どのような懲戒処分をするのあるいはしないのかの判断は仲間内ですから、それなりの配慮があったかもしれませんが、問題はその判断根拠です。弁護士が原告団の人事に介入することは許されるのかという原則や、個々の事実判断もさることながら、東京弁護士会は、弁護士職務規程に明記されている原告と弁護士との委任契約の締結を島弁護士が履行しなかった規則違反を肯定し、東京地裁が訴訟委任状には原告の捺印が必要と法的根拠を示して指示したことを島弁護士は無視し、それを東京弁護士会は支持しているのです。これらは弁護士としてあってはならない行為であり、弁護士会が支持するべきことではありません。19名の本人訴訟団(選定当事者)は、東京弁護士会の上部団体である日本弁護士連合会(日弁連)に異議を申出ることになるでしょう。
吾郷さんは丁寧に一つ一つ東京弁護士会のあげた「根拠」について反論しています。島弁護士を盲目的に支援する原発メーカー訴訟原告団は懲戒申請の内容、島弁護士の短い回答、東京弁護士会の判断を読むことなく、島弁護士を懲戒申請したということだけを取り上げて私たちを批判しています。まずは吾郷さんの公開書簡をしっかりと読まれれば、誰でも東京弁護士会の島弁護士を擁護する根拠が薄弱、ないしはあやまっているというということを理解されるでしょう。 崔 勝久
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吾郷健二です。
東京弁護士会宛の島弁護士に対する我々の懲戒請求が認められなか ったことはすでにご承知のこととと思いますが、私は、これに対し、 9月11日付けで、東京弁護士会会長と同綱紀委員会第一部会部会長に宛てて、その「決定」 理由書に対する批判を書いた書簡を送りました。形式は私信ですが、 性格としては公開書簡のような内容ですので、ここに公開します。
東京弁護士会会長 渕上玲子殿
東京弁護士会綱紀委員会第一部会部会長 海野浩之殿
平成28年東綱第129号 懲戒請求議案(被調査人島昭宏)「決定書」の件
2017年9月11日
懲戒請求者 吾郷健二
平成29年7月28日付け表記「調査結果の通知」の件につき、書簡を差し上げます。
「決定書」を拝読しましたが、全く納得いきませんので、必要最低限のことを申し述べたいと存じます。この書簡は、私個人の責任において書かれたものであり、第一部会のメンバー全員にコピー配布してくださることを要望します。
貴弁護士会の表記「決定」に対する正式の異議申し立ては、別途、懲戒請求者全員の討議に基づいて、代表者の名前において、日本弁護士連合会に提出されるものとお考えください。
以下、本論に入ります。
被調査人を懲戒しない決定を下した理由が「決定書」で6点にわたって述べられていますが、それらに対する私の意見を申し述べさせていただきます。
まずその理由1について。
ここでは、私たち懲戒請求者が提出した懲戒請求事由1の(12)、(13)、(14)が取り上げられていますが(それ以外についてはほとんど無視されていますが、そのことについては述べません)、それらの理由は全く納得できるものではありませんが、あえて、それらにも触れません。と言って、完全に無視するわけにも行きませんので、1点だけ簡単に述べます。
例えば(12)について。
貴「決定書」では、ここは、「訴訟開始の遅延の原因は(訴訟委任状における)押印の不備(押印がなかったこと)ではなく、当事者の特定に十分とは言えない訴訟委任状の記載が原因であったと推認される。」がゆえに、「被調査人が原告団事務局に協力を依頼したことは不当とは言えない。」で終わっています。これは、端的に言って、懲戒しない理由の説明になるのでしょうか? 分かり易く言いますと、綱紀委員会自身が要約している懲戒請求者の文言「裁判所から、押印した訴訟委任状の提出がなければ本人の確定ができないと指摘されて、新たな訴訟委任状を集めるための作業を訴訟の会事務局が行わざるを得なくなって、原告の確定に1年以上の期間を要することになり、訴訟の進行が遅延したにもかかわらず、被調査人は事務局に責任を転嫁し、反省することも謝罪することもない。」に対する「懲戒しない決定」の理由(つまり解答)になるのでしょうか?
