2021年9月12日日曜日

田川建三著『キリスト教思想への招待』を読んで

田川さんのこの本を久しぶりに再読しました。2004年発行ですから17年ぶりということですが、共鳴し学ぶことの多い本でした。

田川建三著『キリスト教思想への招待』 第四章 終れない終末論 九 結び より

「どうか二度とこういう(ヨハネ黙示録のような)本が書かれることがありませんように。しかし、そのためには世の中が、黙示録なんぞを必要としない世の中になっていなけばいけない。そうでない限りは、ヨハネ黙示録は、形をいろいろと変えながら、いつまでも書かれ続けることだろう。」 「我々は、せめて、そういう世の中が早く来ることを祈ろう。今のところ絶望的だが、いつかきっと、人々がそのような怨念をもたなくてすむ世の中になるだろう、と信じることにしよう。いや、少しでも我々のちからで、そういう世の中を招き寄せようではないか。」 「もっとも、そういう前にまず、我々自身が二十世紀前半においてアジア諸地域において大量に生み出された黙示録的怨念の責任者だという事実を正確に認識しておかないといけない。」 「その事実さえなかったことにしようという日本人が増えつつある、極めて危険な事態である。」 「人類がみずからの手でみずからを滅ぼすのが先か、それとも、黙示録が書かれなくてもすむ世の中が到来するのが先か。」320頁

第二章 やっぱり隣人愛 ドイツ農民戦争:「宗教改革当時の農民運動は、都市住民の自治を求める運動と重なっていた。」 「都市生活の自治とは、ここに生きるすべての人間の役に立つように都市が運営されないといけない、ということである。都市市民が運動において求めたことはすべて、この目標につながっている。別に、1525年のシュヴァーベンの農民だけの特色ではない。 中世公判を通じて、全ヨーロッパでどんどん伸びていった自治を求めるという趣旨の基本理念である。」 「出発点においては、「教会」という小さな信者の集団の中でしか当てはまらない倫理的目標として考えられていたことが、こうして、中世の教会を通じて、社会全体の目標になっていった。」 「中世の都市は、ほんのいくつかの例外を除いて、お互いに顔と名前を知ることができる程度の人口であった。けれども、ヨーロッパの「民主主義」は、基本は、いきなり国家規模の政治体制などを考えるのではなく、こういうそれぞれの町村、都市の住民自治を積み重ねた上で考えられている。」 「町村共同体」と訳されてきたGemeineという単語を「ルターは「教会」の訳語として用いた」。 ルターの聖書翻訳を読んだ人々が「『教会』とは、自分たちの上の方にあって、自分たちを指導、支配、搾取、しばしば抑圧してくる組織ではなく自分たちの住民自治の場所なんだ、と思ったのは当然である。」 「だから彼らは、宗教改革を住民自治の実現とみなすことができた。」163頁

0 件のコメント:

コメントを投稿