2010年5月17日月曜日

新たな「在日」学者との出会い

郭基煥という若手「在日」研究者に出会いました。『差別と抵抗の現象学―在日朝鮮人の<経験>を基点に』(新泉社 2006)という本です。難解ですが、非常によくわかる本です(?!)。難解なのは、彼の採用した現象学という学問が私にはよくわからないからで、その方法論によって描く「在日」の差別を見据える視点は新鮮であり、私がこの40年、日立闘争と地域活動の実践の中で見出した地平に限りなく近いという印象をもちました。

私が彼に注目したのは、三谷博と金泰昌編『東アジア歴史対話』(東京大学出版社 2007)にある特論、「在日二世以降の異邦人感覚と<国民のための歴史>-「国籍変更」問題に寄せて」を読んだからです。そこで鄭大均批判の視点に注目しました。鄭大均のアイデンティティと国籍の乖離を理由にした、「在日」に帰化を薦める論は多くの日本人保守派に愛読されているのですが、それを<在日同士の関係>性から、郭基煥は批判をします。

郭基煥は現象学の大家(らしい)シュッツとレヴィナスを軸に差別の問題を「社会哲学的/人間学的な新地平」から解き明かそうとします。具体的な「在日」の差別の事例には触れず、差別とは何か、それはどうして生じるのかという哲学的な考察を深めるのです。日本社会への批判はファノンを軸に展開します。

彼は「共生」や国民文化なるものに関心を示さず、徹底的に対人関係に注目し、「在日」を他者にする日本社会のあり方を批判します。「共生」なるものはマジョリティに属する者がマジョリティのあり方を「破壊」するのでなく、そのマイノリティを生みだす関係性を固定するものとみなします。従って参政権を一瞥もしません。そしてマジョリティの差別を「病」と見て、マジョリティそのものがマジョリティ社会にルサンチマンをもっている、だから彼らこそ癒されなければならないと捉えます。

私は彼の学問的な方法論に関しては論じる資格はなく、その方法論に関心があるわけではありません(そもそも理論、思想は仮説に過ぎず、アカデミズム社会の論争で現実が変わるものではないと考えるからです)。しかし彼の徹底した考察の仕方、その真摯さには感動さえ覚えました。

しかし彼の哲学的な考察そのものが差別とは何かをとらえる明確な視点を提出するのですが、その方法論がまた限界性をもつように思いました。差別を生みだす社会構造やナショナル・アイデンティティを生みだす実際の「力」に対抗する実践よりは、人と人との関係性の問題に落とし込まれるような気がします。しかしそれは新鋭の期待すべき研究者一人が負えるものではないでしょう。私は逆に徹底的に現実の地域社会にこだわり、そこでの実践と思索の中から、彼との対話を深めたいと願います。

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