2008年7月1日火曜日

李仁夏牧師の死を悼む

みなさんへ

今日の朝日の夕刊に李仁夏牧師の死亡記事が出ていました。

在日外国人のための人権活動を続け、川崎市外国人市民代表者会議
の初代委員長に選ばれた。98年度の朝日社会福祉賞を受賞した。

昨日の22時に永眠されたとの連絡を受けました。
その前日、関田牧師が病院をおとづれ、偶然、病院にいた家族と一緒に
祈りを捧げたところ、李先生は目を開け、頷かれたとのこと。50年の
川崎における交わりに李先生に感謝するという関田先生も、もうあまり長く
はないかもしれないと思いつつ、まさかその翌日になくなるとは想像も
されていない御様子でした。

川崎教会での献花による前夜祭は2日の6時より、告別式は3日の11時で、
お別れ会は12日東京教会で行うとこのとです。

振り返ると、私が李先生にお目にかかったのは大学の1年生の時、もう
すでに40年以上も前のこととなります。三鷹の寮から毎週土曜日に教会で
泊り翌日の礼拝をするという、自分でも考えてもいなかった生活がはじまり
ました。ある日李先生から、神学校に行って牧師になって川崎教会で自分の
後継者にならないかと言われたときには、胸を衝かれる思いでした。

その後の日立闘争の時には、運動を理解する人たちが圧倒的に少ない
中で李先生は、全面的に私たちを支援し後ろ盾になってくださいました。
当時20代初めの若い私たちが120%の力を出し、闘争に邁進できた
のも李先生の御理解と、私たちに対する深い信頼、愛情があったからだと
思います。

その日立闘争から「在日」の新しい歴史がはじまり、李先生は先頭に立ち、
マイノリティの人権の回復を願う地域活動を展開されました。
李先生なくては、今の川崎での「共生」運動の基盤は作られなかったでしょう。
李先生は最後まで、その信仰による自分たちの叫びが為政者をも動かし、
夢にも思っていなかった地域での運動になってきたと信じていらしたのでしょう。

晩年は私は「共生」の旗手となられた李先生とは立場が異なり、私たちは
「共生」を批判する論理を展開するようになりました。それでも、昨年の
7月15日の「共生を考える研究集会」では呼びかけ人になり、開会の
あいさつをしてくださいました。立場は違っても、後は君たちに
委ねる、思い切ってやりなさいというお気持ちであったのでしょう。

健康さえ許せば、7月21日の出版記念会にも参加し、また開会のあいさつを
引き受けてくださったことでしょう。開かれた「地域社会」を求めよ、私は
その目標は完全に李先生と一致するものと信じます。これからもわたしたちの
動きを見守ってくださるものと信じます。

今回出版される『日本において多文化共生とは何かー在日の経験から』を
李仁夏牧師に捧げます。

李仁夏先生、安らかにお休みください。ありがとうございました。

崔 勝久

0 件のコメント:

コメントを投稿