2009年4月10日金曜日

朴鐘碩さん講義の感想ー山内明美


みなさんへ

一橋大学博士課程の山内さんが昨日の、朴鐘碩の横浜国大での講義に参加して、その感想文を送ってくれました。彼女は西川長夫さんの横国での講義・川崎フィールドワークに参加して、それ以来、ずっと川崎における私たちの情報発信に応えようとしてくれている若き研究者です。

日立闘争以降の私たちの求めてきたことが今の時代の閉塞状況に置いて、なんらかの突破口になりうるのか、私は若い日本人女性にボールを投げかけ、跳ね返ってくる反応から自分を見つめ直し、新たな挑戦を続けたいと願っています。

御多忙なところ、感想文を送っていただき、山内さん、ありがとうございました。

崔 勝久
(写真提供 民団新聞 朴光春記者)
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[朴鐘碩さん講義の感想]   山内明美

今年入学した大学生は、平成(1989年)生まれだそうです。私は、もっとずっと年をとっていますが、それでも「高度経済成長」という言葉を社会科の教科書で知識として学んだ世代です。私たちは、道路や都市の社会的なインフラが整い、経済成長の進度が鈍化しはじめた時期に物心がつきました。そういう若い世代にとって、「繁栄」という言葉はどこか夢物語のようにも響きます。終戦の焼け野原のように、何も無いという状況ではない、かといって「戦後」の経済成長やバブルの時代ように「未来が明るい」という感覚も持てない。このことは、きっと、私たちの親やもう少し上の世代との、ある断絶を強いるのかもしれないと思っていました。もっとも、このような「断絶」はいつの時代にも、どこにでもありうるものです。

しかし、それでも私たちは「努力すればいつか道が切り開ける」という進歩主義的な物語を親や教師から与えられつづけてきました。にもかかわからず、現実の社会では格差がどんどん広がって、かつて教わった物語が裏切られていく感覚を味わっています。このことは、現在進行形で起きている、世界的恐慌でさらに強度が増しています。

朴鐘碩さんの70年代の日立闘争のお話を聴きました。それぞれに場面は異なるけれども、朴さんが40年前から現在にいたるまで抱え続けてきた問題が、私自身の問題でもあったことに思いいたるのです。そして、400人を超える満杯状態の教室で、熱心に耳を傾けていた学生も、それぞれに驚くほどシンクロしていたと思います。

社会構造の中に組み込まれた「個」の限界を、朴さんは社会構造それ自体に異議申し立てをすることで、変革を求めた。それは、個人の努力で達成できるというものでは、到底ないのだということに気がつくのです。

朴さんの日立闘争は、あのビデオに描かれた70年代を経て、いまもずっと続いています。朴さんが今回の講義で強調されていたことは、「在日」という国籍の違いに対する抑圧状況のみならず、自分の言葉を発することを抑圧されている「日本人」社会の連鎖が止めどなくつながっているということでした。
40年前のビデオから躍り出てきたように話し始めた朴さんと川崎をめぐる「その後」の話は、「民族」という限定的な枠組みから脱して、自分の生活する地域を基盤に考えるという方向に変化してきているようです。

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