2010年8月12日木曜日

菅談話への中国の反応を見て思ったこと

みなさん、この暑さのなかどのように過ごされていますか。お盆のときには大雨があり、その後は猛暑が続くそうですから、お体にはご注意を。

「韓国併合」100年にあたっての首相談話は自民や民主の中からも批判の声があがり、一方、十分でないという声もありますが、和田春樹さんが言うように、村山談話より「一歩前進」というところなのでしょうか。韓国では厳しい意見がでています。

日本の新聞は中国政府もまた談話を「歓迎」と報道していますが、韓国の朝鮮日報は、11日付中国紙・環球時報のトップ記事を紹介し、「日本が中国を除外し、韓国に対してだけ謝罪したことは政治的背景があるのではないか」、「今回の出来事は日本と韓国が手を結び、中国に対処する転換点になるのではないかとの疑念が生じる」という、中国の政府発表とは違う一面を報道しています。

これは6者会談を念頭においたものとも読めますが、私は、大国になった中国が、韓国・日本に対して警戒をにじませたものと感じました。いわばこれはいずれもが植民地支配を強化する国家同士であることを意味します。日韓両国は自国内の労働力ではやっていけず、廉価で使い捨てできる外国人の労働力を必要とするに至り、それを「多文化共生」というかたちで外国人の「統治」をしようとしています。それを韓国の尹海東さんは、「内部植民地」と先の「韓国併合」100年を問うシンポで発表していました。

一国内に多くの民族を抱える中国もまた、内陸部に廉価な労働力が多くあり海外から労働力を入れる必要はないとは言え、植民地支配をどのように進めるのかという点では、国民国家の運営という意味では、日本・韓国と同じ問題を持つと見るべきなのでしょう。この点は、孫歌さんにお会いしたら是非、伺ってみたいですね。

今年の『思想』1月号で、李成市さんが興味深い論文を書かれています。当時のアカデミズム実証主義歴史家がいずれも日清・日露戦争、韓国併合に進んだ日本の植民地主義を批判的に捉えることができず、それを反映させるかたちで古代史を解釈したというのです。

その中で、「帝国主義」を取り上げる上野千鶴子さんと石母田正を例にして、その議論の前提になる日本の古代史(朝鮮支配)は植民地主義歴史観に基づいた誤ったもので、それを「自明なものとして・・議論される構造に組み込まれている」ということを記しています(141頁)。

私は「韓国併合」100年を問うシンポに参加して懸念をもったと先のブログで書きましたが、アカデミックな実証主義を求めると言うことは、過去、決して実際に生起していた国民国家の植民地支配の動向を批判的に捉えることではなかったということです。今の歴史学者や社会科学者は違うと言えるのでしょうか。

先の尹海東さんは、シンポでの発題をこのような言葉で終えました、「新たな転換は、ともすると戦後迎えることになった新たな植民地主義である可能性もある」。在日朝鮮人を含めた外国人の「多文化共生」はそのような植民地主義として捉えるべきなのではないでしょうか。このブログをごらんになった様々な分野の研究者のご意見をお聞かせください。

 

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