2008年8月6日水曜日

高史明氏の講演内容と私の感想

 08・08・06   望月 文雄

昨日、小田実の「河」という出版記念会に引き出されました。
昨日の小田実の「河」六千ページにわたる作品を読みたいという希望
を いだかされました。
なぜ、「河」を読みたいのか、「河」は九年もかかっている作品で、
生きて いる間には完成しませんでした。それは「共生」にかかわる
新しい視点が 込められていると思います。

かれは「何でも見てやろう」という文章で世に出ました。ベ平連の中心
になり、 ベトナム反戦で大きな力となったが、彼の死後出てきた「河」は
「何でも見てやろう」と見てきた事の思いを正直に表そう、自分の
意思表示を 明確にという、従来の立場から変化して、日本社会の
変革を求めるという風に。

戦時中大阪大空襲の炎に囲まれた体験が、フルブライト交換生時代
にある。 それを1923年の関東大震災の在日朝鮮人虐殺の想いを
馳せ、 大阪大空襲の体験に重ねている。自分は日朝のハーフとしての
体験を 小田の「河」には日本は変わらなければならないんだという
意識が鮮明に 出ている。

見る小田から行動する小田へ、阪神大震災であやうく死という体験
を経て、 また、日本政府への要求が受け入れられず、さらに、
新潟の大震災への 重複体験は変革を求める行動を起こすことへの
変化となった。 何を変えなければならないのか。

布施辰治の韓国での叙勲、建国功労賞、野間宏の「暗い絵」に出てくる
京大の学生は布施辰治の息子。 日立闘争は、強制への扉で子の扉を
開いてどこへ行くのか。丸山真男の日本への問題提起は1980出版の
日本思想体系第31巻(岩波)で、日本の戦前の思想の根を抉っている。

敗戦という問題は日本の根幹に関する問題(国体に関する根幹)を提起。
それは明治憲法と教育勅語という問題と、神ながらの道への天皇の思想が
問われているのだ。しかし、日本の思想はそれを風化させている。天皇が
ポッダム宣言の受諾を躊躇している間に二度の原爆投下を受ける。

戦後の日本は賠償問題に着手しない間に、朝鮮動乱がぼっ発、その
時点で GHQの日本支配の重点の転換が(賠償から日本の復興へ)
なされた。 それによって日本の政治は経済の進展へと変化した。


感想
戦前戦中の植民地支配の賠償金問題を含む戦後処理を無視し続けて
よいのか。 戦後の在日問題は、歴史を直視してこなかった政治にあり、
当然の法理という 場当たりな見解を国会審議に懸けることなく、国家の
基本方針として黙認する という不条理を最高裁が公認したという、
非倫理理念が存在する。 人権尊重とは何か。理性的な在日朝鮮人
から日本人に突きつけられた 問題提起であるのだろう。

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