2007年10月22日月曜日

「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その1)ー朴鐘碩

「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで (その1)

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」(「連絡会議」)は、昨年11月、「共生」を批判した「李仁夏青丘社理事長への公開書簡」(「公開書簡」)発行しましたが、川崎市は挑戦するかのように「外国籍職員の任用に関する運用規程-外国籍職員のいきいき人事をめざして-」(「運用規程」)を改悪し、外国籍職員の職務制限を182から192に拡大しました(2007年9月)。
今年2月20日『在日外国人の住民自治』(富坂キリスト教センタ- 在日朝鮮人の生活と住民自治研究会 編)に続いて、「共生」を賛美する『多文化共生教育とアイデンティティ』(金侖貞著9月7日)が刊行されています。

日立就職差別裁判闘争(1974年6月勝利判決)から生まれた在日大韓基督教川崎教会を拠点にした、池上・桜本の子供会(同年7月)を出発点とする地域活動から30年以上経過しました。多くの人たちが生活のため沈黙を余儀なくされ、「(就職)差別されても仕方がない。諦めるしかない。」と泣き寝入りしていたのですが、裁判勝利判決は「やればできる!」と、これまでの在日朝鮮人の価値観を覆しました。
礼拝堂で開かれた「裁判の結審前に開かれた勝利判決獲得をめざした地域集会で、あるアボジ(お父さんの意味)から児童手当と市営住宅の国籍条項を撤廃してほしいという意見が出され」(山田)、川崎市はこれを認めました。マスコミは、これを川崎方式として報道しました。
日立闘争を支援した「朴君を囲む会」は発展・解消し、日立本社糾弾闘争で繋がった各地の韓国人・日本人青年が教会に集まり、「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)を結成しました。川崎方式は民闘連を通じて全国に波及しました。子供会活動は、桜本学園から学童保育・ロバの会、たんぽぽの会、中学生グループに発展しました。
こうした地域活動は、生き方を求めている20歳前後韓国人・日本人青年たちの魅力となり、無償ボランティアの青年たちが増え、教育中心の活動となっていきました。
また日立闘争から生まれた「在日同胞の人権を守る会」に韓国人青年が集まり、地域で様々な活動を取り組みました。

結婚と同時に、私は地域(運動)を離れ(1981年)ましたが、その後、青丘社、教会を中心にした(青年たちの)活動は、指紋押捺拒否者不告発(1985年)、ふれあい館建設(1988年)、国籍条項撤廃(1996年5月)、外国人市民代表者会議(1996年11月)の発足などの成果を得ています。その効果もあり、川崎市は、市職労・人権運動体と共に「要求から参加」をスローガンに「共生」の道を歩み、「人権・共生」の街として全国に喧伝されるようになりました。「川崎市の施策の推進力となったのは、やはり『在日』の30年に及ぶ運動の蓄積と支持者の広がりが挙げられ」(山田)ます。様々な問題・課題があるものの、兎にも角にもここまで辿り着く道のりは、決して平坦でなかったと思います。

これまでの「在日朝鮮人と日本人の協働の実践が歩みだしたなかに、地方自治体をいかに巻き込んでいったのか、そして参画させていったのかを報告することにより、共生社会の形成に資することを念じている。」と、裵重度ふれあい館長が「あとがき」で書いています。しかし、青丘者・ふれあい館を中心とした運動体は、本当に自治体(川崎市)を「巻き込ん」だのか、「30年に及ぶ運動の蓄積」の結果、問題はないのか、何が見えてきたのか、今後の課題は何か、どのような「共生社会の形成」を目指すのか、私は検証したいと思います。
川崎の「共生」をテーマにする場合、差別を制度化した「運用規程」、阿部市長の「外国人は準会員」発言は、避けて通れない問題です。

【阿部市長の「外国人は準会員」発言】
「日本政府をはじめ地方自治体の在日外国人に対する施策は遅れに遅れている。のみならず、排外的行為や言動が後を絶たない。」と、裵館長は「あとがき」で書いていますが、彼は市長の発言をどのように受け止めたのでしょうか?
外国人市民代表者会議委員長をした李仁夏、中村ノーマンの両氏が市長と会い(2002年4月8日)謝罪・撤廃を求めるのではなく、李牧師は「社会構成員を極端に排除すると、テロが入り込む可能性がある」と「脅迫じみた」言葉で「準会員」発言を「口封じ」しています。李牧師の発言は、「外国人=テロリスト」と誤解されます。
その後、市長は言わなくなりましたがそれはあくまでも市長の政治的な判断です。それをあたかも李牧師は、自分の「口封じ」によって発言がなくなったかのように誇示していますが、それは、李牧師の驕慢です。「『口封じ』で発言をしなくなったからいいではないか」と李牧師は誇らしく言うのですが、そうではなく、民族差別と闘う運動の先頭に立ってきた者として、自治体首長である市長に「準会員」発言の撤回と謝罪を求めなければなりません。
川崎・横浜・神奈川の人権運動体・組合・教会は、抗議文でなく「申入書」を市長に提出しました。しかし、市長から「準会員」発言に関する謝罪・撤回がないにも関わらず、従来どおり「共生」施策を続けるという回答の後、彼らは沈黙しています。
革新市政の時、「市民」に全ての外国人を含めようとしましたが、現在の阿部市長は最終的に外国人をどのように位置付けたのか、市長の「準会員」発言は何だったのか、川崎に住む外国人は市民なのか、住民なのか、市のいう「外国人市民」とは何なのか、日本籍をもつ市民とどのように違うのか、それ自体曖昧です。

