平壌の空は青かったー(4)マスゲームの素晴らしさ
文在寅大統領が昨日平壌でマスゲームの後、15万人の観衆を前に演説したスタジアムは今回、私たち祖国訪問団もマスゲームを観賞したところです。私たちは観覧席の前から二番目で、後ろのバルコニーには金正恩委員長が中国No.3の要人と現れ、その顔、頭までよく見えました。
スタジアムでマスゲームをする何万という人たちが全員、万歳(マンセー)と叫んで金委員長に手を振るのです。その「マンセー」の声は未だに私の耳にこびりついています。北京への機内で隣り合わせになったドイツ人がいみじくも言ってましたが、彼らはマスゲームを見にきたそうで、それは見事なものでした。皮肉れ者の私は集団でマスゲームがなされればきっと、その中の一人や二人失敗するものだと思っていました。しかし一糸乱れぬ演技とはこのことを言うのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=DtxsKe2eDW0
https://www.youtube.com/watch?v=DtxsKe2eDW0
日中のマスゲームだけでなく、夜、大学生による松明の人文字や絵柄を表わすマスゲームが同じ会場でありました。数万人の演技者です。彼らもまた演技の途中で全員、「マンセー」を叫ぶのです。見事な演技というより、私はそこにカリスマ支配による政治体制を敷く北朝鮮の核なるものを見たように思いました。支配は上からの一方的なものでなく、下から応えるものがあって成り立ちます。訪朝中に読み始めた、フランス在住の社会心理学学者の小坂井敏晶著『民族という虚構』(2002、東京大学出版社)を是非、参照ください。
建国70年の祝賀で全国民はもちろん、世界中に報道されることを前提に準備をしてきたのでしょう。事実、私が会った四人組のジャーナリストにどこから来たのかと聞いたら、あのアメリカのCNNだと言ってました。ヨーロッパ、中近東、アフリカ、中国、ソ連からの観客が多いように感じました。カナダ、北欧の青年とも会いました。北朝鮮は決して世界で孤立していません。それは逆に日本社会で作られた偏見だと思います。
平壌の空は青かった ー(5) 北朝鮮への帰国事業とは何だった のか
テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス』ー梶ピエールの備忘録より
「誰もが「それはおかしい」と思いながら、 何らかの理由で誰もそれを言い出すことができず、 結果として最悪の選択がなされてしまうことがある。 日本にとってあの長い戦争がとりもなおさずそのようなものであっ たことは言うまでもない。」
今回私が北朝鮮に行けたのは総連の祖国訪問団に加えてもらったか らです。 いわゆる韓国の民主化運動に関わり反原発を唱える韓国人は15万 人の建国祝賀会に私以外、誰もいなかったのではないでしょうか。 もちろん、祖国訪問団に参加した30名のメンバーにおいても同じ です。この30名の人たちは、 何らかの事情で帰国事業で共和国に帰国した肉親に会いに行った人 たちです。彼らの共和国訪問の動機、 その背景を記すと一冊の本になるほど、 在日の歴史を反映したものだと思います。
北に「先に帰った」 肉親に会いに衣類とお金を持って祖国訪問に加わった人が大部分で す。 私は日本で事業をしながら北への想いを強め弟と妹二人を帰国させ た長男が亡くなり、 その意志を継いで北で二人の妹の世話をし続けた次男の兄と二人の 妹とその家族達に会いに来た、これが十数度目の訪問いう、 ある在日と板門店に行くバスで隣り合わせになりました。 彼は事業のために帰化し日本名を名乗っていました。 北にいる甥っ子たちと直接話ができるようにと「韓国語」 を独学で習得し、実際、 韓国人とは何に支障もなく対話ができるようになったという努力家 です。 しかし北朝鮮の北部の港湾都市に送り込まれそこで生まれ育った甥 っ子達とは全く(方言のため)会話が成り立たず、 失望したと言ってました。
もちろん彼の兄と妹とは50年経っても日本語はそのまま使えてそ の在日は日本語で話しをしていました。 私は苦労をしたと聞かされたその在日の兄とバスで話をしました。 私は言葉が出ず、大変でしたね、とだけ伝えたところ、 彼は涙ぐみながら「仕方がなかった」とだけ応えました。 以下は彼の話と、 彼の兄妹から現地の話を聞いた在日の話しを総合したものです。
60年の前半に帰国した彼らは北朝鮮のチョンジン(清津) という港湾都市に送られたそうです。 配給制度はとっくになくなり、 生活費は自分たちで稼がなくてはならず、 それではとても足りずに、 日本の弟からのお金に頼っていたそうです。 その在日によるとこれまで3000万円くらい使ったとのことでし た。会社をとっくに畳んだ彼は、 もうこれが最後だよと言い聞かせたそうですが、 おそらくそうはならないでしょう。それが肉親であり、 北朝鮮の状況はそんなに急変しないでしょうから。
共和国の官僚(特に幹部) には配給制度が整備されているようですが(参考資料、 北朝鮮リサーチ、配給制度、地方ではとっくに有名無実になっており( 平壌での実態はわかりません)、 特に帰国事業で北に住む在日たちは、日本の身内からの支援と、 かすかな副業で生計を立てているとのことでした。
私と話した在日は徹底的に北の政治状況には批判的で、 上から下まで全て賄賂で、「腐りきってる」と辛辣です。 私は一切、反論はせず、ただただ彼の話に耳を傾けました。 そこからうかがい知れるのは、 熱烈な祖国を思う気持ちで参加した帰国事業がもたらした悲劇です 。 この在日の長男は弟や妹が日本では今後の生活が思いやられるので 、 共和国に帰国させれば大学生活ができると考えていたようで す。その在日は二人の兄が日本にいるときに、マルクス・ レーニン主義に染まったから( 社会主義国家の北朝鮮に幻想を抱いて帰国するようになった) と思い込んでいるようでした。
他の祖国訪問団に参加した人たちもほぼ同じような事情があるよう でした。肉親には会いたいが、 お金をその都度持っていかなければならないのは負担が大きいと感 じているようで、もうこれが最後と言ってる人が多いようでした。
全ての人はそれなりに北朝鮮の実情を知っていて、 誰もが批判を口にしません。 口にしたら誰かに迷惑がかかるというより、 北の実情をそのまま飲み込み、 黙って受け入れようとしているようでした。 大部分の人は民族学校で学び、 総連の組織活動に関わって来た経歴を持つ人たちです。 生半可な共和国批判は謹んでいるのでしょう。 民族の矜持と祖国に対する思いがそのようにさせているのではない でしょうか。
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