各紙そのことを報道しましたが、判決を読んで報道しているところは1社もありませんでした。それは、判決は二つの原告の主張に対して棄却している事実を理解していないことからうかがい知れます。「原告只野ら」(原告弁護団)と「選定当事者ら」(本人訴訟団)に対して別々の判決を下したのです。
控訴をするには判決がいかに不当かということを記さなければなりません。本人訴訟団と原告弁護団は訴状を共有していますが、その後別々の準備書面をそれぞれ東京地裁にだしました。その経緯を含め、本人訴訟団の主張の中身は何なのか、読者は理解されると思います。その第一は、原発の製造・稼働・輸出が違憲であることを宣言した点です。世界の反核運動として通用する法的な論理を打ち立てました。200年前のアメリカのヘンリー・ソローのいう、Higher Law(より高位な法律)によって世界の既存の法律の壁を打ち破り、私たちは反核を目指した国際連帯運動を構築していきます。
この控訴理由書はある意味、日本の裁判所に対する根本的な批判になっています。裁判のための裁判を続けることを私たちは拒否します。本人訴訟団は本来目的にした、原発メーカーの責任を問い、原発体制そのものをなくしていくという動機に忠実であるならば、逆に、法廷外の闘争をしなければならないと判断しました。従ってこの控訴理由書は、法廷外闘争の宣言でもあります。
この控訴理由書は、国際連帯運動によって原発体制と闘うということを原発メーカーの責任を追及するという視点から書き上げたものです。私たち本人訴訟団及び私たちを支持、支援してくださる多くの方々の結晶です。これが私たちのこれからの運動の新たな出発点になるでしょう。
控 訴 理 由 書
被控訴人(被告) ゼネラル・エレクトリック・ジャパン・ホールデイング株式会社
被控訴人(被告) 株式会社東芝
被控訴人(被告) 株式会社日立製作所
訴訟物の価額 900万円
上記当事者間の東京地方裁判所
平成26年(ワ)第2146号、第5824号 原発メーカー損害訴訟事件について平成28年7月13日に言い渡された判決は不服であるから、以下の内容の控訴理由書を提出する。
目次
第1 事案の概要
第2 第1審判決の認定判断の概要
第3 第1審判決の審理不尽の内容
第4 結論
第1 事案の概要
当原発メーカー損害賠償請求事件は、2011年3月11日の東日本大震災を契機として発生した、東京電力福島第一原子力発電所における原発事故を経験、目撃しこれまでの安全神話が完全に崩壊したことによって被った、福島だけでなく、全世界の市民の「不安」と「恐怖」に基づく精神的損害に対する原発メーカー3社の賠償責任を求めるものである。
日本の原発政策は国策民営であり、地震大国日本に多数の原発を設置・運営する方針をだした日本政府と、具体的に福島原発事故を起こした当事者である原子力事業者としての東京電力(以下、「東電」とする。)の責任は免れ得ないが、全世界39ケ国から約4千人の精神的損害を訴える各国の市民は原発メーカー訴訟の会(以下、「訴訟の会」)に参加して、原発の計画、設計、製造、メンテナンスに関わってきた原発メーカーの責任を問うために、島昭宏弁護士をはじめとした弁護士を代理人として選定して、原発メーカーを被告とする裁判をはじめた。
しかしながら、訴状を共有する同じ原告として「原告唯野ら」(原告弁護団)と「選定当事者ら」(本人訴訟団)とが同じ法廷に出席しながらも別々の準備書面を提出するようになったのは、裁判を進めるなかで、弁護団の共同代表である島昭宏弁護士によって原告の思いが受け止められず、「訴訟の会」の内部で混乱が生じ、「訴訟の会」は分裂を余儀なくされたからに他ならない。
そのために弁護団から委任契約解除された原発メーカー訴訟の会(以下、「訴訟の会」)の現・前事務局長の朴鐘碩と崔勝久は、原告弁護団を解任した原告と本人訴訟団を組織して、選定者40名及び9名の選定当事者によって、本人訴訟団の思いを法理論として整理しそれを第6準備書面に至るまで深め、東京地裁に提出することになった。その経緯については以下、参照(
崔勝久「8月1日、本日、原発メーカー訴訟の島弁護団長を提訴しました!」
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/08/81.html)。
