2009年2月15日日曜日

西川長夫さんの「多文化共生と国内植民地主義」を聴講してー朴鐘碩

西川長夫立命館大学院名誉教授の
「多文化共生と国内植民地主義」を聴講して


朴鐘碩

横浜国立大学(加藤千香子教授ゼミ)において、2月2日(月)、西川長夫立命館大学名誉教授による「多文化共生と国内植民地主義」をテーマにした授業がありました。受講者100名余でした。私は、川崎市の「共生」、日立の職場、社会(人権)運動などに隠された問題点と矛盾を考えながら講義を聞きました。

90分近い講義でしたが、冒頭、西川教授は、『日本における多文化共生とは何か』(新曜社)を紹介し、川崎市の「共生」について触れました。「多文化主義」という用語は1970年代頃に広がりはじめたそうです。(偶然なのか日立就職差別闘争は1970年に始まっています)

西川教授の著作「国境の越え方-国民国家論序説」、「<新>植民地主議論」を読みましたが、レジメに書かれた「多文化主義(共生)の罠」「共生-差別と搾取の構造」は、正規労働者組合員として会社・組合の体質を批判し、日々葛藤しながら生きる私にとって改めて新鮮な言葉として心に残りました。また、川崎市の「共生」の矛盾と問題点は、この「罠」と「差別と搾取の構造」に尽きると思いました。また、「奴隷解放した」リンカーンを敬うオバマ大統領の就任演説に触れ、多様性(patchwork heritage)から人間を同化・統合・国民国家へと導くものであり、平和・福祉・自由・人権の進展に「チェンジ」は全く期待できないと教授は冷静に予測します。

マスコミは「初の黒人大統領の誕生」と盛んに騒ぎ立てましたが、大統領の地位を掌握した人間が弱者の立場で政策の「チェンジ」を期待することは幻想であるということです。聴講生として参加した上野千鶴子東大教授も自由討論で、学生の質問に「オバマは平和主義者ではない」事実を語っていました。

「グローバル化の対応策である多文化主義言説は、植民地と先住民を隠蔽し、共生は差別と搾取の構造に改めて照明を当てる」ことになり、「グローバル化は第2の植民地主義(植民地なき植民地主義)であり、新自由主義は<新>植民地主義」です。

「民族(国民国家)をいかに越えるか」という課題に、西川教授は『日本における多文化共生とは何か』を参考にしています。<日立闘争は在日朝鮮人というあるがままの自分を否定する社会への闘いであったことから、民族的アイデンティティを求めてナショナルなものに回帰するようであって、実際は、民族主義イデオロギーを解体する動きであったと思います。><民族の主体性は、やはりこの個の自立から出発する>(崔勝久)崔氏は、自由討論で「生き方を問いながら足元の問題を取り組む重要性」を補足しました。

19歳で日立製作所を訴え、同化した私にアイデンティティはありませんでした。まず日本名から本名に変え、民族・歴史・言語を学び、自分が何者か、を知ることでした。民族という国民国家に傾倒する組織は、当事者に民族の主体性がない、裁判は同化に繋がると批判し、当初、日立闘争に関わることはありませんでした。しかし、闘争がしだいに進展する中で、「民族」という課題よりも足元の具体的な差別・抑圧の現実から逃避せず、生き方をかけて人間らしく生きようとする姿勢こそ普遍的な当事者のアイデンティティであると私は理解するようになりました。

日立就職差別闘争から2010年で40年 (韓日併合の年に開業した日立製作所は創業100年) になりますが、「「共生」は、差別・抑圧を隠蔽する」だけでなく助長します。組織・権力者は「共生」は悪用し、問題・矛盾も隠蔽し、人間を管理・支配し、国民国家を強化します。意識する、しないに関わらず、人間は国民国家に組み込まれています。「国民国家の形成は近代のあらゆるイデオロギーが動員され」、多文化主義や共生の下で機能する企業ぐるみ選挙、社会貢献活動、教育・自治体の組合などの労働運動も組織動員されます。

国民国家体制を崩す、あるいは個を確立しようとすれば、例えば企業社会でおかしいことはおかしいとものを言わなければなりませんが、ものが言えない、言わせない(職場)環境になっています。(連合)組合は、労使一体の「共生」を悪用し、全てトップダウンで決めて、沈黙する労働者を管理・支配します。組合員は、このようなやり方に疑問を感じても、「どうすればいいのか?」悩み、抵抗できず、熟考する間もなく、沈黙して決定に従うしかありません。このような経営組織体質から経営者に有利な労働条件が決まり、欠陥製品が生まれ、不正取引、談合、不祥事などが起こります。さらに経済破綻は、新自由主義の下で人間を選別し、過度に競争を煽り、労働者の人間性をおろそかにし、利潤・効率を優先した結果であると思います。企業・行政・教育関係に職を求める学生たちは、日々生き方が問われる事態に直面しますが、自分で決断するしかありません。

「私はこの「勇気」という言葉に注目したい。それは危険な一線を越える勇気である。公共性論にもし可能性があるとすれば、それは目前に開かれている世界を直視する「勇気」にかかわってくるだろう」「勇気」と開き直りは、社会変革に繋がる可能性があります。

学生の内定が取り消され、就職が困難な状況になっていますが、景気調整弁として利用され、正規を含め低賃金で働く非正規・派遣・外国人の労働市場は、西川教授の言葉で言えば、(多国籍)大企業資本にとって「広大な植民地」と言えるかも知れません。これを「植民地なき国内<新>植民地主義」というのではないでしょうか。

戦後65年になりますが、未だに個が犠牲となり、日本人の労働者・住民が職場や地域でものが言えない状況です。声を発しても住民の意思が反映されない現実があるにもかかわらず、「共生」の下で設置された「外国人市民代表者会議」などの存在意義が次第に問われてきます。上(権力)から与えられた「多文化共生」は、国民国家を克服できないことは、聴講してよく理解できました。 
 
川崎はじめ日本、「世界の各地に、暴力によってあるいは術策によって、一方的に自由を奪われ、土地や文化や生活を奪われ、排除されるかあるいは隷従と同化を強制され、現在もその後遺症に苦しむ多数の住民と集団が存在する」にも関わらず、「共生」は国民国家統合の戦略となっています。これに立ち向かう「脱植民地化」は、つまるところ「私たち個々人の生活と生き方の問題」となります。


2月3日(火)「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」との懇親会の報告
一日かけて地域の民族学校、桜本保育園、ふれあい館などを訪れ、夕方、川崎の「共生」を批判する川崎連絡会議メンバ-と懇親会を持ちました。西川教授はじめ立命館、横浜国大、一橋の学生たち、双方で17名が参加しました。

「当然の法理」を盾に外国籍職員を差別する「運用規程」、阿部市長の「準会員」発言の問題など、10年以上に亘って川崎市の「共生」を批判してきた連絡会議の概要を報告しました。また元桜本保育園保育士二人から当時の保育について報告がありました。

「共生」の矛盾と問題点について意見交換し、西川教授は、「当然の法理」について「国家権力は、法律でもない、何でもない、いい加減な論理がまかり通って、国民国家形成に悪用している。」と、感情を込めて話されました。この発言を聞いて、私は「春闘が始まり、組合員を沈黙させている(連合)組合幹部のやっていることも同じだ!」と思いました。

後日、教授から「小生がこの2,30年間書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と大変貴重な意見をいただきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