法律専門家及び代理人としての弁護士の役割は素人(原告やその集まりである訴訟の会事務局)に対して適切な法律実務面での指導をして、原告に余計な負担を科したり、その混乱を招いたり、しないようにすることが職務上の義務として要請されるのではないでしょうか? 結果的に適切でなかったことが判明した被調査人自身の指導(「押印は必要でない」)が事務局に混乱と大きな負担を科したことに対して、まともな人間であれば、「ああ、大変な負担をかけてごめんなさいね。今度からはもう少し慎重にやるからね。」と「反省や謝罪」を言うのが普通ではないでしょうか?
ここでの本質的問題は、余計な負担をかけたことではなく(事務局はそのこと自体に文句を言っているわけではなく、ミスは誰にでもあることだから仕方のないことだと受け入れている)、被調査人が「同じ状況になればまた同じことを繰り返すと公言」して開き直り(あるいは居直り)、一切の反省も謝罪もしていないことであって、それは弁護士として叱責に値するのではないか、ということなのです。それを「事務局に協力を依頼したことは不当とは言えない」などと言って、問題(論点)をすり替えて、平然としている綱紀委員会第一部会のメンバーの精神構造(あるいは頭脳構造?)は私には理解不能です。
それにそもそも、「訴訟開始の遅延の原因は押印の不備ではなく、当事者の特定に十分とは言えない訴訟委任状の記載が原因であったと推認される。」などと何を根拠に「推認」(つまり断定)されるのでしょうか? 私には、両方の理由が訴訟遅延の原因であると「推認」することが正しいと思われるのですが、なぜ、一方の理由だけが原因であると根拠もなく断定されるのでしょうか?
もし、押印の不備がなければ(言い換えれば、被調査人の代理人・弁護士としての誤った指導がなければ)、すなわち委任状の記載の不備だけが原因であったのであれば、それをカバーする事務局の作業はもっと簡単で、混乱も少なく、もっとスムーズに進行していたであろうし、そもそも、そのことで事務局が被調査人に不満を抱き、その責任を問うこともなかったであろうと思われるのですが、渕上様、海野様のお二人はこの点、いかが思われるのでしょうか?
その理由2について。
ここでは、私たちの懲戒請求事由1の(1)ないし(12)が取り上げられています。(12)についてはすでに簡単に述べましたので、ここでは(1)について主に触れます。
貴「決定書」は、被調査人が「民族差別、在日差別等を取り上げて活動する崔氏の訴訟の会における言動を制限しようとした」ことは認められるとしつつも、それは、被調査人の、幅広い「社会的共感を得て、(脱原発の)運動を広げるために訴訟の会から発信する情報を原子力問題に限定すべきであるとの思いから」崔氏の活動を制限しようとしたもので、「崔氏の人格を否定する意図も、関係者を侮辱する意図もなかった」と「認定」している。
そして「決定書」は、他方で、被調査人の常軌を逸した言動が、「一部の原告」に「被調査人の弁護士としての品位に疑問をもたせた」ことを認めているのですが、結論的には、「4000名に及ぶ原発メーカー訴訟を遂行し、かつ社会的共感を得て運動を広げていきたいとの思いで被調査人が発信した投稿であること、崔氏や朴氏ら関係者にもMLを使って原告団に反論や活動方針の理解を求める機会があったことから、被調査人の行為は、原告団への不当な介入とは言えず、また崔氏の人格の否定や関係者への侮辱の意図を認めることができない。」ゆえに「被調査人の一連の行為をもって弁護士としての品位を失うべき非行と評価することはできない。」と断じている。
これは、驚くべき主張です。綱紀委員会第一部会は、被調査人の言動が弁護士として必ずしも適切とは言えないことを認めつつも(「決定書」の表現では、「いささか不穏当な内容であることは否定し得ないものの」)、訴訟遂行への強い思いがあって、その言動は、「被調査人なりに訴訟の会を脱原発の目的で足並みを揃えさせようとしてなされた」いわば善意の意図によるもので、少々不適切であったとしても、訴訟の会への不当介入や崔氏への人格否定や事務局関係者への侮辱の「意図」はなかったのだから、被調査人のそれらの言動は弁護士として非行ではないと言っている。しかし、これが弁護士会綱紀委員会の第三者弁護士のセリフなのであろうか?
