2010年3月16日火曜日

学問は未来を切り開くのか、現実の後追いなのかー「川崎都市白書」を読んで

専修大学が文部科学省のプロジェクトとして5年にわたり研究をして、平成20年度川崎都市白書を出し、その第一部で「総論と政策提言」を記しています。「公害」を克服する過程で得た技術を活かし、省エネや新エネルギーの技術革新に結びつけ、環境先進都市川崎として「川崎モデル」を提示し世界に貢献するという内容です。川崎市の施策はその提案を反映させていると言っても過言ではありません。臨海部の石油、石炭の素材産業だけではなく、川崎の中間地帯にあるIT・家電メーカー、各研究・開発機関、中小・零細企業、ベンチャーなど全てを有機的に結び付ける壮大な提案です。第二部はその結論を支える「各論」です。

しかし私はその研究論文に不安を感じました。「可能」という言葉があまりに多いからです。提言だから、それでいいのかも知れませんが、永年経営に携わってきた私は、「可能性」と同時にいつもそうはならない場合の「危険性」を思索する癖を身につけたからかもしれません。うまくいけばいいが、そうはならなかった場合の検証はどこでなされるのでしょうか、「白書」に対して、10年前の公害運動の勝利を背景に『環境再生』を記した研究者たちが、その批判的な検証をしているようには思えません。私は、「白書」派と「環境再生」派がもっと正面から学問的な論争をすべきであると思うのですが、私の知る限り、そのような議論が行われているようには見えません。この分野のことは全くのド素人なので、私が知らないだけなのかもしれません、この点はご容赦を。

公害は克服されたことが前提になっていますが、今も川崎では小児喘息患者が減っていません。北部のある小学校では17%の罹患率と聞き、私は驚愕しました。これは自動車公害だけによるものなのでしょうか、臨海部に問題はないのでしょうか、「白書」では各企業の努力と「可能性」を詳しく説明しますが、それでも炭酸ガスに関しても京都議定書に記された水準にはとても及ばないことが短く記されています。窒素酸化物などの数値は高止まりです。アジアからの旺盛な需要の所為ばかりでなく、この間の企業努力で臨海部の企業が復活したと分析しますが、その繁栄はいつまで続くのでしょうか、学者のよく使う「持続する企業」であり、「持続する社会」なのでしょうか。JFEの高炉や既存の施設をそのままにしてその応用技術(革新)で、本当に「持続する社会」は可能なのでしょうか。

臨海部の再生のために、川崎はふたつの拠点を提示しました。羽田空港の対面の殿町と南高校がある南渡田地区です。前者はライフサイエンス・バイオをトリガーにしてクリスター形成を予定し慶応大学などの入居が決定したようですが、同じ比率で説明されている後者に関しては、この3年間住民運動で全てが凍結されています。「白書」派も「環境再生」派もこのことに触れていないのは、私は理解できないでいます。

南高校の問題の解決のためには、運動による行政への圧力ではなく、対話によって問題点を直視して解決を模索することは不可避です。同時に、臨海部全体の問題についても、50年先のグランドデザインを描きながら、これまでのように企業と行政だけで臨海部のあり方を決めるのではなく、住民と政治家も入り、行政や企業とも真摯な対話を重ねるべきでありましょう。Water Frontに住民が住み遊べる夢をまず明確にし、そこに向かうプロセスを示すべきです。

蔓延する小児喘息や、臨海部から撤退する多くの企業の跡地の処理、地震などの災害に対する備え、さらには増加し続ける外国人住民や老人の問題など、「白書」には触れられていない地域社会の問題に住民が当事者として、「地域再生」の主人公として関わるべき時が来たように思います。それには住民サイドに立った研究者の協力は絶対に必要です。Sustainable Community(住民が生き延びる地域―私訳)を実現させましょう。そこは外国人の政治参加は当然視され、老人などの弱者が安心して生きていける社会です。

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