2010年10月5日火曜日

<「(多文化)共生」を超える新たな協働の模索>加藤千香子さんの論文の紹介

4月26日に加藤千香子さんが東京歴史科学研究会で発表した「1970年代の「民族差別」をめぐる運動―「日立闘争」を中心に」を、当日の会場での議論を踏まえて改めて論文にしたものです(『人民の歴史学』第185号)。

「1970年代前半は、日本社会で「在日朝鮮人問題」が浮上した時代で、「日立闘争」はその象徴となる運動であった」という理解のもとで加藤さんは、日立闘争における日本人と「在日」との「共同」・協働のあり方に焦点をあて検証し、「在日朝鮮人の民族的自覚と日本人の自己変革」という定着した評価を、「現在を新自由主義の時代ととらえてその困難に向き合おうとするならば、これらの前提や結論自体を問い直すことが不可欠」ではないかと問います。論文は、日立闘争における日本人のそれぞれの「主体」のあり方、両者の関係性と「共同」について、最後に闘争後の地域活動の行き方を検証します。

加藤論文の特徴は、これまでの研究者(及び活動家や一般的な評価)が日立闘争当事者の朴鐘碩のアイデンティティ変容や、日本人の「自己変革」、及び川崎における「現在をマイノリティの権利や「共生」の達成点」ととらえるこれまで固定的な評価を<脱構築>した点にあると思われます。

日立闘争での日本人と「在日」の「共同」性が評価されてきましたが、加藤さんは、地域活動に活動の場を求め「社会とのかかわりを積極的に求める」「在日」と、「「抑圧者」(加害者―崔)としての自覚と意識変革を課しながら内向化し疲弊する」日本人の対比を明らかにします。そして何よりも、「在日」が「民族運動としての地域活動」とした活動自体が、保育園の「お母さんたちの問題提起」によって問われるという、これまで誰も取り上げなかった「事件」に焦点をあてたことが注目されます。

70年代の「共同」が「在日」に「連帯と差別解消を要求する権利意識の高揚をもたら」す一方日本人の内向化や逃避を生んだが、「90年代以降の「共生」は、マジョリティである日本人側が「行政施策を通して、権利を求めるマイノリティに対して一定の場所と文化の承認を与えようとするもの」であり、「「民族差別」解消の課題は、「多文化共生」のかけ声への変わっている」と指摘しています。

裁判闘争後、日立に就職し朴鐘碩はそこで「企業社会の同化・抑圧」の現実に鋭い告発を行ってきたことも記されており(この点も、これまで研究者が言及してこなかった)、結論で、「70年代の「共同」と新自由主義時代の「(多文化)共生」を超える新たな協働の模索が必要」ではないかと提起しています。

また『人民の歴史学』では当日の討論要旨も掲載されており、その中で加藤さんが、「「被害者」である在日朝鮮人に対して日本人は「加害者」としての立場から向きあっていたため、(日本人としての)「権利意識」が育ちにくかった」という発言していることは重要な指摘だと思われます。

今もてはやされている「多文化共生」とは、新自由主義の時代において何なのか、どのようなイデオロギーとして用いられているのか、また日本人と「在日」の「協働」はどのような質をもつべきなのか、を考えるためにも加藤論文を是非、一読されることを薦めます。

なお、加藤論文は望月文雄さんのHPに掲載されています。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_205.htm

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