2010年3月7日日曜日

第133回川崎市民フォーラム <川崎臨海部づくりの原動力=在市朝鮮人子孫の参政権を拒否していいのか? どう保障するのか?>

ミューザ川崎シンフォニーホールにて約30名が集まりました。市会議員6名(自民2名、民主1名、共産1名、ネット1名、無所属1名)が一言づつ述べ、市職の山田貴夫氏の発題に続き、自由討論となりました。

自民の議員の一人は、自分には差別観はないが、選挙権は別で、選挙をするなら帰化をすべきという論調でしたが、同じ自民の坂本さんは、意見は違っても共通の場をつくれないのかという発想をしたいということでしたが、それでも実際は自民は参政権反対の立場であり、党が拘束をするのであれば悩むという心情を吐露していました。

同じく、日立闘争に関わり市職員から市議になり現在民主党団長となっている飯塚市議は、本来は党として賛成をしなければならないのだが反対派の議員もいてまだ党としてどう対応するのか決めていない、11日に市民委員会の様子を見て決断したい、これまでの民主の流れから後退することのないようにしたい、と話していました。11日に実際、各党はどのような対応をするのか、行政から地方参政権は賛成するという言質をとれるのか、注目しましょう。

山田氏は停年を前にした発題になり、心置きなのは、臨海部の「在日」集落に手がつけられなかったことと、外国籍公務員の処遇の件で決着をつけられなかったことと正直な気持ちを話していたことは称賛に値すると思います。日本の外国人の施策に関しては、世界の水準からみて遅れているという現実を踏まえて参政権の問題を考えるべきという立場で、特にレジュメの冒頭、テッサ・モリス・スズキを引用しながら、「多文化共生」は「コスメティック・マルチカルチャラリズム」で「過去の暴力の隠蔽」という言葉(『現代思想』2001年7月号)にショックを受けたと話し、ニューカマーの増加で「多文化共生」が強調されるが、(植民地支配による)「在日」の「過去の暴力の隠蔽」の歴史をないがしろにすべきではないという意見と聞きました。

この山田氏の主張は、私たちが12年前から、市民運動と行政と市職が一体となって展開してきた「共生」キャンペーンに対する批判と通底するものなのでしょう。山田氏が「コスメティック・マルチカルチャラリズム」論に「衝撃を受け」、(安易な)「共生」を戒める「共生」批判論者ということは初めて知りましたが、直接、本人から聞いてよかったです。山田氏、永い間のお勤め、御苦労さまでした。

その他フロアからは多くの率直な感想・意見が述べられました。10年以上の歴史をもつ「市民フォーラム」が初めて「在日」の問題を取り上げたことに心より敬意を表します。

多くの発言の中で、自分には差別意識はないとか、民族と国家は関係なく「人間として」という発言もありましたが、私は、差別とは社会構造であること、また民族・国家とは関係なく「人間らしく」と言いながら、今回のように参政権で国籍を持ち出している現実があること、また私自身は「民族」「国家」という観念と45年にわたって格闘しようやく相対化するようになったのに、日本人は自分の中のナショナル・アイデンティティに無自覚でその観念と闘わずして簡単に「人間らしく」と言いすぎると指摘しました(どこまで通用したでしょうか)。

また私は、山田氏が心残りとした臨海部の「在日」の集落の問題は、これまで公害闘争の中でも研究者の中でも取り上げられなかったと指摘し、主宰者の今井さんからは、川崎における関東大震災のこと、「在日」を無視した公害対策などの貴重な話がありました。今日のこの論議が出発点になり、公害と「在日」を視野に入れた「地域再生」の本格的な議論が生まれることを期待します。

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