2008年8月10日日曜日

朴裕河さんからの激励のメッセージ

みなさんへ

7月21日の出版記念会には遅れて来られて二次会から参加された、
韓国の朴裕河(パク・ユハ)さんが韓国から送ってくださった激励の
メールを本人の承諾を得て、みなさんにお知らせします。

朴裕河さんは、『和解のために』(平凡社)で2006年に大仏次郎賞を
受けました。韓国のナショナリズムを正面から批判するという、ある意味
では韓国社会にとっては衝撃的な本を韓国で出版し、それを日本語に
翻訳したものです。

しかしあとがきを書いた上野千鶴子さんをはじめ「進歩的」日本人学者
とマスメディアは日韓の問題を曖昧にしたまま朴裕河を持ち上げたとして、
「朴裕河現象」という言葉で一括りにして日本の学者から批判され
始めています。

しかし彼女が(また上野さんが)日韓のナショナリズムそのものを批判し、
相互批判を前提にして日韓の共同作業を提案することを、私は強く
支持します。

他の著作として、『反日ナショナリズムを超えて』(河出書房新社 2005)も
ありますが、私は昨年出版された『ナショナル・アイデンティティとジェンダ
漱石・文学・近代』(クレイン)を強く推薦します。この本で考察されたことが
後の2冊の核になっていると思われます。

ナショナル・アイデンティ(NI)にどれほど強く日本人は取りこまれたきたのか
ということが漱石の作品を通して論証されます。彼女はフェミニズムの
立場から、NIなるものが実は日本人の間の様々な差異を男(知識人)の
立場から主張されていることを漱石を例として批判するのですが、それは
過去の問題としてではなく、そのことが問題にされなかったのは、実は、
今も日本社会は同じ質の問題を抱えているのではないかと憂い、その指摘
は開かれた社会への希求からであることを明示します。

彼女は日本のNIだけでなく、同時に韓国の、そして「在日」のナショナル・
アイデンティの問題を取り上げ、李恢成と梁石日の作品の分析を通して
見事な批判をします。

自殺した金鶴泳の分析を通して、在日のNIそのものがいかに抑圧的で
あったのかを示すのです。

私たちの「共生」批判の見つめるべきものは何か、彼女ははっきりと
示してくれたと思います。皆さんの一読を勧めます。

崔 勝久

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朴裕河さんからのメッセージ2編

(1)この間いただいてきた本を読ませていただいて、ほんとうに嬉しく
思っていました。 長い期間にわたって、「実感」として感じられた
諸矛盾に対して異議をはっきりと となえ,そしてその思想を「運動」
として実践して、文字とおり「社会を変えて」きて いらっしたことを知って、
深く感銘を受けました。

朴ジョンソクさんもそうですが、そのような朴さんを支えてきた崔さん
の柔軟な 思考と強い行動力にはとくに心から敬意を表したいと思います。

いわば、直接の被害者が声をあげたり闘うことよりも、ある意味では、
そのことに 「コミット」していくことのほうが、はるかに大変で難しいこと
かもしれないと 思うからです。

私も「社会を変えたい」と思ってやってきてはいるのですが、
最近の独島事態を見るにつけても、自分の無力さを感じ、ここ
数週間は ほんとうに憂鬱でした。そういう意味でもすごいことを
なさって来られたと思うのです。

朴さんの文章も、チョさんの文章も、ぜひ多くの人々に読まれる
ことを こころから願っています。子供を日本で保育園にあずけながら
留学した 経験を持つものとしても、チョさんの文章、その中に現れた
崔さんの 行動には心を打たれるものがありました。

どのような「ただしい」志向でも、常に自分の内部を見つめないと即
硬直してしまうことをよく示している内容とも思いました。

(2)
何よりも皆様の試みとなしえたことがすばらしいとおもうのは、
「ナショナリズム」という強力な武器を、本書の上野さんの言葉で
言えば「水戸黄門の印籠」をあえて捨てて、(私の言葉で言えば
「強者としての被害者」の立場に甘んぜずに)闘ってこられたことです。

何々主義に頼らずに抑圧の本質を見抜くことのみが、別の場所に
いる被害者に目をつむることのない実践となり、普遍的なものと
なりうると思うのです。

ソウルにて朴裕河

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