「意図」が問題なのではなく、その「現実になされた言動」が問題なのであると私がここで指摘しなければならないことは極めて残念である。分かりやすく例えて言えば、「殺人(非行)」が行われ、その裁判が進行している時に、犯人には殺人の「意図」はなかったのだから、「殺人(非行)は行われなかった」というような弁論が成立しうるのだろうか、ということなのである。それは弁護士のセリフとして成り立つのでしょうか?
訴訟の会に対して、特定原告の追放を要求したり、事務局長の辞任を要求したり、弁護団による会計監査を要求したり、会計資料の弁護団への引き渡しを要求したり、不正会計があると触れ回ったり、会計の凍結を要求したり、等々することは、被調査人による訴訟の会への「不当介入とはいい得ない」?!?「なぜなら、被調査人には不当介入の意図はなかったのだから」!というような理屈が成り立つのだろうか?
我々懲戒請求者は、被調査人の「意図」を問題にしているのではなく、彼の「実際の言動」を問題にし、それは弁護士として懲戒に値すると主張しているのである。
その理由3について。
ここは基本的に前項(理由2)の繰り返しである。貴「決定書」は、被調査人が裁判への「一途の思いから懲戒請求者指摘の(前記の)言動を行なったものと認められるので、被調査人の一連の言動は弁護士職務基本規定に反するものと評価することはできないことは明らかである。」と言う。どうして「明らか」なのかは明らかではないが(私には逆のことが「明らか」であるとしか思えないが)、前項で述べたことと同じように、被調査人の前記の言動は、裁判遂行への同人の「一途の思い」からなされたものだから弁護士職務基本規定に反するものではないという「理屈」らしきものあるいは「断定」が繰り返されている。
しかし、新しい論点として、私の目から見れば、もっと驚くべき陳述がここでなされている。すなわち、被調査人の考えが「崔氏や朴氏ら(事務局)の意向や方針と完全に一致することには自ずから限界があったと考えられ、かかる両者の認識・方針等の相違を背景にすると、被調査人の(前記)言動はやむを得ないことであったと認められる。」と述べているのである。
前記2では、被調査人の善意の意図を「理由」にして、不当介入や人格否定、侮辱がそうではない(それらはなかった)と否定されていたのに、ここでは、さらに踏み込んで、その現実になされた「言動」が「やむを得ないものとして」積極的に是認されている。つまり、不当介入や人格否定や侮辱等々が弁護士職務基本規定に「反するものとは言えない」どころか、驚くべきことに、実際に「反するものではなく」、いやむしろ、正しいものとして正当化されているのである。原告として、私はこれには全く承服できないだけでなく、この陳述に心底、驚き、呆れるものである。ここでは、これまでの、被調査人の言動に対する綱紀委員会第一部会のメンバーの若干の批判的留保(「いささか不穏当」「品位に疑問を抱かせる」)も吹き飛んでしまったようである。
もう一度言うが、私は驚き、呆れる他ない。弁護士として「不穏当」であろうが、「品位」に欠けようが、「それはやむをえないことなのである。なぜなら、彼は彼なりに一生懸命なのだから。」というわけだから。しかし、弁護士が(弁護士に限らず、誰であれ)引き受けた仕事を一生懸命に遂行しなければならないのは当然、言うまでもない。一生懸命であることは懲戒を免責される理由には全くならないのである。
問題はその仕事の遂行ぶりなのである。弁護士の仕事のガイドラインを定めたものが弁護士職務基本規定であると私は考える。その規定の制定の精神と文言とに照らして、真摯に職務を遂行していると認定されなければ、当然、懲戒審査の対象となるはずである。もともとそのための規定なのであるから。その仕事の遂行における言動が「不穏当」であったり、「品位」に欠けていたりすれば、いくら主観的に一生懸命に仕事をしていたとしても、依頼人たる原告から不審の眼で見られることになるのであり、現に、被調査人は、我々17名にも及ぶ原告から、正式に書面で持って、膨大な証拠物件を添えて、懲戒を請求されたのである。「決定書」のここでの「理屈」づけは、弁護士職務基本規定の無効宣告(あるいは死亡宣告)に等しいと私には思われる。
その理由4について。
