2019年7月30日火曜日

韓国の金民雄教授、〈韓日協定、何が問題なのか〉ー(その5)

〈韓日協定、何が問題なのか〉5
言われてみると、韓日協定の論議でサンフランシスコ講和条約の性格を把握することが、実に大事になってくる気がします。
ところで韓日協定に対して問題を提起すると、この条約を取り上げながら“"国際法"も知らないのに”という話も聞こえてきたりします。私たちが国際法も知らないし、守ることもできないという主張でしょう。このことはあっていますか?
いいえ、そうではありません。
もう一度強調いたしますが、私たちはサンフランシスコ講和条約の署名当事者、署名当事国ではないので、私たちに負荷させられた義務や強制条項はありません。日本が放棄しなければならない権利、日本が責任を取らなければならない義務があるだけです。署名当事者、署名当事国間の国際法にすぎないのです。私たちは必要な部分だけ根拠や参考事項にすればいいのです。私たちが受けいれられないことは受けいれない権利が自動的にあるのです。
その上この条約は、私たちとしては到底受けいれられない内容を秘めています。
(5-1) え?それはどういうことですか?
サンフランシスコ講和条約は韓国を植民地から"解放"された国としてではなく、日本から"分離(seperation)"された地域として取り扱いました。
"解放された地域"と"分離された地域"の区別は実に重要なことです。韓国は日本が不法的に強占して得た植民地ではなく、朝鮮と日本の間で併合条約を締結して国際法的に正当に取得した領土なので、敗戦でその権利が放棄されて、日本の国家から分離しないといけない地域という論理です。日本の思う壺です。
戦勝国が自分たちに浴びせた戦争被害責任は 日本に問いただすとして、植民地賠償の問題を伏せてあげるという方法で処理したのです。ここから正当な韓日関係ではなくなっていきます。
(5-2) あまりにも酷いじゃないですか。
そのとおりです。私たちの立場では実に不当な条約です。今でも腹が立って必ず問いただしたい内容です。この責任は第一にこの条約を作ったアメリカにあります。
その上、私たちよりも後に政府を樹立した日本(1952年)が、先に政府を樹立した韓国(1948年)の独立を承認するということは話にならない条項です。(第2条(a))
こうなると私たちは1948年ではなく、1952年の承認によって独立したことになります。
こんな条約をどうして私たちが受け入れないといけないのでしょうか?批判と糾弾の対象でしょう。
1952年第1次会談当初、韓国側の代表団もまさにこの問題を提起しました。あきれ果てて言葉もでなかったことでしょう?
(5-3)国際法に対して新たに考えるようになりました。
ええ、そうこなくっちゃ。
日本は植民地処理問題が明らかでないサンフランシスコ講和条約が、韓日関係を整理するのに自分たちにとって有利だから、国際法という主張でこれを根拠に私たちに詰め寄ってきたのです。
このことに関連した韓国国内の保守系マスメディアや一部の知識人たちの"国際法云々"という主張も国際法が何なのかきちんとわかっていない無知な発言にしかすぎないのです。
(5-4)それならばサンフランシスコ講和条約の基本的な性格と本質はどういうことになるのでしょうか?
サンフランシスコ講和条約は互いに戦争をした国々が、戦勝国と敗戦国間の関係を整理する条約です。一つの体制、言いかえると"戦後秩序"といえます。しかし敗戦国である日本を含めた旧帝国主義国家間の植民地処理問題をきちんと考えなかったのです。
人類普遍の歴史的観点で見てもサンフランシスコ講和条約は時代に逆行するものでした。
植民地の時代が終息するする時代に、最も重要な主題は"脱植民主義"作業です。この問題が含まれていない講和条約と戦後秩序は、当然問題を提起しなければなりません。
この条約と秩序が日本の戦争責任を問うて、既存の権利を放棄させる戦後処理の機能をしたとしても、その秩序の植民主義的本質は克服されないといけません。
(5-5)どうすればいいのでしょうか?
日本は今からでも一日も早く、韓半島全体に対する不法的な統治と植民地被害に対して、根本的謝罪とともに、1965年韓日協定体制で無理やり除外した清算の実際的な過程を踏まないといけません。これが答えです。きちんと解決しないとこれからもこの責任から抜け出す道は決してないでしょう。

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