2010年7月19日月曜日

『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again

西川伸一『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房、2000)を読みました。内閣法政局の存在は勿論、「当然の法理」はその内閣法政局の見解、意見であることはよく知っていました。しかし内閣法制局とは内閣の憲法を解釈するところくらいの認識しかなく、その意見というものがどのような意味をもつのか、不覚にもこの本を読んで初めてわかりました。ということで、「当然の法理」again、もう一度とりあげましょう。

「各省庁の官僚が起草した法案、政令案は内閣法制局に、国会議員に手による議員立法は議員法制局にもちこまれ、文字どおり一字一句にいたるまで入念に審査」されます。

内閣法制局の審査を経て成立した法律で最高裁から違憲判決を受けたものは一つもなく、70名からなる内閣法制局は1885年以来の歴史があり、戦後も「誤謬」のない、すべての官庁の法制化にあたって最高の権威をもち司ってきました。そこで定められた「論理」は変更が許されず、「一度示した憲法解釈、法律解釈はだれが首相でも、政権交代があっても従来の見解を固守する」ようになっているとのことです。

だから、地方公務員法には国籍条項がないにもかかわらず、1953年の法制局の見解、すなわち、かの有名な高辻発言の、「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには、日本国籍を必要とする」という「法政意見」が今に至るも生きて、各地方自治体を牛耳っているのです。法律でも政令でもないので、改正されることはなく、「意見」ゆえに変えようがないものとされています。この「国家意思」はのちに、地方公務員の場合、「公の(或いは地方自治体の)意思形成」と読みかえられています。

従って「当然の法理」を破るのはまずは地方自治体の首長の勇気です。かつての高知県の橋本知事がその先例です。外国籍公務員の管理職を拒んでいた「当然の法理」は、地方参政権が実現されると「公の意思形成の参画」が承認されるので、議員立法であれば内閣法制局の「意見」に影響されることなく外国籍者の管理職は実現します。

ここで注意すべきことは、この10年以上、議員立法による外国人の参政権の法案化の動きは、昭和28年に内閣法制局長官が、憲法15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」を、日本国民の「専有」でなく、「奪うべからざる権利」(かつての天皇制とは違う)という見解に基づいているということです。そうだとすれば、これを未だに日本人だけの権利と自民党の国会議員や市会議員が強調しているのは、無知か、わざとこれまでの経緯を隠しているとしか言えません。首長の決断ですべてが変わります。

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