オクロスの読者のみなさん、私は100日ぶりのカムバックです!ようやくパソコンの前で自分の文書を書きはじめることができるようになりました。
昨年の末、背中の痛みに耐えられずいくつかの病院を訪ね、特に癌患者の状態の変化に応じられる病院ということで今の川崎市立井田病院を紹介されました。即日入院でした。生来的に肺機能が脆弱であることろに(高校までバスケットをやり、健康には自信をもっていたのですが)体内の廃棄物がなんらかのかたちで肺に「悪さ」をしたとのことでした。
同時に前立腺癌の背骨への転移が発見されその治療にために10回もの放射線療法をおこなったことで背中の痛みはとれたのですが、その放射線治療によって肺機能に障害が生じたようです。肺は多くの背嚢によって成り立っているのですが、その背嚢の表面が固くなることで肺機能が低下するのだそうです。それを薬剤でやわらかくするというのが唯一の標準治療とのことでした。そういう状態で2カ月間入院しベッドから出てはいけないという厳戒態勢の下で過ごしたものですから私のモモ、ひざの筋肉は驚くほど衰え、細くなりました。
しかしありがたいことに関東地区だけでなく、大阪からも友人が見舞いに来てくれ、私を勇気づけてくれました。みなさん、私が重篤だと聞いていたものですからやせ衰え、一人で動けないと思っていたらしく、私がいつもと同じようにベッドの上で快活に話すものですから、どっちが病人かわからないと苦笑するひともいました。強がって無理してそんな態度をとったのではなく、私の生来の性格なのでしょう。
2カ月の病床生活の間、多くの本を読むことができました。聖書、特に普段読まない旧約聖書を読み考えさせられることが多くありました。旧約は明らかにユダヤ民族宗教の歴史を書き表したものです。しかしその中に普遍的な思想や、人間の生きざまが表されていると痛感しました。
友人の訪問は大変うれしく勇気づけられましたが、妻は私の入院中、毎日病院に来てくれ、私はぶっきらぼうに、ああ、来たのとか、何々を持ってきてほしいとか全くかわいげのない態度だったのですが、実は、妻が来てくれるのを私は毎日待って、待って、待ち望んでいたのです。そしてようやく2カ月ぶりに退院の日が来ました。そして今は、退院後1か月が過ぎました。
3週間に1度、これからはおそらく半年に一度という頻度での提起検診ということになるでしょう。残された人生、今は川縁のマンションでの妻との二人暮らし、妻は70歳になっても保育士として現役です。私は地域活動と事業、引退後は日韓反核平和連帯の運動にも精を出していますが妻に支えられてここまでやってこれたと痛感しています。
よくなったからという自己判断で病院に来なくなってはダメよと医師からも言われましたが、私は今年で75歳、今後どれほど生きていけるかわかりませんが、病と共存していくしかありません。もう来なくていいと言われるまで病院通いは続けます。なんらかの疾患をもちながら生きていくのは当たり前のことです。健康とはなにかというのは実は、そんな簡単なことではないようです。人は体内でウイルスや病原菌をかかえそれらと共存しており、なんらかの理由でそのバランスが崩れたときに病になるのです。
私は元気になりました。歩くときは杖を使わなくても別に問題はないのですが、できるだけ使うようにしています。今は、日韓両国で拙著の出版を実現させようと思います。さいわい、両国で拙著の発行に支援、協力してくれる人がいるので出版されることは間違いないと確信しています。
別に大したことはしてこれなかったのですが自己主張が強いせいか、私の不徳のせいで組織からリコールされたり一緒に運動をしてきた人たちからも嫌われる人生でした。申し訳なく思っています。しかし悔いはありません。残された人生、全力をあげてアジアの平和構築、反核平和連帯の運動に関わっていきます。みなさんのご健康とご活躍を祈念して。
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