2010年12月20日月曜日

「植民地主義」研究会に参加して  朴鐘碩

「植民地主義」研究会に参加して  朴鐘碩

私と私のパ-トナ-は、12月18日、立命館大学大学院西川長夫名誉教授の「植民地主義」研究会に招待されました。パ-トナ-が大学時代下宿していた京都大学に近い場所でした。

参加者は主催者である西川教授、立命館大学の(留)学生はじめ西川祐子教授、横浜国立大学学生、「日本における多文化共生とは何か」編著者である加藤千香子教授、中部大学教授、パートナ-の大学時代の友人など15名程でした。

1975年に製作された「日立就職差別裁判」(日立闘争)、20分のDVDを観たあと、参加者の自己紹介、「植民地主義」研究会の趣旨説明がありました。
私は、1974年の勝利判決後、日立製作所に入社し、40年近い職場での体験、見えたこと、残り1年となった来年11月に定年退職を迎えるにあたっての心境など「続日立闘争」と「植民地主義」をテ-マに話しました。

加藤教授から「「1968」と「日立闘争」、そしてその後」についてコメントをいただきました。日立闘争(1970~74)「1970年代日本の『民族差別』をめぐる運動」『人民の歴史学』(2010.9) http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage18.html参照。
私の「続日立闘争」の意味は、「協調」「共生」を揚げながら「自由にものが言えない」「労働者のものを言わせない」日立の職場環境を問うことになった。

その後、西川長夫教授から私を支えた「パ-トナ-の話を聞きたい」との要請があり、参加者は私の話しよりもパ-トナの話に強い関心があったようです。彼女は、私との出会い、3人の息子たちのこと、日常生活のことを話しました。

学生たちの関心は、卒業後の直面する就職問題でした。企業社会(日立)の様子、組合の実態を聞いてやはり驚いたようです。真剣な眼差しで聞いてくれました。パ-トナ-の友人は、何度も頷いていました。中部大学教授は、授業で「日立闘争」を扱い、「(碧南)高校の先輩が日立という大企業を相手に闘ったことはすごい、誇りの思う、と発言した学生がいた」ことを教えてくれました。

大学院生から「民族差別」から「労働者の問題」に意識が変わった経過について、具体的に話して欲しい」、西川長夫教授から「仕事の内容」「職場で一人なのか、同僚との関係は?」などの質問がありました。

私は、組合との関係、職場での具体的なエピソ-ドを正直にありのまま話しました。参加者の皆さんの驚きを見て、閉鎖的な企業社会の実態は、公に知らされていない、と私は思いました。
西川祐子教授は、自らの体験から「裁判で闘っているときより、職場に入ってからの方が実際もっとしんどい」と話されていました。40年近い体験は、全くその通りでした。

4時間近い研究会は、あっという間で短く感じました。終了後、西川祐子教授の手料理による、1年前倒しの「退職記念」パ-ティとなり、参加者の皆さんから祝っていただきました。

西川教授ご夫妻の家族的な暖かい雰囲気に包まれ、パ-トナ-も私も「研究会に参加できてよかった」と帰宅する新幹線の中で余韻に浸っていました。西川教授ご夫妻はじめ参加された皆さんに心より感謝申し上げます。

なお、私の「続日立闘争」と「植民地主義」の内容は、後日整理でき次第公開します。

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