【「共生」を推進する川崎市の問題点について】
川崎市は、法律ではなく単なる国(自治省)の見解にすぎない「当然の法理」を理由に、採用した外国籍職員に職務制限する「運用規程」を作成し、差別を制度化しました。市はこれまで交渉で「制限した182職務を見直しする」と言っていましたが、制限する職務を削減・緩和するのではなく逆に拡大(192職務)しました。
市は、自治省の見解である「当然の法理」を「命令・処分等を通じて、対象となる市民の自由の意思にかかわらず、権利・自由を制限する職務」と解釈・規定しています。職員は、上司の許可も無く勝手に「市民の権利・自由を制限する」ことできません。いかなる職務も法律に基づいて上司の許認可を受けて執行します。民間(企業)の従業員も必ず上司の許可を得て業務を遂行しています。国籍で職務を制限すれば労基法違反になります。何故、上司の許可を得て法律に従って業務遂行する職務を国籍で制限するのでしょうか?例えば、墓地、納骨堂への立入検査、理容師、美容師、クリ-ニング、公衆浴場などの開設、営業停止に関する職務まで外国籍職員に制限しています。

市職労は、市当局が外国籍職員の職務制限を182から192に拡大したことに沈黙していますが、差別を正当化した「運用規程」の副題は、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっています。しかし、これは全職員を対象にした人員削減(合理化)を盛り込んだマニュアルです。

市は、職員の中長期の合理化のために、民営化を推進し、廃止する部署には職員を配置せず、現状人員で賄い配置転換します。そのキ-ワ-ドは「能力の活用」という建前の「ジョブ・ロ-テ-ション」です。今年100名、次年以降約1,000名規模の削減も計画しているようです。こうした人員削減計画は、2010プラン(第二次中期計画)に向けた全体の「いきいき人事システム」の具体化の中で、その1コマを支える形で「運用規程」を、市は完成させたのですが、これに関しては一切不問に付されています。
市職労は、そもそもこの全体の構造を検証することなく、「外国籍職員のいきいき人事」ということで、[いいことであるから]とそのまま黙認しました。市当局は、「外国籍職員のいきいき人事」と謳いながら、実は職員削減のために外国人を出しに使った、ということが対市交渉で分ってきました。外国人の「門戸開放」があれば、それが全体としてどのような流れの中で提案されても、それは運動の「成果・勝利」として評価されるのでしょうか?

山田職員は、「日立闘争の与えたインパクト-地域活動の開始」の中で「日本人側の運動-日立闘争後・・・やはり『在日』と恒常的に接点をもてる教員(日立闘争を『在日』の高校生の進路保障の問題として取り組んだ県立高等学校教職員組合)と自治体職員(川崎市職労)の運動だけが続いているといって過言ではない。川崎では日本人の労働運動が先に課題を発見し、『在日』の運動と教育が成立した」と運動体と教師・市職員組合との共闘を書いています。
市職労傘下組織で華々しく発足しながら、今は全く機能せず解体状態の「外国籍組合員交流会(外交流)」があります。「民族差別撤廃の取り組み」を謳う彼らは、自らの権利を侵害している「運用規程」に沈黙しています。
本名問題や民族差別発言には積極的な外国籍公務員は、「運用規程」改悪や大規模な組合員削減計画で外国籍職員を利用し、市当局と一体化する組合執行部にものが言えないのでしょうか?これこそが「共生」の実態を示すものなのではないでしょうか?

「指紋押捺反対闘争は地域活動から出発」し、「運動の全国への波及には自治労の果たした役割も大きかった。自治体の職員がカウンタ-の向こうに立つ外国人がどのような思いで指紋を押捺していたのかを実感し、『なんとなくおかしい制度』と感じていた職員を制度の廃止へと運動化した功績は大きい」と書いています。
そうすると市職労は、労基法に違反する「運用規程」は差別であると見解を出しているのに、組合員である山田はじめ自治労は「なんとなくおかしい制度」を、何故「運用規程」の「廃止へと運動化」しないのでしょうか?

