2010年2月1日月曜日

市民参加による政治って何なんでしょうか?

市民参加による政治って何なんでしょうか?

阿部市長は、当選前から、各政党から袖にされた所為なのでしょうか、あるいはかなり前から官僚で政治学者であったので「市民参加」の概念の重要性は認識していたのでしょうか、市民との対話、市民参加の政治ということを強調しています。私は、住民自治とはまさに、市民が主体となって政策決定に参加していくことを保障するシステムだと思います。しかしそれはどのようにして可能なのか、この点を徹底して検討しないと、市民参加は空疎な言葉になります。

民主主義とは代議員制度そのものと理解されていますが、代議員制度は政党政治になって各党の議員数に頼るようになり、住民の意思を反映させる制度とは必ずしも言えません。代議員制度を否定しませんが、それに代わって、或いはそれと並行して、住民の意思が反映される仕組みはないものでしょうか。

行政は、市民(住民)参加を強調するのですが、実態は、自分たちが決めた施策に対して、その過程で市民の参加を求め意見を聞く(或いは聞き置く)、という程度のものです。結論は、行政が決めた、官製の「公共性」であり、市民参加はその正当化に口実を与えるだけにすぎないものになっています。そもそも、いろんな利害が対立するのに市民とは誰のことか、それはどのようにまた誰が決めるのか、またその市民の意見はどのように施策決定に反映されるのか、このような議論のつめがないことが、市民参加を空しいものとさせているように思うのです。

私は、県立南高校の校舎を残せと3年にわたって闘ってきたグループに最近関わっていますが、行政訴訟と地元での座り込みを中心にしてきたにも拘わらず、校舎は完全に解体されました。しかしその跡地はどうするのか? 県は、川崎市の都市計画に基づいてその跡地を売却したがっているのですが、今後は、過去の高度成長期に住民の意向とは関わりなく、まさに行政判断で作られた都市計画そのものの検証作業が、市民と共になされなければならないでしょう。官製の「公共性」は、もはや住民の意向を反映させたという正当性を主張できないところまで来ています。

しかし市民とは誰か、住民とはどこまでの範囲の人を言うのか、様々な主張がありうる住民の利害関係、地権者の立場・意向、関係してきた行政の立場、市政に関心を示す一般市民、これらの人々が円卓会議で一堂に会したからといって、解決されるものではないでしょう。即ち、市民を参加させる形式だけでは事態は一歩も解決に向かいません。

私は、ある研究者から紹介された『地域環境の再生と円卓会議―東京湾三番瀬を事例として』(三上直之 2009 日本評論社)を読み始めて、この本を皆さんにも読んでいただいて、「市民参加による政治参加」について、意見の交換をしたいと思っています。実践的に、大変参考になる力作です。現場に関わりながらも、学者として理論化することを心がけ、市民参加による施策決定にこれほど情熱と誠意をもって書かれた本を私は読んだことがありません。

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