ここでは、我々の懲戒請求事由2(信頼関係の喪失)が取り上げられている。原告と訴訟代理人である被調査人との間に信頼関係が失われた時に、適切な措置を講ずべきだとする基本規定第43条を巡って、「決定書」は、「約半年間にわたってメールや書面で意見を出し合っていることから見て、被調査人にのみ適切な措置を取るべき義務があったとすることはできず、(崔氏ら3名の代理人)辞任前に話し合いをしなかったからといって、基本規定第43条違反とは言えない」と述べている。
これなども、大変失礼ながら、官僚答弁あるいは詭弁の最たるものというべきであろう。弁護士職務基本規定は、弁護士のなすべき義務を規定しているのであって、原告のなすべきことを規定しているのではないことは改めて言う必要のないことである。原告や事務局側は本裁判を引き受けてくれる弁護士を探すのに大変苦労して(当時日本の弁護士で誰一人として原賠法憲法違反を訴える裁判を引き受けようとする人はいなかった)、ようやく手を上げてくれた被調査人が出現したことに大感激して、その後の同人との意見の相違や対立にもかかわらず、なんとか被調査人と協調できないかと考えて、必死にその道を模索したが(そのために、崔氏は被調査人の理不尽な要求に従って、事務局長を辞任したりまでもした)、同人は断固として妥協せず、結局メールなどでのやり取りに終わって、両者間での話し合いは一切なされなかった。
被調査人には、紛議を解決すべく適切な措置を講じる義務を果たさなかった第43条違反だけでなく、そもそも、なぜ弁護士職務基本規定などというものが存在するのかについてのその根本精神に対する基本的理解が完全に欠けているとしか言いようがない。
基本規定の根本精神は、釈迦に説法でお二人には申し訳ございませんが、私の理解するところをもう一度述べさせていただきますと、代理人・弁護士はその職務にあたっては、弁護士の信義を重んじ、誠実にその職務に励み、名誉と信用を重んじ、品位を高めて、依頼人たる原告と協調し、密接に協議し、その意思を重んじ、依頼人の権利と利益の実現に努めなければならない、というような趣旨のはずです。私よりも皆さん方の方がはるかによくご存知のはずのその根本精神に照らして、先にも述べましたが、被調査人の「弁護士にあるまじき信じ難い言動の数々」(その詳細は我々の懲戒請求書に詳しく十分な証拠物件を添えて詳述されている)は、あなた方の言われるように、真に「やむを得ない」ものとして、正当化されるのでしょうか? 「辞任前に話し合いをしなかったからといって、第43条違反とは言えない」などと字面だけの官僚的な紋切り答弁をして、「一件落着」になるとお考えなのでしょうか?
その理由5について。
ここでは懲戒請求事由3(委任契約書の欠如)が取り上げられる。「被調査人と原告らとの対立は委任契約書の未作成に起因するものとは認められないから、基本規定第30条(委任契約書の作成義務)違反をもって、本件について直ちに弁護士としての品位を失うべき非行とは言えない。」これも驚くべき「理由づけ」であるが、詳しい説明は一切ないので、このように断定する理論的根拠はわからない。
両者の対立の原因が委任契約書の未作成とは直接関係していないことは明らかである。だからと言って、それが、第30条に違反していることが弁護士としての資格あるいは「品位」になんらの影響を及ぼすものではないという結論が導かれる理由になぜなるのかは不明である。本件が同条に規定する(委任契約書を交わさなくてよい)例外規定に当てはまらないことだけは「決定書」も認めている。
私などから見れば、本裁判をめぐる対立云々の話とは全く無関係に、委任契約書の欠如は、それ自体として、独立して、弁護士として決定的な資格を問われ得る重大で深刻な問題であると思われるのだが、なぜか、「決定書」はそのように見ていない。
「決定書」がここで言っていること(「基本規定第30条に違反しても弁護士としての非行ではない」)は、要するに、基本規定第30条などは無視して構わない、委任契約書などあってもなくてもどうということはないのだ、なかろうが、そんなことは非行でもなんでもない、ということのようである。あーあ。弁護士会がそういうのであれば、何のための職務「基本」規定なのか(委任契約書は弁護士職務の「基本」ではない?!?)、我々素人は言うべき言葉もない。懲戒請求者でなくとも、誰でもこれを聞けば、我が耳を疑うであろうと私は思う。