「日本の労働運動の民族排外主義との闘いは十分な広がりも深まりもみられなかった。不況下でさらに保守化していることが危惧される」のは市職労も同じです。組合執行部が組合員の権利侵害を黙認することは、「民族排外主義」以前の問題です。「川崎市の先進的な取り組みに熱い期待を寄せて就職した二十台の若手職員等、層の厚さも他都市に比較すると誇れる財産であろう」、一体、山田氏は何を見てこのようなことを記すのでしょうか。市当局、市の組合を「共生」への関心、関り(その内容こそが問題であるが)
を基準にして評価する山田氏の根本的な姿勢が問われるところです。
また、日立闘争を経て川崎市役所に入った山田職員は、外国人登録業務を携わり、韓国・富川市との文化交流を推進しました。「一部制限付きであるが一般事務職の国籍条項撤廃等の先駆的な外国人市民施策を展開するようになった」「日本の帝国主義的な侵略と植民地支配の歴史が何をもたらしたのかを知ること、その歴史を批判的に顧みることなく、戦後補償を放棄していることが、歴史を創造する主体としての日本人一人一人にどれほどのマイナスをもたらしているのかを深く自覚することだ。」(世界1998.10)と書いていますが、職場の「運用規程」の問題に関しては一言も触れていません。
「一般事務職の制限付国籍条項の撤廃」は、「『当然の法理』を制限した『川崎方式』の限界と問題点はすでに研究者や運動団体が指摘しているのでここでは割愛する。」(「在日外国人の住民自治」)と、組合員である山田は「運用規程」の問題を展開すべきなのにここでも避けています。彼は、自分の生き方・価値観が問われるいちばんしんどい問題と向き合うことから逃避しています。
「共生」を批判する-川崎市職員組合に問う(http://anti-kyosei.blogspot.com/)参照。
市民団体である「連絡会議」が結成されて10年になり、対市交渉は18回に及びます。依然として粘り強く「運用規程」廃棄、「準会員発言」の撤回と謝罪を求めています。
常に「先に課題を発見して」、http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html、「連絡会議ニュース」で公開しています。

【外国人市民代表者会議】
阿部市長は、「マイノリティである在住外国人が暮らしやすいまちづくりは、すなわち市民誰もが暮らしやすいまちづくりに他ならない・・・この(外国人市民代表者)会議のキ-ワ-ドのひとつとして『要求から参加へ』が謳われています」(自治体国際化フォ-ラム2003年1月)。
しかし、外国人市民代表者会議も「運用規程」と同じように、弱者が強者に凭れかかる寄生であり、パタ-ナリズム(温情主義)です。外国人の「市政に参加」するという建前だけで、市はみせかけの「共生」をアピ-ルしたいために外国人を利用したにすぎません。実態は市政に「外国人市民」の声を反映しない市長の御用機関であることは初めから分っていました。「資料の作成、議事録のまとめ方、提言の文章化等では教科書のように厳しい点検を受けた」と山田が書いていますが、代表者会議は市長の御用機関であるからこそ、たとえ拘束力のない提言であっても都合よく捏造します。
市政に外国人住民の声を反映するという、誰もが信じて疑わない「共生・民主主義」を建前にしながら、実態は市(事務局)の越権行為によって都合の悪い、行政を批判する意見を潰し、削除していることは対市交渉で明らかになっています。
市当局のホ-ムレスの人たちへの対応・施策を見れば明らかですが、日本人住民の声を反映しない行政が、外国人住民の要求に応じることはありません。「連絡会議」が提起している「運用規程」、市長の「外国人は準会員(2級市民)」発言を代表者会議で取り上げることもありません。これは労使協調(「共生」)を名目にした、組合員の声を反映しない連合の企業内組合幹部と経営者の関係と同じです。

李牧師は「外国人市民代表者会議が、市長の諮問機関として設置されて、そこの26名の委員の中に『在日』は今現在6名です。当時7名から発足して、今は朝鮮籍が3名で韓国籍が3名という形です。」語っていますが、そもそも公募で、「市民代表者会議」なのに何故民族組織・運動体(青丘社・民闘連)から委員を選出したのか極めて疑問です。
1997年1月26日「国籍条項完全撤廃を求めて・川崎集会」の準備過程で、私は「初代の事務局を努めた」山田に会い、「公募と謳いながら、何故既成民族組織・運動体から予め委員を選出するのか?日立闘争の時、民族組織がどのような姿勢であったか、山田はその組織の実態をよく知っている筈だ。」と問いましたが、彼は頷くものの沈黙し、応えませんでした。その後、市は理由を明らかにしないまま組織からの選出を辞めて「公募」に変更しました。しかし、委員の中には青丘社・ふれあい館と関係する人物が必ず含まれています。
「同化でなく共生を」求める李牧師、裵館長2人は本当にこのような外国人市民の声を無視し、現実と乖離した代表者会議を望んだのでしょうか?「人権運動」のやり方、その「成果」に問題はなかったのか?という反省と点検作業が一切なされていません。
外国人市民代表者会議は「共生」のシンボルになっていますが、市長の御用機関であり、ガス抜きであることは明らかです。上野千鶴子さんも「共生を考える」集会(7月15日)で語っています。

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