦略への提言」『地域政治経済学』(有斐閣))。

民主党の羽田空港と京浜地区港(東京、川崎、横浜)のハブ化宣言では経済的な側面だけが取り上げられていますが、これでは不十分です。ハブ化反対論者も臨海部については展望を語らず現状維持という点で同じ発想の枠内にいるように思えます。戦後現在に至るまで、100年先を見越した臨海部はどうあるべきかという議論はなかったのです。市民、企業、行政、有識者による臨海部の将来についての話し合いは早急に持たれる必要があるでしょう。

住民による3年間の座り込みの運動が続いた県立南高校跡地の問題は、まさに住民、行政、地元議員ら関係者による対話によって解決されるという、「地域社会」を「変革」していく試金石になるでしょう。このことは、現状のような市民の意見を聞き置く式でない、真の住民参加を実現させる地方自治のあり方と関係するのです。そのような実践の中で外国人住民の政治参加も実現されていくでしょう。

私たちは「新しい川崎をつくる市民の会」の活動を通して多くの方の御指導、御助言をいただき、3年後の市長選に備えたいと思います。学識者を含めた「協働」によってまさに「地域社会」の「変革」を求めるのです。みなさん、本年もよろしくお願いいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