2007年11月29日木曜日

外国籍公務員がケースワーカーになれない理由の問題点

皆さんへ

韓国籍の川崎市の職員が、ケースワーカー希望で、3度断られて、
先週、4度目の申請をしたのですが、市がなんとか彼を抱きかかえ
ようとしながら断ったのは、ケースワーカーの職務でどうしても
「公権力の行使」によって「当然の法理」と抵触するものがあり、
それがクリアーできないので、だめだというのです。

それは、例えば野宿者が緊急入院して、「意思行使」ができない
状態の人に「職権」で生活保護を申請する「措置」をとること、
勿論、その決裁は上司がするのですが、その「職権」が「公権力の
行使」に当たるというのです。

これは韓国籍公務員の国籍による差別と私たちは主張してきました。
しかし元ケースワーカーの竹野さんによると、問題の根は深く、
そもそもケースワーカーというのは国民の「生存権の保障」をする
「補助機関」に過ぎなくて、「執行機関」は別の管理者だというのです。
そこまではこれまで私は理解していたのですが、問題は、「意思行為」
のできない野宿者を「補助」することを「職権」ということで
「公権力の行使」と理解する、その理解の仕方にありました。

竹野さんによると、これは国民の生存権の問題で、その「補助」をする
ためのケースワーカーの「措置」を「公権力の行使」とするのは、
間違いという考え方でした。

当事者のK君は、
「ここは私も同感です。国民の権利・義務を制限する職務ではなく、
給付行政なのですから。また、生活保護行政は、第1号法定受託事務に
属するものであり、さらに、執行機関に認められる裁量権の範囲も、
いわゆる自由裁量ではなく、覊束裁量という狭いものです。」という
意見です。

これはケースワーカーの存在そのものをどのように捉えるかという
大問題で、韓国籍の青年K君を拒む市側の主張は、国籍を問題にして
いるようで、その実、福岡の餓死事件のように、生活保護の申請に
対して審査し、認めてあげるかどうかは自治体が決める、やって
あげるという考え方なのです。

やってあげるという立場からすると「職権」で「意思行為」のできない
人の申請措置をするから、「公権力の行使」と考えるし、反対に、
国民の「生存権の保障」を「補助」するという立場に立てば、これは
「公権力の行使」でもなんでもないということになります。

国と自治体は勿論、これ以上、生活保護者を増やさないという
考え方ですし、ケースワーカーは被生活保護者の管理、チェックを
行う仕事と捉えている訳です。これは生活保護法や憲法に反する
というのが、竹野さんの意見です。

従って、国籍を理由にした差別問題で終わらせないで、国や自治体
が生活保護者をどのようにとらえているのか、ケースワーカーの役割
をどのように捉えているのかという問題にまで広げようと考え、来年
早々、学習会をもとうと思います。みなさん、いかがですか。できれば、
川崎市の人事課、ケースワーカーの人たち、参画室にも参加をよびかけ
たいと考えています。あくまでも一方の当事者である市の関係者にも
参加をしてもらい、ケースワーカーの「職権」と国民(住民)の生存権
との関係、そもそも「公権力の行使」とは何か、それと外国籍公務員の
「当然の法理」をどのように考えるのかを一緒に学習したいと考えています。

参考までに、「生活保護法」とは、社会権の一つである生存権のため、
対象は「国民」で、憲法解釈からすると、外国人は対象外なのです。
しかし、外国人登録法と同じで、「当分の間」、「恩恵」で外国人も
日本人と同じように、見てあげるという考え方で、これが北朝鮮帰還
問題とからまります。政府・自治体は、生活保護者が多い朝鮮人を
日本から追い出したかったのです。このことはモリス教授が記しています。
(テッサ・モーリスースズキ著『「帰国事業の影をたどる 北朝鮮への
エクソダス』(朝日新聞 2007)

またこの帰還運動は川崎から始まったのです。今回の韓国籍青年Kの
ケースワーカー問題は、植民地支配の問題、国・自治体の、国民の権利に
対する考え方の問題が関ってきます。それが「当然の法理」を軸にしながら、
川崎市と攻防をすることになります。

崔 勝久

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