2017年12月6日水曜日

澤野先生の「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第8回

毎月大阪で行われている澤野さんの前月の講演記録が好評です。合わせてお読み下さい。     崔 勝久

日本が核兵器禁止条約に賛成しなかった理由は本当なのでしょうか? 実際のその理由はマスコミでも解明されていません。核兵器の禁止を求める世界の動きと国際条約の内容を明らかにし、その上で日本政府の核政策の歴史と現状がいかに世界の流れとは違うのかを示しながら、具体的なあるべき政策を提示しています。

非核3原則は実は4つの内容(①非核三原則、②日米安保を前提にする米国の「核の傘」への依存、③積極的核廃止提案とは一線を画した核軍縮外交、④原発推進)を含んでおり、核兵器禁止条約と原発禁止条約は本来、ひとつになるべきという、憲法学者としてのまさに正論、直言です

日本政府が核禁止条約禁止に賛成しなかった理由とその歴史的な背景ーー澤野先生との輪読と勉強会より

http://oklos-che.blogspot.jp/2017/11/blog-post_4.html

   2017年12月5日 
   澤野先生の「平和憲法とこの国の自立を考える」
   輪読&勉強会 第8回



日時:2017年11月25日 
14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

要点

1.無防備都市
 ・1997年のジュネーブ条約追加議定書により、無防備都市を攻撃する と国際犯罪になる。
・日本の地方自治体が戦争に巻き込まれないようにするために、無防備平和都市を宣言することを考えた。
   ・日本各地の自治体で、その運動を行ったが、残念ながら全て否決された。
2.下田判決(東京地裁、1963年)
   ・広島・長崎に原爆を投下したアメリカの行為を当時の国際法に違反して
  いたとした
3.憲法9条加憲論
   ・安倍首相の提案は、2項をそのままで、3項に自衛隊の存在を明記するもので、自衛隊合憲論です。
   ・2項で陸海空軍を持たないと言っていますが、3項で自衛隊を明文化すると、2項は空文化する。後法が前法に優先するという法律の原則があり、後で書いた方が優先する。
   ・安倍さんの狙いは二つあり、一つは護憲派を分断することと、もう一つは自衛隊を明記するだけですよと国民を安心させ、実態は新しく成立した安保法制を正当化することである。
4.オーバービさんのアメリカでの働き
 ・アメリカで憲法9条をつくる運動をしていたオーバービーさんが9月18
  日になくなった。
・1991年にアメリカに9条の会を創設し、その影響で日本にも各地で9
 条の会ができた。
5.韓国の平和憲法
  ・韓国の憲法には平和的生存権があり、米軍基地問題や運動面で使われてい
  る。
  ・韓国の憲法は、自衛権を認めているので、ベトナム戦争に派遣し、5千名
   も戦死。日本も憲法改悪するとこのようになるという実例である。
6.サンフランシスコの少女像問題
 ・SFの市民が申し入れた少女像を、市議会が満場一致で受け入れた決定に
     して大阪市が拒否権を使ってそれを止めさせろと、とんでもない内政
  干渉をした。もし受け入れないのであれば、姉妹都市を解消すると宣言。
 ・慰安婦問題について、安倍首相と朴前大統領の間で合意があったのは事実
       だが、国会で通った訳でもなく、当事者の意見も全く聞いていない。
  文大統領は、合意は全く意味をなさないと言っている。
 ・日本のマスコミは、産経、読売だけでなく、毎日、朝日、赤旗あたりも、
  合意したのだから、合意を反故にするのはマズイと形式論で言っている。
 ・日本政府の基本的な見解は、日韓条約でもって解決済み。日韓条約の「韓
  国との請求権・経済協力協定」の第3条には、両国の間で意見が異なる場
  合は、対外交渉をし、それでダメなら第三者機関に委ねることになってい
  る。
 ・慰安婦問題だけが出てきているが、被ばく者の問題、徴用工の問題とか、
       局は植民地支配の清算ができていない。その立場でマスコミも報道しないか
  らいろんな問題がでてくる。
 ・今、韓国被爆者が原告になってアメリカ政府の原爆投下の責任を問う裁判
  の準備をしている。いかなる理由があっても原爆投下はしてはいけないとアメリカの責任を問わないといけない。そうすれば核兵器禁止条約も生きてきてくる。

