2010年9月30日木曜日

田中宏著『在日外国人 新版―法の壁、心の壁』を読んで

この本は田中さんでなければ書けない本だと思いました。
「戦後に発生した「在日」差別」というタイトルで原稿の
依頼を受け、いろんな本を読み漁っているところでこの本
に出会い、多くのことを学びました。

佐藤勝己の『在日韓国・朝鮮人に問うー緊張から和解への
構想』(亜紀書房)も一応読んでおこうと思い目を通した
のですが、両者の立場に決定的な違いがあります。
日立闘争のときに私たちは佐藤さんに本当にお世話に
なりました。

田中さんは昔から顔をあわせれば挨拶する程度で、徹底的
に話しこんだことはありません。故李仁夏牧師と共同代表
で「戦後補償」など様々な活動をされていらしたことは
よく知っていました。佐藤さんと田中さんは風貌も似ており、
昔の佐藤さんの議論の進め方はどうなんでしょう、「日本人
の責任」ということでは、私は田中さんとそんなに違いが
あったとは思えませんが・・・

『日韓新たな始まりのために 20章』(田中宏/板垣竜太編、
岩波書店)は、<嫌韓流>に対して単なる批判にとどまらず、
日韓の「開かれた関係」をつくるための「思考の糧」を目指
したもので、錚々たるメンバーが執筆しています。ひとつ気
になったのは、田中さんがここでは「在日コリアン」とし、
前書では総称として「在日朝鮮人」としている点です。

私は「在日韓国・朝鮮」も「在日コリアン」も何か聞いていて
座り心地がよくないのです。最近マスコミは勿論、左翼系の
雑誌でも躊躇なく使っているようですが、両方の使い方、
もう一度よく論議してほしいですね。

ここには北(総連)からも南(民団)からも文句を言われ
ないようにという逃げ腰の「配慮」を感じます。

二人の決定的な違いは、佐藤さんは北の脅威と、「在日」の
実際の問題点をよく知りその上で議論を展開するのですが
(勿論、すぐに「在日」や韓国人について本質主義的な決め
付けをするのでそれは決定的に間違っていますし、「国民
国家」を絶対視しているという点では私と全く意見は違い
ますが)、田中さんは南北問題などには一切触れないで、
自分の体験から出発して、日本人社会の歴史認識(「心の溝」
)や国家の在り方(「法の壁」を具体的に明らかにして、
まさに「共生」を求める姿勢を明確にしています。学者として、
書かれていることに間違いはありません。その通りです。

しかし私はふと、田中さんはどろどろした「在日」の実態や、
市民運動の中身を知っているのか、そこで苦しんだことがある
のかと感じました。

田中さんの日立闘争の紹介の仕方を見て(133-134頁)
感じたのですが、これまでにない運動で日本の青年たちが
「自ら日本社会のあり方を自問する方向に発展」していった
のは事実ですが、その運動の中身はどうか、またその後の
地域活動にも触れていらっしゃいますが、そこでの私の
個人史で記したような内部のごたごたは恐らく見て見ぬ
振りをされるのでないか、鄭香均の闘いの最後の段階で,
運動の総括ができなかった内部のごたごたにも敢えて関与
されなかったのではないか(わかりませんが)と思いました。

田中さんが誠実に「在日外国人」問題に取り組んで
いらっしゃることは誰もが認めるでしょう。しかしそれを
生み出す日本社会の根底的な問題はどこにあるのか、
「在日外国人」問題は日本社会の歪みの結果出てくる
問題であると私は考えるのですが、それは何なのか、
日本人と「在日」はどこで対等な立場で一緒にその
「日本社会の根底的な問題」について歩むことができる
のか、一度じっくりと田中さんと話をしてみたいなと
思います。

田中さんは、著書にもある「花岡」事件の解決に関して
野田正彰から批判を受けられたようですが、野田さんの
これまでの本を読みいいかげんなことで他人を批判する人
でないと思っていたので、大変、意外です。反論もされて
いますが、「花岡」事件の、「解決金」をめぐるおかねが
からんだどろどろした問題に田中さんがどのように対応
されたのか、今後田中さんの批判者にどのように最後まで
向き合われるのか、この点も知りたいですね。


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崔 勝久
SK Choi

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