2010年9月18日土曜日

朝鮮王妃閔妃(ミンビ)の暗殺の真意って知ってます?

「韓国併合」100年を問う国際シンポジューム以降、中塚明『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠陥を問う』(高文研 2007)、角田房子『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』(新潮文庫 1988)、『朝鮮王妃殺害と日本人―誰が仕組んで、誰が実行したのか』(高文研、2009)を読みました。

中塚明の本に関しては既にコメントをしました。植民地主義史観がいかに抜きがたく現代にまで影響を及ぼしているのか、改めて考えさせられた本でした。
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/08/blog-post_22.html)

さて、一度学問の道をあきらめ研究者の「落ちこぼれ」を自称する金文子が改めて職場復帰して、角田房子の本を読み10年をかけて書いた本がこれです。中塚教授の厳しくも温かい指導のもとで「職場復帰」して再度、研究者として歩み始めた力作です。今年の夏に韓国MBCが中塚教授への長時間インタビューを行ったとき、金文子の研究成果を高く評価する話をされたということを通訳者から直接聞きました。

角田房子との決定的な相違点、そして金文子の本の価値を高めた点は、角田が「どれほど自由に想像の翼を広げても、陸奥宗光が、また伊藤博文が、閔妃暗殺を企てたとは考えられない。閔妃暗殺事件と日本政府の間に直接の関係はない」と断定的な結論を下したことに対して、金は関係する日本人の背景を徹底的に調べ上げ、陸奥と伊藤という最高権力者が深く関わっていたことを明らかにしたことです。「日本政府は、朝鮮における「電信と駐兵問題の解決」を大本営と三浦梧楼に委ねたのである」(358頁)。

角田の結論だと、三浦梧楼特命全権公使が独断でやったということになります。彼女がいかに「申し訳ない」気持ちを強調して、韓国・北朝鮮への友好を謳おうとも、その贖罪意識的な認識では国家権力とは何か、なによりも今自分はどのような時代に生きているのか、そして何をすべきかという点で保守的な態度をとり植民地支配を根本的に批判する立場には立ち切れないと思われます。

私は金文子の本で初めて知ったことが多くありました。まずは「閔妃暗殺」の歴史的な意味、日本国家にとっての必然性です。福沢諭吉が「閔妃暗殺」を正当化するような発言をしていたこと、明治天皇の「事件」を知ったときの発言、また日本の新聞記者が日清戦争取材に同行して中国人商人12名を虐殺したことなどです。

人はいかに国家と自分の生き方を同一化していくのかを改めて思い知りました。自分の中に組み込まれたナショナル・アイデンティティを相対化する作業は大変であってもその事実を直視することから始めなければならない、この点を再認識させられました。

同時に、「歴史上古今未曾有の凶悪」事件として「閔妃暗殺」を記した内田定槌(当時の京城領事)のように、勇気ある発言をした人がいたことも重要なことを示唆してくれます。国籍や民族を超えた連帯の芽の可能性はこの耐えがたいまでの悲惨な事件の中にもありました。

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