7.「脱原発と平和の憲法理論」
  第3章 憲法9条の平和・安全保障としての永世中立論
   ・1950年代から1960年、1970年代にかけて、憲法9条による安全保障の政
    策として永世中立あるいは非武装中立について積極的に提案された時期
    があった。主張した学者の多くはマルクス主義であった。
   ・社会党は、非武装中立あるいは永世中立という見方、共産党系は非同盟
    中立という言い方で非武装ではない。
   ・平野義太郎は、9条から永世中立は当然導き出されるものであり、積極
    的に唱えることが平和主義であると主張した。但し、社会主義は平和勢
    力でありとの考えで、社会主義の核実験を一部容認したりしており、強
    い永世中立論ではなかった。
   ・鈴木安蔵は、9条は集団的自衛権と相反するので、永世中立で、同盟を
    認めなく、さらに日本は非武装であるので、非武装永世中立になり、こ
    の主張を積極的に世界に向けて訴え国連を改革しようと考えた。現在の
    国連は本来もっていた集団安全保障の中で協調してやる理念はほとんど
    薄れて、集団的自衛権の軍事ブロック体制が実際機能している。
   ・長谷川正安は、中立を主張していたが、国内情況や国際情況といろんな
    要因で左右されるとし、積極的ではなかった。                
   ・影山日出弥は、9条から、軍事同盟をしなく、外国の軍事基地を自国に
    置かないという政策が導き出され、永世中立宣言を対外的にすべきであ
    るという主張を積極的にした。
   ・田畑忍は、9条による平和論とその政策として非武装永世中立論。憲法9
    条から要請される中立は、集団的自衛権を認める非同盟中立でなく、一
    切認めない永世中立である。
・永世中立国になる方法は、①国際会議を開いて承認を得る、憲法をつく
 って立法的に通告する、③国連で満場一致で承認を得る、三つがある。
   ・東西冷戦後、中立政策は存在意義がなくなったという論調が強くなった
    が、澤野先生は、逆に増えるという論文か書いて、実際その後新しい中
    立国が出てきた。

詳細
1.無防備都市について
有事法制が国会でつくられ、自衛隊がイラク派兵される前後に、日本の地方自治体が戦争に巻き込まれないようにするには、どうしたらよいかを考えた。憲法9条の通りに実現したら、外国からの武力攻撃を受けたらどうすればよいのかとの質問を受ける。それに反論するのはなかなか難しい。そうするのに必要な最小限の軍事力はいいのでは、との対応を護憲派もしてしまう。現在の立憲民主党も、共産党も含めて、そのような場合には、必要最小限において自衛隊を活用しますとか、何らかの軍事的な対応をすることにいってしまう。そうすると9条の精神とは違うのではないか考えると、日頃から国際条約を活用することを考えた。

国際人道法として戦前から戦争に関する条約(ハーグ陸戦条約)がある。戦争はしてもよいが、どちらが侵略したかどうかは、後で認定されるとしても、実際に戦争が起こった場合に、合法的にできるというルールがある。そのルールの中に戦争は正規軍と正規軍が戦うのはOKですとなっている。しかし、軍隊が一般市民を攻撃するとか、病院とか、宗教都市とか、つまり軍事施設でない所を攻撃することは禁止している。軍事的に防衛されてない所を攻撃することは国際犯罪になる。

ルールとしては戦前からあるが、それを第二次世界大戦後、1977年に条約をさらに整備したジュネーブ条約追加議定書にした。その中に、よりはっきり無防備都市、軍事的に対抗しないという都市を攻撃すると国際犯罪になりますよと書かれている。だから戦争が勃発した場合、仮に軍事施設があったとしても、それを攻撃に使いませんと、対外的に宣言するのを無防備都市宣言という。もし戦争が勃発した場合は、対外的に宣言すると攻撃をしてはいけないことになる。軍隊のない都市を例えば条例で先につくっておいて、日頃からここは無防備平和都市ですよというように宣言をしておけば、攻撃をされるかもしれないが、攻撃される確率は極めて低くなる。

だから軍隊のない平和都市を条例でつくろうという運動をやった。最初は大阪市ではじめた。条例制定の正式な署名数は、1ケ月で有権者の1/50が必要なります。大阪市に次いで、京都市、箕面市、東京の幾つかでやった。署名は集まり、議会にかけたが、全て否決された。保守派が強いのでそのような条例は賛成できないということで、議会レベルでは否決された。ただ2都市だけ、大阪の箕面市と東京の国立市の両市長は賛成するということで議会に提案したが、議会の方は否決で、結局は実現しなかった。これは条約を国内的に活用するという運動であった。

実際、第二次世界大戦の時のムッソリーニ支配のイタリアが負けだし連合国がイタリア本土に爆弾を落とすようになると、ローマの宗教都市のバチカンも攻撃されるかもしれないということで、国際的に無防備都市宣言をした。これにより実際空爆を免れた。空爆する方から言えば無防備都市だという事を宣言されると、軍隊がいるのか、いないのかを調査する必要になる。連合国は実際に調査し、確認し、空爆をやめたという歴史がある。勿論宣言したからと言って本当に空爆されないとは限らない。戦前は不安定なものであったが、戦後はより国際犯罪を裁く国際刑事裁判所が2002年にできたので、国際人道法や戦争法に反することを行うと戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所ができ、昔とは少し違うことになって実効性をかなり持ってきているということを活用する無防備都市運動であった。

