2009年6月10日水曜日

「人権・共生」の街 川崎市の「当然の法理」―朴 鐘碩

みなさんへ

朴鐘碩が「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」掲示板で、
「「人権・共生」の街 川崎市の「当然の法理」」について
投稿している意見を転送します。

川崎における「当然の法理」がどのようなものかの解説が
なされています。その問題は私も『日本における多文化共生
とは何か』で触れていますが、今回朴鐘碩は、本にはない
新たな指摘をしています。

前市長の高橋清(革新系)もまた、現阿部市長と同じ
考えであることがわかります。保守、革新に拘わらず、
いかに国民国家の枠のなかでナショナリズムに捉えられて
いるかよくわかります。

それとどうして外国人問題に関心を示す人が「善意」で
いいことをやってあげているという発想でいるのかという、
パターナリスティックな面がよくわかります。

「一般職だって、その2割のところにつけなければ、あとの8割で活躍してもらえばいいんです。8割というのは大部分でしょう。学校の点数だって80点取ったらものすごくいい成績です。それを2割のために『だめ』と言っているのはおかしい。2割のところの職につけなくても、8割のところで職につければ大丈夫なんです。」(「月刊社会民主」’96年11月)
崔 勝久

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「人権・共生」の街 川崎市の「当然の法理」―朴 鐘碩
「戦後とは植民地である」「植民地を隠蔽し私たちに見えなくさせる大きな力が働いている。そしてその力こそがまさに植民地主義ではないだろうか」(西川長夫)

採用した外国籍公務員の職務を制限する、112頁の「外国籍職員の任用に関する運用規程-外国籍職員のいきいき人事をめざして-川崎市」(「運用規程」)に以下のように記されている。
「昭和28年に内閣法制局は、「法の明文の規定でその旨が特に定められている場合を別とすれば、一般にわが国籍の保有がわが国の公務員の就任に必要とされる能力要件である旨の法の明文の規定が存在するわけではないが、公務員に関する当然の法理として、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とするものと解すべきであり、他方においてそれ以外の公務員となるためには日本国籍を必要としないものと解せられる」との見解を示した。

新たな公権力の行使に対する考え方に基づく市職務判断基準
川崎市の職務が「公権力の行使」に該当するか否かの判断基準を次のように導き出した。職務判断基準:命令・処分等を通じて、対象となる市民の意思にかかわらず権利・自由を制限することとなる職務
(例)命令・処分等
1都市計画等の決定
2税の賦課
3調査(立入検査、収去等)
4命令(改善、回収、廃棄、制限、禁止等)
5強制執行(代執行、税の滞納処分、隔離等)」

川崎市は、単なる見解に過ぎない「当然の法理」を理由に、当時3509ある職務から一律に許認可、決裁権ある192(「運用規程」が完成した1997年は182)職務を抽出し、外国籍職員に職務を制限しました。
これは、労働基準法第3条(均等待遇)「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」と職業安定法第3条(均等待遇)「何人も人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について差別的取扱を受けることがない」に違反しています。法律よりも「見解」が優るのでしょうか?

国籍条項撤廃宣言した高橋清市長(当時)は、3509の職務を分析し、そのうち182を制限したことについて「一般職だって、その2割のところにつけなければ、あとの8割で活躍してもらえばいいんです。8割というのは大部分でしょう。学校の点数だって80点取ったらものすごくいい成績です。それを2割のために『だめ』と言っているのはおかしい。2割のところの職につけなくても、8割のところで職につければ大丈夫なんです。」(「月刊社会民主」’96年11月)と語っています。
この発言は、国籍条項を撤廃し門戸を開放したから、差別があっても文句言わず我慢して働きなさい、という上からの温情主義(パタ-ナリズム)です。

「市民の意思にかかわらず権利・自由を制限することとなる職務」とは、どのような職務でしょうか?公務員は法律に基づいて職務を遂行しますから、公務員が勝手に、「市民の自由・権利を制限する」ことはできません。必ず条例に従い、上司の決裁が必要となります。
民間企業も業務を遂行するために担当者の勝手な意思決定は許されず、必ず上司(主任・課長・部長・幹部)の決裁が必要になります。自治体も同じです。

「運用規程」のサブタイトルは「外国籍職員のいきいき人事をめざして」と書かれているのに、何故、「国籍」を理由に職務を制限(差別)するのでしょうか?
民間企業の就職差別をなくすように監督、指導すべき川崎市は、自ら「運用規程」を作り、差別を制度化したわけです。しかし、「運用規程」は、市長の裁量で廃棄・撤廃できます。

このいい加減な「当然の法理」で、企業を指導する自治体が外国籍公務員を職務(消防職・校長・教頭にも就けない)からを排除・差別するかぎり、民間企業の偽装請負・談合をはじめとする不祥事はなくならず、弱者である非正規、派遣(外国人)労働者への不当解雇もなくならないでしょう。自治体、日本学術会議の「当然の法理」(排外主義思想)は、戦後、60年以上続いている国民国家形成のための「植民地なき新植民地思想」です。

朴鐘碩
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」
掲示板より:http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html

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