「選定当事者ら」すなわち本人訴訟団は新たに、訴状にない、原発の製造・稼働及び輸出そのものの違憲性を訴え、原発メーカー(東芝等)と原発事業者(東京電力)の原発ビジネス契約は「公序良俗」(民法90条)に反する反社会的で違法・無効な法律行為であり、原子力損害賠償法(以下、「原賠法」とする。)は法令違憲であること、また違憲でなくとも、原賠法によって原発メーカーの免責を認めるのではなく、民法と製造物責任法によって原発メーカーの責任を明らかにすることを主張した。そして原発事故を原因とする具体的な出来事による精神的損害は、これまでの原発関係裁判で論議された「精神的人格権」とは異なり、原発事故に伴って生ずる不安と恐怖(感)という固有の精神的損害であり、その損害に対して被告原発メーカーは賠償する責任があるとの主張を展開した。
原判決は原告を「原告唯野ら」と「選定当事者」とに分け、別々に判決理由を述べている。原判決の「主文」は、「2 原告唯野らのその余の請求及び選定当事者らの請求をいずれも棄却する。」とし、「事実及び理由」の「第3
当裁判所の判断」の最後の7で、「原告唯野らのその余の請求及び選定当事者らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することし(原文ママ)、主文のとおり判決する。」と結んでいる。
なお、第4準備書面において「選定当事者ら」は、原告弁護団の主張との違いを明確にするために東京地方裁判所に対して分離裁判を求め、かつ3・11福島原発事故の実態とその責任の解明の為に原発ビジネス契約の当事者である被告への「釈明権の行使」をお願いしたが、そのことは審理の中でも判決の中でも言及されていないし、実際にどのように「釈明権の行使」がなされたのかは不明である。
第2 第1審判決の認定判断の概要
東京地裁における本件の最大の争点は、被告の原発メーカーは原賠法3条で明記された原子力事業者の「責任集中制」によって、いかなる事故であっても免責されるのかという点と、「選定当事者ら」の主張する精神的損害に対して原賠法は適用されるのかということであった。被告3社は一貫して原賠法の適応と被告原発メーカーの免責を主張して早期の棄却を求めた。
2016年3月23日、東京地裁の裁判長は審理の途中で弁論終結を宣言し、同年7月13日に「原告唯野ら」と「選定当事者ら」の請求を棄却したが、原判決では「選定当事者ら」の主張に応えておらず、判決の理由及び根拠を十分に示していない。
1 原子力損害賠償法で定義する「原子力損害」と精神的損害について
結論的にいえば、「選定当事者ら」の請求のうち、原判決が判決理由で検討したのは、わずか原子力損害の範囲と因果関係に関する法解釈のみであり(30~31頁)、「選定当事者ら」(本人訴訟団)の請求の前提をなす理由や論点を検討することなく結論を出している。判決の内容に関して意見の違いがあることは仕方がないことであるが、裁判所の判決は原告の主張を棄却するにあたってその理由及び法的根拠を示すことは裁判官としての責務であり、裁判の原則のはずである。そのことが今回の原判決においては守られていない。
原判決は「選定当事者ら」が第4準備書面で主張した精神的損害の根幹をなす部分には触れず、「選定当事者ら」が「本件原発事故により選定者が被った精神的損害」として第1準備書面「第6
精神的損害について」で掲げた、「不安」と「恐怖」に起因する精神的損害の具体例をそのまま番号をつけず記すのみである。原判決は原告の立場に立ってその「不安」と「恐怖」による精神的損害の由来と実態に思いを寄せる記述を一切していない。
原発メーカー訴訟の「選定当事者ら」が原発事故によって可視化された様々な具体的なできごとに起因する「不安」と「恐怖」によって被った精神的損害に対して求めている「損害賠償は、従来の「精神的人格権」侵害による精神的損害とは区別され、人々に対する「不安」と「恐怖」の精神的損害(「平穏生活権」侵害による精神的損害)として容認されるべきである。」(第4準備書面3頁)
第1準備書面「第6 精神的損害について」(6~19頁参照)
1)原発メーカーの不良品(原子炉)事故によるいわれなき精神的苦痛と
失ったものに対する受忍しがたい喪失感
2)安全神話が嘘であったことが判明したことに対する「不安」と「恐
怖」
3)汚染水の流出がとまらず太平洋に流れ出ている現実に対する「不安
と「恐怖」
4)低線量放射線による内部被曝の問題に対する「不安」と「恐怖」
5)使用済み核燃料など放射線廃棄物の問題に対する「不安」と「恐怖」
6)原発の再度の過酷事故による被曝に対する「不安」と「恐怖」
7)原発の存在そのものが人類、自然にとって害悪であることについての
「不安」と「恐怖」
8)原発の存在が潜在的核兵器保有として国家の安全保障政策に組み込ま
れていることについての「不安」と「恐怖」
9) 原発から排出される放射能に対する「不安」と「恐怖」
10) 原発輸出によって海外で原発被害を与えるのではないかという「不安」と
「恐怖」