2.下田判決(東京地裁)
広島・長崎に原爆を投下したアメリカの行為は当時の国際法に違反していたと判示した判決。
この判決は、東京地裁で確定し、高裁にいっていない。この裁判は損害倍書請求で原告の請求は退けられ、形式的には国が勝訴したが、判決の中身で訴えた方に有利な判決。原爆の投下は国際法違反であると言ってくれたので、これでいいということで、これ以上訴える必要がないということで高裁、最高裁では争っていない。国は勝訴したので、上告はできない。従ってこれで確定した。

3.憲法9条加憲論
     自民党の2012年の改憲草案では、9条の2項は削除。本当はこれを削除したいのだが、安倍首相が提案したのは、2項はそのままで、3項に自衛隊の存在を明記するもので、自衛隊合憲論である。これだけを明記し、それだけであると。国民の8割から9割は事実上賛成しているので、明記するだけですので、何か侵略するものではない、何ら変わらないと。中身は何も具体的に言っていないが、言葉だけでは何ら前の自衛隊と変わらないと。とりあえずこれをやりますと。

だけれども、2項をそのまま残るけれど、3項に自衛隊を合憲としてしまうと、こちらが優先される。2項が残っているとやはり自衛隊は憲法違反であるということは当然残り続けることになる。3項で自衛隊を明記すると法律上はこちらが優先される。戦力は持たないけれど、但し3項では自衛隊を認めますと書くとこちらが優先される。但し書きの方が法律上は優先される。

結局、自衛隊をはっきりと明文上合憲にしてしまうことになる。2項の方で陸海空軍を持たないと言っているが、これはほとんど空文化するという意図がある。後法が前法に優先するという法律の原則があって、後に書いた方が優先する。安倍首相は何も変わりませんと言っているが、そんなことはない、彼は説明しないだけで、実態は一番新しい自衛隊の実体像が合憲化される。

これが第一回の国民投票でやりたいことである。これが上手くいけば、二回目の国民投票の時には、本来の改憲案を出すという手順になる。加憲は過渡的な案である。だからタカ派は、それはダメだと本来の自民党案を出さなくてはいけないと言っている。今のように単に追加しただけでは結局陸海軍の戦力を持たないという条文が残っている以上、戦力に反する自衛隊ということが蒸し返され、違憲論がまた出てくので、中途半端であり、安倍提案はダメであるという意見が改憲派のタカ派から強くでている。だから自民党の中が簡単にまとまるかどうか分からない。

もう一つは、護憲派を分断する狙いがある。立憲民主党、民進党は、自衛隊は専守防衛の合憲論です。憲法を改正しなくてもいいけれど、今の憲法9条の下でも専守防衛の自衛隊は合憲ですという立場である。ところが安倍サイドの言い分は、自衛隊が合憲であれば、自衛権を明記してもいいのではないかと反論するのが狙いなのである。専守防衛を認めているけれど、9条を変える必要はないという政党、公明党やいくつかの野党がいる。共産党もこれには反論が難しくなる。共産党は自衛隊を活用すると言っている。だから侵略されたら自衛隊は防衛しますと言っている。このように言うのであれば、9条に自衛隊を明記してもいいのではというのが、安倍首相の言い方である。

このように一定の護憲派に対して揺さぶりをかけてきている。実際、自由党の小沢一郎とか希望の党に行った幹部たち、昔から3項加憲論であった。それを改憲派が横取りされた。小沢一郎さんは週刊誌の記者に、「あなたが昔言っていたのは、安倍さんと一緒ですね」と質問され、「いや全然違います。私の方は、集団的自衛権は安倍さんのようには認めません。専守防衛だけです。その意味の専守防衛です。」と答えている。しかし外見上、条文からみたら区別がつかない。

加憲案の実際の出どころは日本会議。昨年の中旬頃から日本会議系の内部の有識者がそのような検討をしてきた。それを安倍首相がみて5月3日にぱっと言った。それで皆びっくりしてしまった。今回の加憲はそのような狙いがあることは、日本会議自身も述べている。

安倍さんの狙いは、2つある。一つは護憲派を分断する。もう一つは単に自衛権を明記するだけですよということで国民を安心させる狙いがある。実態は新しく成立した安保法制を正当化するという意図がある。9条2項を事実上空文化するということ。

4.オーバービーさんの働き
アメリカ合衆国で憲法9条をつくる運動をしていたオーバービーさんが9月18日になくなった。彼は日本に10回くらい来ている。彼に田畑忍の英文で書かれた9条論を渡して読んでもらった所、非常に素晴らしいということで、講演などで話をしていた。
彼は1991年にアメリカで9条の会を創設し、1993年に日本にやってきた時に、各地で日本版の9条の会ができた。大江健三郎らの9条の会は、この10年後にできたもの。こちら大きくて注目されているが、9条の会・関西は1994年に発足した。

5.韓国の平和憲法(129日の講演会の予告)
  韓国と日本の平和憲法を対比して検討する。韓国における平和運動、平和憲法の研究、あるいは韓国の裁判所でどう扱われているかということについても話をしてもらう。日本で言われている平和的生存権、平和に生きる権利というものは、韓国の米軍基地問題などで一部使われている。運動の面でも使われている。

