2010年7月15日木曜日

韓国から来た、ある民族主義者A教授との対話

A先生、先日は長時間お話をする機会をつくってくださり、ありがとうございました。A先生は韓国から来て30年経ち、もう15年も日本の大学で国際法の教鞭を執っていらっしゃるそうですね。国際法の専門家として、地域や地方自治体より、国家対国家の関係を重要視し、その意味で帰化をし、韓国のオリジンを公言する政治家として日本の国政に参与することの意義、重要性を強調されていました。

オールドカマーとニューカマーとは、例えば指紋押捺を強いられる点を具体例として挙げて、その違いを強調されていました。オリジンを明確にする、民族アイデンティティにもっとも関心がおありのようで、「在日」の本名で生きること(元野球選手の張本が毎週日曜日、テレビで張本として出演していることに憤慨し、Changと名乗るべきだということでしたね)、帰化してもオリジンをはっきりとさせるべきだということでしたね。

私はそんなA教授に対して、民族主義者ですね、と言いました。否定も肯定もされず、ちょっと意外な表情でした。アイデンティティを明らかにするという当然のこと、どこでも通用するであろう正当な主張に、それは民族主義ですねと言われ、若干、揶揄されたような、そんな倫理的な言い方は観念にすぎず、実際の生活の実態を知らずに倫理的なあるべき論を言っていると言われているような気持になられたのでしょうか。

実は私も40年前から民族に目覚め、日立闘争に関わるようになってから、日本社会の差別と同化の歴史・政策を糾弾し、本名で生きることを宣言し、地域の「同胞」子弟の教育、その父母や行政への働きかけに全力をあげ取り組んできました。公立学校の教師にも「在日」を日本人と同じように教育するのは、無自覚な同化政策だと彼らを糾弾してきました。

しかしA先生、65になった今、私は学校の先生が正義感からか、自分の価値観からか、多文化共生を掲げ、「在日」は本名で生きるべきだと「在日」子弟に働きかける実践を教師集団の目標に掲げている実態を見て腹立たしく思うのです。自分と関係をもつ数年間で、どうしてその子供たちに民族的な自覚をもって生きて行くように、本名を名乗るように説得、教育しようとするのでしょうか。差別に負けないよう、勇気をもって生きて行くようにというきれいごと、建前をよくも恥ずかしくもなく言えるものだと思います。

教師自身が言いたいことも言えない状況に置かれているということを子供たちはよく知っています。もっと長い時間をかけて、人間としての在り様を求めていけるように(またそのように生きられなくとも)彼らを見守ることはできないのですか、長い一生の間で自立して人間らしく生きることを求めてくれればいい、自分もそう生きるからと、生徒(学生)に教師として言えることはせいぜいそこまでということに気がつかないのでしょうか。

A先生、私は、「在日」もニューカマーも日本で定着して生きようとする場合、永住権をとるのか、日本国籍をとるのか、まったくその人の自由だと思いますよ。問題は、日本社会に定着するのであれば、その地域の住民として国籍に拘わらず、その地域のあり方に関心をもち関わりをもたなければ、そしてその地域がよくなっていかなければ、自分自身の生き方が不自由になるということです。A先生はそのことを認めながらも、でも日本社会がそのように受け留めないのではないか、だから帰化して国政に参加して、そのような状況を上から変えていくべきだと強調されました。

それは飛躍しすぎです。観念・論理としてはありえても(またそのよう考える政治家もでるでしょうが)、自分の住むところで人間らしく生きることを求め続けない限り、そしてその要求を他の人々に認めさせない限り、実は社会は変わらないのではないでしょうか。それを証明するのは、障がい者の運動です。一切動くことのままならない障がい者が看てくれる人に申し訳なく思うのでなく、当然の権利として自分の欲することを口に出し求めるには闘いが必要です。同じことではありませんか、私たちも。

地域の変革が可能であり、仮に成功しても、地域ごとに格差が生じ、その変革された部分さえ、日本政府は平準化ということで元に戻すかもしれないということをいくつかの例をあげられました。地域の発展は国と別にはありえないということは私も認めます。しかし、国の政策だけで地域がよくなるということはありえません。地域は地域の独自の歴史・文化・風土をもち、その住民が主権者として関わることなくしては地域の変革はないと、私は考えるのです。

地域住民一人一人が大切にされ、一人一人の意見が尊重されるようになって初めて、外国籍住民もあるがままの姿で、また各人が大切だとするアイデンティティ(価値観)が受け入れられるのです。同性愛者のアイデンティティが尊重されることも基本的には同じだと思います。ですから時間がかかっても、外国籍住民も日本人と一緒になって、そのような社会にすべく、そのような社会をつくるべく闘うしかない、と私は考えます。

A先生、昨日は初めての出会いでした。ずけずけと失礼なことを申し上げたかもしれません。非礼をお詫びいたします。これをきっかけにして、韓国からのニューカマーとして日本に定着しようとされる方々と十分な対話をすべきだということを学ばせていただきました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

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