2021年3月17日水曜日

田川建三『キリスト教思想の招待』より

聖書を原文でなく日本語で読む私には、田川訳と新共同訳の違いは以下のような説明を読み初めて理解できる。

神は一人の人から全人類を造りだし、大地の全面に住まわせ、秩序ある時を定め、また彼らの住むべき場所を定めてくださった。(1954年 使徒行伝17:26)


新共同訳(1987年)

神は、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地上の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのある。

田川の主張は、

「「全人類」を「あらゆる民族」などと訳すと、民族なるものの起源がアダムにある。という意味になってしまう。これは単数形で「族」を意味する。全人類を他の生き物と区別して、一つの「族」とみなしているのである。つまり、人類全体の創造を考えているだけだ。」(22頁)

「全人類を指す単数形の「族」という語に複数の「諸民族」の意味を読み込み、あまつさえ、「諸民族」と言えば世界を帝国主義的に支配する民族のことしか考えることのできない頭のもたらした結果である。」(23頁) これは、「聖書の伝統的翻訳なるものをお読みになる時に、何を注意しなければならないのかを、よく教えてくれる実例の一つである。」という田川の主張はもっともだと思われる。

また、「住むべき場所」を「国土」と訳していることについて田川は、「国境線などというのは、近代国家が成立してはじめて考え出されたもの」と批判する。これも田川の主張が正しいように思えるが、どなたか原文を読める専門家のご意見はいかがでしょうか?

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