 日本における平和研究を研究している人が韓国にいて、それを生かすことをやっている人がおり、その一人として今回のシン・ヒョンオ先生に話をしてもらう。韓国は日本の9条ほど徹底していなく、侵略戦争をしないというだけなので、自衛戦争は認めている。国際貢献するということが憲法上で入っているので、韓米同盟を前提にしていてベトナム戦争に派兵して5千人ぐらい死んでいる。憲法9条を改悪するとそのようなことになりますというような話がある。韓国にも9条の会がある。

6.サンフランシスコの少女像問題(崔勝久氏の発言)
  今サンフランシスコと大阪市の間で少女像のことで非常に問題になっている。サンフランシスコの市民が申し入れて、市議会が満場一致で少女像を受け入れることを決めた。この決定に対して大阪市長がサンフランシスコの市長に対して拒否権を使ってそれを止めさせろという、とんでもない内政干渉をし、もし受け入れるのであれば、サンフランシスコとの姉妹都市関係を解消すると言ってきた。これは世界の笑いものになると思うが、残念がら大阪の人は賛成している人が多い。よくぞ言ってくれたと。

  安倍もまた、国会でサンフランシスコの市長に拒否権を使えと言いだした。日本の権力を持っている首相と地方自治体の長が、外国の市長に拒否権を使えと、外国の地方自治体が決めた事を、そんなことを言うことに対して、日本のマスコミはどこも異議を唱えない。

私は物凄く危機感を持っている。自分の思いと違うから、よその国の自治体の決めた事に対して組長に命令をして、ダメならば関係を切ることが許されるのか。大阪ではこの考えが浸透していなく、市長に賛同する人を多い状況である。サンフランシスコの若い人からもメールをもらっていて、市が姉妹都市関係を解消するのであれば、民間レベルでやろうではないかという意見もある
A:日本の政府と韓国政府との間で、どのように問題を取り上げてきたのか。これは韓日の関係に対して大きな障害になると思われる。どれだけの話し合いをし、どれだけの謝罪をしてきたのか、をはっきり示すべきであるし、もしそれがなされているのであれば、何故それがこうして火種になって残っているのかという基本的な問題を、はっきりしないとマズイと思う。これが解決しないと日韓の関係は何時まで経っても上手く行かない。

崔:事実がなかなか日本に伝えられていない。確かに追放された朴大統領と安倍との間で合意があったのは事実であるが、その合意というのは国会で通った訳でもなく、朴大統領と安倍が合意しただけである。この合意も従軍慰安婦の当事者の意見も全然聞いていない。だから韓国は今それを完璧に無視しようと、そんな強引な合意は国会を通っている訳でもなく、当事者の意見も聞かないでやった合意は、合意をやった大統領を追放して新しい大統領になって、その合意は全く意味をなさないと言っている。

  日本のマスコミ、産経や読売だけでなく、毎日、朝日、赤旗あたりまで、合意したのだから、マズイのではないかという形式論で報道している。合意とは何んであったのかという所まで言われているのに、それをマスコミ、政党が一切言わないから、皆さんはあまり実情が知らず、一端合意したからマズイのではとの形式論で反発している。

A:この合意以前からさんざん取り上げられて、補償金をいくら払ったとかという話を、我々は耳にしているが、何かそのへんがどうも、どこまでどういう合意がなされているのか、その戦術が分からない。

崔:この問題に対する日本政府の基本的見解は、被爆者の問題を含めて全てそうだが、日韓条約でもって解決したと言っている。だが日韓条約の「韓国との請求権・経済協力協定」の第3条には、両国の間で意見が異なる場合には、それは外交的な交渉をしなくてはいけない、それがダメな場合は第三機関に委ねるとなっている。しかし、日本は韓国からきてもそれはもう話さないという立場に終始している。韓国は、日本が話に応じないのであれば、第三者機関という所に行かないで、まだ話しているというふうに言っている。

韓国の憲法の判断では、韓国政府は不作為、やるべき事をやっていないという判決が出ている。だから韓国から交渉しようと持ち掛けているが、日本政府は一切それに応じない。そこで硬直状態になっている。文大統領は絶対合意を認めることはないと思わわれる。それを日本のマスコミが正確に伝えて、このような事で韓国は言っているのだということを伝えないといけないが、実際は伝えていないので、日本の方はその背景を知る術がない。

今回の選挙で安倍が勝ったので、安倍も吉村も他の国に対して非常に高圧的である。他国の市議会で決まったことを、市長が拒否権を使うべきではないかと、無茶苦茶な事を言って言るのが実態。そのような態度だから、当然韓国に対しても合意したんだから、いまさらお前たちの話は聞かないという立場で対応している。それをマスコミが取り上げて、韓国が言っていることはこう言う事だと報道しないから、なかなか日本の人は理解できない。