その理由6について。
ここでは我々の懲戒請求事由4(被調査人による裁判を受ける権利の侵害)が取り上げられる。
(1)
訴状作成について。
ここでもまことに驚くべき主張が展開される。「訴状は弁護士が専門的知見に基づいて作成するものであるから、訴状の内容について当事者(原告)の了解を得て、裁判所に提出しなければならないとはいえない。」また「原告の人数が多数に及ぶ大規模原告団であり、原告一人一人から了解を得て、裁判所に提出するという手順を踏むことは困難であるから、訴状の記載内容について原告らの了解を要するものとはいえない。」
私の考えでは、これは弁護士として決して許されない根本的な問題をはらむ認識であると言わねばならない。改めて言うまでもなく、裁判の主体は、原告であって、弁護士ではない。弁護士はあくまで代理人であって、依頼人たる原告がいて初めて裁判が成り立つのである。これが根本である。この根本認識を「決定書」は完全に欠いている。
現実的問題として、法律素人の原告は専門家たる代理人弁護士に多くを委ね、依存する。実際の法廷を運用していくのは、事実上代理人弁護士であって、主体である依頼人原告は後景に退いている。しかし、本質的根本的には、弁護士は原告の代理人である、あるいは代理人に過ぎないのであって、裁判の主体たる原告本人そのものではない。そのことは、弁護士職務基本規定第21条(依頼者の正当な利益と権利の実現)、第22条(依頼者の意思の尊重)、第36条(事件処理の依頼者への報告及び依頼者との協議)において明確に文言化されている。
現実に法廷では、原告ではなく、代理人弁護士が主となって活動するからといって、「決定書」の言うように、「訴状に原告らの意思を反映することも、了解を取り付けることも必要ではない」(弁護士が原告の意思や利益とは無関係に、原告との話し合いも一切せずに、原告の抗議の声にも耳を傾けないで、全く独立して、好き勝手に作成してよい)ということには決してなり得ない。確かに原告一人一人の意見を聞くことは大規模集団訴訟ではほとんど不可能であろう。そのために、原告団(訴訟の会)の代表としての事務局があり、MLがあり、訴訟の会の総会があり、臨時の原告団の集まりがあり、代理人との話し合いが行われるのであり、このような両者の密接で良好な協調関係の上に、代理人弁護士が中心となって作成した訴状に主体としての原告の利益や意思は十分に反映されているということになろう。
しかし、本件の場合、残念ながら、そのような関係が構築されなかった。だからと言って、「原告の了解が必要ではない」というのは、弁護士法や弁護士職務基本規定の根本理念に反するものであり、基本規定第21条、第22条、第36条に違反すると断ぜねばならない。
(2)辞任に関することについて。
貴「決定書」は、被調査人の代理人辞任によって本人訴訟を余儀なくされた崔氏や朴氏らは「訴訟における主張・立証活動のために特別の精神的苦痛や経済的負担を強いられたと認めることはできない」と言う。これは根拠なき断定であり、単純な事実誤認であろう。なぜなら、素人にとって、自ら弁護士の役割を演ずることがどれだけの巨大な負担となるかを理解していない発言だからである。
更に言えば、この発言は、弁護士としての自殺行為に等しい自爆発言であろう。なぜなら、もし、素人による本人訴訟が何らの「特別な精神的苦痛や経済的負担」など不要な仕事であるなら、代理人弁護士などそもそも不要だからである。
裁判を提起するには、莫大な費用と時間とエネルギーと精神的経済的物理的その他の負担がかかる。とりわけ、「訴訟における主張・立証活動」のためには専門的知見と能力が要求される。それがゆえに、もっぱら法律専門家としての高度な専門的訓練を受けた弁護士の知見と能力が必要とされるのである。その作業を専門家なしに原告が自ら担うことは、専門家には想像もできない巨大な負担を法律素人の原告当人に要求することであり、その負担の重さはすでに法律専門家になった綱紀委員会第一部会の皆さん方にはおそらく想像も理解もできないことなのであろうか。皆さん方は、苦しかったであろう(と私は勝手に想像するが)受験勉強時代のご苦労などもうお忘れになったのだろうか?
