2021年5月8日土曜日

青野太潮さんの田川建三批判について

青野太潮さんの本を読んでいます。『「十字架の神学」をめぐって』(信教出版社)です。 青野さんは私のICUの先輩らしく、学生時代、田川さんから多くを学ばれたようです。しかし、ご自分の翻訳を田川さんが批判したからといって、田川さんを「おぞましき自信」と「あまりに幼児的」な持ち主として批判されるのはいかがなものでしょうか。

学問的な批判であればいいのですが、青野さんの場合は田川さんの「人格批判」のように思います。青野さんの講演集はまだ読み終えていませんので、いずれ読後感想文を書きます。

田川さんが聖書学者として「口語訳と新共同訳以外のすべての訳をこのように十把ひとからげに酷評しながらも、 田川先生自身はきっと今回のご自分の訳は決して『いずれもう少し時間がたてば忘れられて、まったく言及する必要もなくなる程度のものである』とは思っておられないだろう、ということのもつ問題性です。」18頁

田川さんがどこかでそのような趣旨のことを書いているのでしょうか。書いておらず、青野さんの推測で書かれたのであれば、それは僭越というものでしょう。田川さんはご自分の訳が後世残るとは思っていらっしゃらないでしょうが、その訳を生み出した学問的な取り組みはご自身の研究の成果ですから、自信をおもちでしょう。当然のことです。

福岡には友人も多く、今度福岡に行ったときには青野さんにもお目にかかってICU時代のことを含めいろんなことを話し合いたいなと思っていました。勿論、今でもその思いは同じです。しかし恩師である田川さんのことを、「おぞましき自信」と「あまりに幼児的」な持ち主と書く必要があったのでしょうか。その点は正直、ひっかかります。福岡でお目にかかる前に、青野さんの文書を目にしたものですから、私の感想を述べます。

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