慰安婦の問題だけが取り上げられているが、韓国からすれば、被爆者の問題とか、徴用工の問題とか、結局は植民地支配の清算ができていないということになる。そのような立場でマスコミが報道しないからいろんな問題がでてきてる。韓国では被爆者の方も不作為ということで政府が負けている。

B:日本側にしても日韓併合以降、その間に日本が何をしてきたかという事実に目を向けていないし、たまたま今慰安婦に焦点が当たっているが、私も広島出身で、韓国出身の人が多い。彼らがどのように扱われてきたか、関東大震災の時、いろんな噂を創作されて殺され、彼らに対して差別的な見方、支配者としての見方、被支配者、支配者の関係で見てきた。同じ事が沖縄の人にも行われている。その問題点をどうして行くかのか。

A:もっと基本的にいろんな問題が絡んでくる。今たまたまこの問題が表面化してきている。あらゆる問題を表に出して議論しなければいけない。今の現状は非常に残念でしかたがない。

崔:これは当分続くと思われる。日本が植民地支配の清算ができていないということが、きちっと捉えられていない。戦後日本は平和と民主主義の社会になったと皆言っているが、本当にそうであったかという問題提起までに至っている。しかしこれが植民地支配の清算ができていない問題だと思わないから、北朝鮮の関係においても、核とミサイルの話題だけで、本来は国交樹立しないといけないし、国交樹立して賠償金を払わなくてはいけない。そんな事、今頃誰も言えなくなっている。北朝鮮に賠償金を払わないといけないなんて誰も思っていないのではないか。

川崎はヘイトスピーチの条例をつくったが、大阪市は条例がなく、市長が議会(幹事長会議で説明し、そこで反対されても)姉妹都市の解消を強行できることになっている。川崎の条例も公的な施設の使用だけが対象になっており、ヘイトスピーチのデモそのものが言論の自由との兼ね合いで、止めることが出来ないのが実態。

 我々は、ヘイトスピーチは一部の人だと思っているが、それは、でるべきしてでてきているのであり、戦後の日本の社会がどういう社会であったかの認識に欠けている。それと私たちの立場からすると、差別というのは制度化されて構造化されるのだから、ヘイトスピーチだけの問題を取り上げて抑えるという事だけでは、全然差別の問題は解決にならないようになっている。だからとてもとても時間もがかかる。日本は全然その方向に行かない、さらに悪くなってきている。

C:先日竜谷大学で、「歴史を見つめ直す学術会議」に参加した。1日目は安重根の話で、2日目は従軍慰安婦の「鬼郷」という映画を見た。若い少女が日本軍に捕らえられて慰安婦になっていくと姿を描いた映画であった。日本の人たちはもっとこのような映画を見て痛みを覚えないと、表面的なテレビのニュースだとかでは分からないのではないかと思う。

崔:橋下が従軍慰安婦は仕方がないということを言っても、大阪市民はリコール出来ないのが大阪の、日本の実態。それで彼らは吉村を市長にしてしまう。日本社会全体がその方向にいって倫理感なんかないのではないか。橋下などは、沖縄の米軍基地に行って、もっと日本の女性の施設を使ってくれというようなことを言って、アメリカ軍人からからバカにされている。従軍慰安婦は仕方がなかったという指導者なんて世界にいるだろうか。結局植民地により相手を侵略したということを、本当にそれは良くはなかったという認識がないので、仕方がないと思い、そう発言している。

 今、韓国で韓国の被ばく者が原告になってアメリカ政府を原爆投下の責任を問うという裁判を準備している。調停申請を出したが、調停など出来ないだろうから、結局はアメリカ政府、韓国政府と原爆メーカー相手に謝罪と賠償を求める調停をやることになる。次の段階は裁判になる。トランプ相手に、原爆を投下したことは如何なる理由があっても正当はできない、という裁判をしないといけない。

日本の世論は、原爆があったから敗戦になったと思っている。日本人は誰に聞いても仕方なかったじゃないのと思い込まされている。いや、いかなる理由があろうとも原爆は投下を正当化させてはいけない。アメリカの責任を問わないと、核兵器禁止条約があってもアメリカは北朝鮮に核兵器を使用するのではないか。一般論ではダメだと言いながら、実際は落としたことの責任を取ってないのだから、この裁判を起こし世界の市民の世論を喚起したい。
まだ時間はかかるが、いろいろご協力を頂いて、これを全世界的な運動にしたいと考えている。実際にどのような理由であっても原爆投下はいけないのだということを、アメリカ政府を訴え、世界的な運動にしていきたい。まず広島・長崎への原爆投下の責任を問うことが重要なのではないか。被告にさせないといけないと思っています。


7.「脱原発と平和の憲法理論」
 第3章 憲法9条の平和・安全保障としての永世中立論
     ーー憲法の「歴史的 発展」史観に依拠する平和論に即してーー
  Ⅰ はじめに
   ここでは問題意識について述べている。最近は、あまり憲法9条による安全保障の具体的な形態について護憲派の方は、提起しなくなっていて、安倍政権の9条改悪の批判ということで留まっている。昔ほど具体的に9条による安全保障を考えることがなくなってきている。おそらく自信がなくなってきている。ここに紹介した憲法9条の安全保障の政策の一つとして永世中立あるいは非武装中立というのがあるのだということを、かなり積極的に提案した時期があった。その時期の代表的な学者の見解をここで取り上げた。