(3)進行協議への原告の不出頭の要請について。
これが、原告の権利の侵害であるとは認められないと「決定書」は言う。これもまた、私に言わせれば、前記「(1)訴状作成について」で述べた、裁判の主体に関する「決定書」の根本的な認識の誤りを示すものである。実務的には、裁判所との進行協議が多くの場合、代理人だけで(原告抜きで)行われている実情は理解できないわけではないけれども、本件のような場合(つまり、原告と代理人との間で深刻な意見の対立があるような場合)、原告からの出席要請があれば、代理人としては、それを拒否(否定)すべきものでは決してないであろう。そのときどういう態度を取るかで、裁判の主体である依頼人との関係における代理人弁護士の役割をどこまで本質的に認識できているかどうかが問われる試金石になるのである。この決定的な試験において、被調査人は落第したと言わなければならず、被調査人による原告の基本的権利のこの侵害(進行協議への原告の出席権の否定)を容認した「決定書」の本質的認識の誤謬もまた明白であると私は考える。
以上、貴「決定書」が掲げている「懲戒しない」理由の6つについて、「決定書」に沿って逐一私の見解を述べてきましたが、最後に私は、集団訴訟において、代理人が恣意的に特定の原告を選り出して、訴訟から追い出すなどという行為は、弁護士の権力の乱用であって、決して許されるものではないということを申し述べておきます。
この意味において、私は、被調査人が訴訟の会との対立に鑑みて、本裁判全体の代理人を辞任して、本裁判から身を引かないで(なぜなら、選り出された特定原告とは、原告団の中心人物たる訴訟の会の前・現事務局長だったから)、そうする代わりに、逆に、自己の気に食わない特定の原告(訴訟の会事務局長)を選り出して、その者たちだけの代理人を辞任することによって、訴訟の会を分断させ、自己の支配下に置こうとしたことが弁護士として決して許されない行為であると考えます。依頼人たる原告(訴訟の会)と代理人たる弁護士の「意見が異なる」ことになるならば、当然のこととして、弁護士は、訴訟そのものの代理人を辞任する以外にないでしょう。原告を選別して、その中の特定の原告だけの代理人を辞任する(それ以外の原告の代理人は辞任しない)方策など、正常な人間(普通の弁護士)なら考えもつかないことだと私は思います。
仮に、これまで検討してきた懲戒請求事由の他のすべての項目を考えないとしても、この1点だけでも、被調査人は、なんらかの懲戒に値する(その量刑は弁護士会が決められることです)「非行」を犯していると私は考えます。「決定書」のごとき被調査人の「無罪放免」など論外で、ありえないことでしょう。
もう1点、最後に、本懲戒請求の提訴以後に生じた新たな事態を指摘して、 本「決定書」の決定がいかに間違っているかをそれが雄弁に証明してくれていると申し上げたく存じます。それは、被調査人が崔氏、朴氏の両人を損害賠償請求裁判に逆に訴えた事件です。
弁護士が依頼人たる原告を意見が異なったからといって裁判に訴えて損害賠償を請求するなど、そもそも「ありえない」出来事だと思いますが、その請求理由の一つに被調査人は本件懲戒請求者17名の中に両名が入っていることを理由に挙げているとのことです。もし、弁護士会への所属弁護士の懲戒請求が当該弁護士による懲戒請求者への損害賠償請求の反訴の正当な理由になるのだとしたら、弁護士会の懲戒請求制度そのものが無意味なものと化すでしょう。無意味どころか、懲戒請求をしようと思う一般市民を逆に処罰するとんでもない制度となってしまいます。被調査人は、このような「非道な」行いを平気で行う人間のようですが(これはスラップ裁判と特徴付けるのが最も的確です)、貴弁護士会綱紀委員会第一部会は、この被調査人の行為もまた、両者の対立に鑑みて「やむを得ない」(従って、弁護士職務基本規定に反する「非行」ではなく、「懲戒に値しない」)ものであると認定されるのでしょうか?
失礼ながら、仲間を庇いだてするギルド体質が、貴弁護士会が所属弁護士への懲戒請求制度を制定した時におそらく想像すらしていなかったであろう「とんでもない結果」をもたらした一つの典型例をここに見る思いが私には致しますと末尾に付記させていただきます。
短く書くつもりでしたが、思いがけず、少し長くなってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。
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