「第一部、第二部の崔勝久さんが淡々と語られているライフヒストリーや、日立闘争、鄭香均さん支援闘争には、ただただ頭が下がる思いで拝読しました。
第三部の「人権の実現について」「原発体制と多文化共生について」の2篇はとりわけ私の心に深く染み入る論文でした。植民地主義の病が日本の現実社会の中にどのように立ち現れているのかを見事にとられ、その代案が明確に示されているからです。
国籍を超えて住民が生き延びる地域の変革なくして、在日の人権の実現はかなわないというご指摘は至当であると思わざるをえません。地域住民の対話を通して目指される住民自治の地域再生は大きな希望です。このような境地に至る崔さんの孤独な日々の闘いに思いを致さざるを得ません。」
もうお一人、ご自分のブログで公開されておられる愛知県の明通寺の坊守(住職夫人)である北條良至子さんの拙論に対する心のこもった感想文を紹介させたいただきます。
「日本人こそ読むべき本を在日の方々が一生懸命学んでおられる怪😱
先日、出版された崔勝久さんの「個からの出発ー地域当事者としてーある在日の歩み」にせよ、安川寿之輔の福沢諭吉論にせよ、一体、どれほどの日本人が真剣に読もうとしているのかを思う時、暗澹たる気持ちになって、もう何も言いたくなくなってくる自分がいます。
安川寿之輔の福沢諭吉論など、もう20年も前に安川先生が地元の市民講座を連続で企画して下さっていました。が、今再度FBで注目されている投稿のほぼは在日コリアンの方々です。
そして、崔さんのご著書のタイトルには、わざわざ「地域社会の当事者として」との副題が付いているのですが、日本の地域社会の当事者であるほぼの人達には、この副題も、一体、どれほどの日本人の心に我が事として引っかかっているのでしょうか❓
私は数年前、ふと目に止まった「自治基本条例作成委員会」募集の言葉に惹かれて、そこにささやかな希望を見つけて応募いたしました。国の政治にも責任はあるけれども、結局はそこに繋がる地方行政が正しく機能しているかどうかについて、自分が市民、住民という当事者として責任を感じた故でした。そこで感じたモヤモヤした疑問。
この度の崔さんのこの本を読み進める過程で、ああ、この事だ!と私の中でのそのモヤモヤをズバリ言い当てて下さっている箇所に出会う度に、この本こそ、今、日本人が読まねばならない❗️と痛感しています。
川崎での取り組みについての中で、179pの数行こそは、まさに日本人の問題そのものです。
「当然の法理」に絡めた川崎での公務員起用という一見開かれた門戸の中に厳然としてあった「当然の法理」について。以下文中より
「これは結局、戦後の「平和と民主主義」とは何であったのかを問うことになります。経済復興を目標に「平和と民主主義」を掲げながら植民地支配の清算をしてこなかったことが、外国人への差別が一般市民の中で黙認、当然視されてきた根本的な問題だと言えます。これは戦後の日本の運動が植民地主義の清算の問題を直視することなくアメリカの核の傘の下で、一国平和主義に終わってきたことと関係するでしょう。
これは国のあり方を問う問題ですが、同時に地方自治体の自立の問題でもあります。」
これが日本人の重大な課題でなくて、一体誰の課題でしょうか❓
また、川崎での青丘社・ふれあい館の問題に言及しながら、以下161pより
市の依託事業として完全に経済的に従属した状態になっても、市のパートナーとして、相互批判と情報公開の原則に立って、市の抱える問題を指摘・批判することができるのでしょうか。これは青丘社・ふれあい館の問題であると同時に、日本のNPOが抱える問題でもあります。
このNPO団体、活動のあり方についての鋭い指摘こそは、日本人の問題、課題ではないのでしょうか❓
ここに、私が最近抱えているNPOというものへの限界と疑問が端的に書かれていて、暗雲が一つ晴れた思いです。
何でもかんでもNPO法人、団体にする事が流行っているのですが、そのメリット、デメリットについて、日本人こそはこういう点についてもよく考えるべき課題だと思います。
日本は平和だとノホホンと暮らす同じ日々では、又、何故こんな生き方をしなければいけないかと日本の異常さに悩む日々でも、到底気付かない、この本の中でのこうした鋭い問いかけについて、日本人自身が向き合い考え始め、日本社会が身近な日常から変わり始めるとき、ようやくこの国も本当に変わり始めるのではないか?と感じる次第です。著者が人生の歩みの中で苦悩し感じて来られたこれらの問いかけこそは日本社会にとって、本当に重要なものだと感じます。
民族的であれ宗教的であれ社会奉仕的な活動であれ、どこかの組織に属してその活動に埋没していては中々気が付かない盲点。「個からの出発」をと呼びかけて下さる著者ご夫妻の歩みこそは、それらすべてを包括しつつ越えて日本社会全体が一歩前に前進出来る願いのこもったタイトルだと改めて感じます。
大臣が何人替わろうとも、又、どんな政治家に希望を託そうとも、私達自身の日常で私達自身が変わらねば、国の政治も変わりようがない❗️と感じてきた事のモヤモヤが、スッキリと明確になったこの著書に出会えた事に、心底より深謝。
「個からのの出発」第三章はかくして、遅々として読み進めがたい章です。」
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