非武装中立としては1955年体制下で、冷戦中であったが、政党としては社会党、非武装中立論、石橋正嗣さんとか土井たか子さんとかがいた時には、それなりに主張されていた。この政党の主張は非武装中立、あるいは永世中立という見方をしていた。永世中立というのは、かなり学問的な言葉で、多くは使われていない。また、護憲派の共産党系の場合は非武装中立という言い方はせず、非同盟中立と言う言い方をする。平和政策として非同盟中立政策という言い方である。非武装は付けない。完全な非武装論ではない。非武装はあまり強調しない。

従って、非同盟中立という政策を主張してきた。現段階では共産党は、非同盟中立を目指していることを、おとなしめに主張している。国会の論戦の場でそのような政策を主張しなくなっている。学者の世界で、そういうものを理論的というか学者の世界で裏付けて主張していた時期は、1950年代から60年代、70年代である。

日本が占領下からサンフランシスコ講和条約で独立した暁に、どのような平和国家になるのかという時に、日米安保条約路線に行くのか、中立を目指すのかという論争が起こった。その辺りから、理論的は検討が始まり出した。その時中立論を積極的に論じた人たちは、どちらかと言えばマルクス主義者であった。マルクス主義というのは、かなりいろんな文脈があって主張も多様で一概に言えないが、憲法学者の中で積極的に論じた人は、ここで紹介した人たちである。通常の憲法学者もある程度永世中立論を、憲法9条から導き出している学者もいるが、それほど具体的な論拠とか説明はしていない。積極的にやっているのは、ここで紹介した人たちであって、それ以外にも他の学者もいるがが、ここでは取り上げない。

  Ⅱ マルクス主義憲法と永世中立論
   マルクス主義の歴史観としては唯物史観である。経済を土台にしてそれに見合う現象、政治現象や法律現象があるとする。歴史に発展史観、資本主義から社会主義へ大きな歴史観を持っていて、その中で憲法だとか平和の観念をどう位置付けるかを検討してきた学者たちである。特に9条について彼らはどう見ていたのかを検討した。

   1 平野義太郎説
     平野氏は戦前からのマルキストで、戦後永世中立の主張をしていた。特に9条から永世中立を積極的に位置づけた方が良いのではという事を、1950年の座談会「講和の法理」(東大系の学者)で中立の問題を議論している。その中で横田喜三郎(国際法学者)は、永世中立というものは過去の、19世紀の政策であり、スイスなどは19世紀に導入したが、これは過去の孤立主義、消極的なもので、第二次世界大戦後においてこのような永世中立などを主張するのは、時代錯誤だと主張した。

    それは国連が登場したからである。国連という集団安全保障が登場したから、各国はそれに協調するのがいいのであって、自分の国だけが国連中心の集団安全保障に組しない。例えば軍事的に協力しない中立というのは、孤立主義であると横田喜三郎は主張した。実際、横田喜三郎はその後の動きをみると、彼は吉田茂路線になる。日米安保の正当化論に変わっていく。

それに対して平野は、そうではないと、永世中立というのは第二次世界大戦後であっても、国連が集団的自衛権を認めているから、それと違うものをだすとすれば、軍事同盟ではない永世中立は、9条から当然あるものであって、それを積極的に唱えていく方が平和主義ではないかということを言っている。但し、平野の議論は、東西冷戦の間では、かなり意義を持ったと考えられるが、社会主義は平和勢力であり、資本主義はそうではないという二項対立で捉えていたことがあって、社会主義の核実験も一部正当化したりしているのが、平野の特徴である。どちらかと言うと強い永世中立論ではなかったという問題がある。

   2 鈴木安蔵説
     鈴木安蔵は、マッカーサー憲法草案がつくられる前に、鈴木安蔵他7名の有識者たちが憲法草案書いたことで有名な人物である。鈴木安蔵が関与して1945年12月に作成された憲法研究会の憲法草案があり、生存権を強調したのはよいが、その中には9条に関係するような条文はほとんどでていない。平和に関してはあまり触れられていない。

1950年前後において鈴木安蔵は非常に積極的な平和主義を唱え、その内容は永世中立論であった。鈴木安蔵については、これまでクリスチャンとしての鈴木安蔵として紹介されているが、実はもう一面あって、戦前から数少ないマルクス主義者として、その当時のソビエトの研究とか憲法の研究を、そういう視点に立った研究をしていた。彼の主張は、影山日出弥の指摘によれば、「戦前おいてマルクス主義の立場で憲法学を構築した唯一の学者」であった。

1959年の論文では「永世中立論」を述べた。現在の国連憲章の51条には、国連が集団安全保障の措置をとるまでの間、各国は個別的自衛権ならびに集団的自衛権を行使できると記載されている。そのようなものである以上、各国は軍事同盟ブロックをつくって集団的自衛権を行使することになる。だからそのような立場をとるには、憲法9条は集団的自衛権と相反するので、従って永世中立で、同盟を認めない、しかも日本の場合、非武装ですから、非武装永世中立になる。そのような主張を積極的に世界に向けて訴えて、国連を改革しようと考えた。

国連憲章51条で集団的自衛権の行使を認めて、軍事同盟を認めているが、それを変えた方がいい。そのためには永世中立という観点でもって、本来国連が持っていた集団安全保障、国連憲章をつくった時は、集団的自衛権体制を止めて全てが国連の一体となった集団安全保障の下に入ると言う趣旨で作られたが、現実にはアメリカが国連憲章をつくる時に集団的自衛権という体制を取り入れた。

従って、安全保障の集団的自衛権という矛盾するものが今の国連憲章の中に混在している。どちらかというと集団的自衛権の軍事ブロック体制の方が実際機能していて、国連が本来持っていた、軍事ブロックを止めて、集団安全保障の中で協調してやろうという理念はほとんど薄れている。鈴木安蔵は逆に本来持っていた集団安全保障を生かすには、永世中立の方を生かすといいのではという発想である。

永世中立の問題以外に、非武装地帯、例えば朝鮮半島の非武装地帯、それから核武装禁止地帯、世界のあちこちに非核地帯があるが、仮に日本に自衛権があるとすれば、そのようなことが具体化であると考えた。その他、日本を中立国として国連に承認させようという提言もしている。ただこの主張は社会主義者として戦前から有名な山川均、クリスチャン社会主義者で、日本ではマルクス主義者には派閥があって、共産党系(平野ら)と労働派(山川均ら)が対立していったが、山川均らは同じように日本を中立国として国連に承認してもらえという提案を1950年代にしていた。

実際この提案は当時としては、夢物語だと思うが、最近実現した。旧ソ連から独立したトルクメニスタン共和国を1995年に国連総会で満場一致で永世中立国として承認した。これは始めての事例である。永世中立国になる方法は、スイスのようにナポレオンが失脚後の1815年にウイーン会議を開いて、そこで永世中立国として承認するという方法が一つ、それから戦後のオーストリアの場合は4ケ国に占領されていて、連合国が撤退する時にオーストリアはどの国ともと同盟していない。永世中立国になることを憲法をつくって立法的に通告する方法の二つである。

新しいタイプは、国連が満場一致で承認する永世中立国、これは歴史上初めてで、これがトルクメニスタンで、憲法を作り変えてその中に永世中立プラス非同盟の両方を書き込んでいる。だからアフガニスタン戦争の時には米国に軍事基地を貸すのを拒否した。鈴木安蔵がこの論文を書いたのは1950年代で、この時はこのような主張は空想みたいな話であったが、今日現実化している。この政策を増やしたらよい。その点で意味がある。

   3 長谷川正安説
    長谷川正安は中立の主張をしていたが、あまり積極的ではなかった。永世中立はありうるけれど、国内情勢とか、国際情勢とかいろんな要因で決まるので積極的に推し進める立場はとらなかった。

   4 影山日出弥説
    影山日出弥は長谷川正安の弟子でもあり、鈴木安蔵の弟子でもあった。彼はかなり憲法9条から永世中立というものは、単なる政策としてではなくて、9条の解釈から当然導き出される政策が永世中立である。つまり軍事同盟に付かない、外国の軍事基地を自国に置かないという政策は、9条から導き出される要請で日本政府は憲法上の義務として負っているのであるから、中立宣言を対外的にしないといけないという主張を積極的にした。

    その例として、オーストリアの憲法にありますと紹介したりした。この影山説の方法論はマルクス主義的であり、実は田畑忍の永世中立論をベースにしている永世中立論としか思えないが、残念ながら文献的に引用していない。澤野先生の見解としてはかなり田畑忍説に依拠した永世中立論であると考えられる。

社会主義論との関係では、9条を社会主義になる場合にどうするかという所が、あまりはっきりしない。社会主義になれば9条はいらなくなり、軍隊で守る必要があるとか、差し当たり9条は必要だけれども、社会主義国家になった場合はどうなのかという所が、積極的に論じられていない。それが課題になっているのではないか。

  Ⅲ 田畑忍の憲法論と永世中立論
   1 憲法の「歴史的発展」史観
田畑忍は戦前から同志社大学で政治思想、政治学、憲法学を教えていた。憲法の教科書は天皇機関説で発禁処分になっている。美濃部達吉だけが発禁処分になったのではなく、関西のリベラルな学者は全部発禁処分になっている。

田畑忍は戦前からレーニン主義憲法学というレッテルを貼られて、憲兵が付いていたり、東京の精神文化研究所という右翼の研究所に大学から派遣命令を出されたりした。思想としてはクリスチャンだが、相当戦前からレーニン主義とか社会主義とか、戦後は毛沢東の研究とか、憲法学者であり、もの凄い政治学の研究を踏まえた憲法学を唱えた。

9条の歴史的意味付けは、9条は世界の戦争と平和に関する条文としては行き着く所まで到達した憲法構造だと理解をしめしている。最初は、例えばキリスト教とか、宗教規範としての戦争放棄と平和というのが登場したけれど、その後カントの「永久の平和のために」、各国は徐々に軍備を放棄して国際連盟のようなものをつくる、国際連盟の基礎をつくったカントの平和主義、これらはどちらかと言えば平和に関する道徳的基礎付けをした。

宗教、道徳、次は法規範である。それは拘束力を持つ規範レベルまで高めたのが、1929年のパリ不戦条約、一般的には戦争法である。自衛権は認めたが、そういう形で規範として発展した。憲法9条は自衛のための戦争をも放棄するということで、これは戦争放棄の歴史上最終段階の規範であると、従ってこれが世界に普及されないといけない。世界の憲法も9条に倣った形に改正されなければいけないし、国連憲章もその通りにならなければいけないという主張をした。

   2 永世中立論
(1)   憲法9条と永世中立について
田畑忍は、9条による平和論とその政策としては非武装永世中立論である。1960年前後から積極的に主張をした。そして1983年にコスタリカで非武装積極的永世中立というものを具体化した。理論的なものは日本にあったのである。トルクメニスタンのよう国に連で承認される形態だが、これは田畑忍が期待していたものである。

(2)   非同盟中立と永世中立について
東西冷戦下における中立というのは、どちらかと言うと非同盟中で、国連の三分の二を占める発展途上国中心で非同盟諸国会議を1960年に結成している。勿論南北問題とか主張としては非常に良いのだが、中立政策も一応主張していた。ところが、非同盟諸国会議の綱領によれば米ソから等距離を保つという中立なのである。ということ、それ以外の小さな国々であれば軍事同盟を結んで良いという考え方になる。つまり集団的自衛権を認めている。

非同盟中立というのは政策なので、国家としてやってもいい、やらなくてもいいという選択の余地がある政策である。永世中立というものは国際法的に承認を得ているので、基本的には勝手に止めたり出来ない。つまり非同盟中立というのは東西冷戦の中で出てきたもので存在意義を持っていた。それがなくなると、それは捨て去られてしまうという論理的必然性がある。そのような中立論に立っていれば論理的に放棄してもおかしくないと澤野先生は考えた。

(3)非武装永世中立宣言の必要性と展望
永世中立というものは、そのような中立ではなくてA国とB国が武力紛争をしている場合には、どちらにも付かないというのが本来の国際法の戦時中立である。戦争に入ると両国に付かないというのが、認められている戦時中立である。永世中立というものは如何なる武力闘争においても平時から軍事同盟を締結しないし、紛争が発生すれば中立宣言をしてどちらにも加担しないという国際法上の義務を負うものである。

そうするとこれは東西冷戦がなくなろうとも、今NATOという軍事同盟があるが、このような同盟が存在してもよく、永世中立はそれの対抗概念である。武力紛争はあちこちで起こっている。東西冷戦があろうが、なかろうが起きている。その武力紛争にどちらにも加担しないというのが永世中立という概念であり、集団的自衛権をはっきり認めないという概念を含んだのが永世中立である。

非同盟中立は集団的自衛権を認めている。となると憲法9条から要請される中立があるとすれば、それは非同盟中立、政策としていうのはよいが、法的な意味ではやり9条から出てくる中立は永世中立、集団的自衛権を一切認めないものではないかということになる。それが澤野先生の基本的な立場になる。それにもっとも理論的に説明したのが、田畑忍の説ということになる。

  Ⅳ おわりに
田畑忍は澤野先生の先生で、澤野先生の考え方は田畑忍の考え方にかなり影響を受けて、田畑忍が1993年に亡くなった後、澤野先生が世界の動きを実証的に且つもう少し理論的に広げようというのが澤野先生の基本的な研究テーマになった。

特に1990年前後の東西冷戦が崩壊するという辺りで、社会党が永世中立を放棄した。それから日米安保も容認するとことになった。スイス、オーストラシアなどの伝統的な中立国があるが、そのような国の中にも中立政策はもう古いと、つまり東西冷戦が崩壊したら中立を主張する存在基盤がなくなったのだ、というような論調が非常に強くなった。場合によっては世界から中立国が消滅するのではないかという学者もでてきた。

澤野先生はその時、それはおかしいと、逆に永世中立というものは増えるはずであるという論文を書いた。実際論文を書いた後、新しい中立国が出てきた。カンボジア、トルクメニスタン、モルドバなどが出てきた。だから消滅してしますという人たちの主張は間違っていたのではないかということであり、何故東西冷戦が消滅したら中立が要らなくなるのかという理解が不十分だったのでないか。

文責 井上

以上






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