「選定当事者ら」はそもそも原子力損害賠償法で定義する「原子力損害」(「核燃料物質の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質等の放射線の作用若しくは毒性的作用(これらを摂取し、又は吸引することにより人体に中毒及びその続発性を及ぼすものをいう。)により生じた損害」に精神的損害は含まれていないと主張している
。
それに対して原判決は、「「核燃料物質の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質等の放射線の作用若しくは毒性的作用」によって生じたといえる損害とは、上記作用を原因として発生した損害、すなわち、身体的損害、精神的損害又は財産的損害にかかわらず、上記作用と因果関係のある全ての損害と解するべきである。」との見解を述べている。しかしその理由及び根拠は述べられておらず、「この点、選定当事者らは、原子力損害の定義上、精神的損害が含まれず、精神的損害の賠償請求は民法及び製造物責任によるべきであるとした上、民法及び製造物責任法による賠償責任においては、「相当因果関係」によって限定されることなく、「事実的因果関係」のある損害全てについての賠償が認められるべきである旨主張するが、独自の見解であって採用することはできない」と結論し、「選定当事者ら」の主張を棄却した。
2 原判決が検討していない三つの論点
「選定当事者ら」の請求理由・主張のうち、原判決が全く検討していない論点は以下の三点である。
①
原発の製造・稼働及び輸出そのものが違憲である。
②
違憲である原発の製造・稼働及び輸出とその設計・補修・過酷事故対策
等を内容とする原発メーカー(東芝等)と原発事業者(東京電力)の原発ビジネス契約は反社会的で「公序良俗」(民法90条)に反し、違法・無効な法律行為である。
③ 反社会的な原発の存在を前提にする原賠法は違憲立法であり、たとえ違憲立法でなくとも、原賠法でなく、民法の不法行為法及び製造物責任法に基づき、被告・原発メーカーらは「選定当事者ら」の主張する「不安」と「恐怖」による精神的損害に対する損害賠償を支払うべきである。
第3 第1審判決の審理不尽の内容
1 原発の製造・稼働及び輸出そのものが違憲との主張に対する検討がなされ
ていない
「原発の運用は、憲法の三大原理である基本的人権尊重主義、非武装平和主義、・・国民主権(・・地方自治尊重主義)に抵触ないし違反する」(澤野義一『脱原発と平和の憲法理論』23―32頁(法律文化社 2015)。従って原発の製造・運用に根拠を与えている原子力基本法や原子力損害賠償法は違憲立法であると、「選定当事者ら」は主張する。
① 原発稼働等による多様な人権侵害の違憲性について―人格権の一つとしての平穏生活権の侵害―
憲法の前文は日本国民だけを対象にしたものではない。「われらは、全
世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権
利を有することを確認する」。と記している。「恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利」は全世界の人が享受すべき平和的生存権であるが、
原発及び放射能の被害から免れることを「恐怖と欠乏からの自由」とし
て主張する権利は、3・11事故による精神的損害を被った全世界すべ
ての人が訴えることができるものである。
以下、戊第19号証、澤野義一「原発メーカーの原発製造等と輸出の
「公助序良俗」違反性―憲法との関連でー」(5、6頁)より引用する。
(あ)「人格権」について
「原発の稼働や事故による人権侵害としては、人々の生命、生存、身体、
精神、居住・移動、職業・労働、財産、子供の教育等に関する憲法上保障
される様々な人権の複合的侵害が考えられる。当該人権の複合性は、原発
稼働の差止めを容認した大飯原発・福井地裁判決(平成26.5.21)によれば、
人の生命ないし生存を基礎(憲法13条、25条を根拠)とする「個人の生
命、身体、精神及び生活に関する利益」の「総体」であり、「人格権」・・
と呼ばれるものに相当する。」
「その他に、原発稼働等によって様々な人権侵害が引き続き継続し、さ
らに深刻化したり、あるいは、生命・身体・健康等に関する具体的権利侵
害が未発生であるが将来人権侵害を引き起こすのではないかといった、い
わば「精神的な不安や恐怖感を内容とする人権」侵害も考えられる。この
ような「精神的な不安や恐怖感を内容とする人権」に関しては、原発稼働
等による恐怖と欠乏からの自由(憲法の前文、13条[幸福追求権]、平和
的生存権とも重なる権利で、ノー・ニュークス権という呼称もある)や、
将来世代の国民の権利(憲法11条、97条) 等を論拠に正当性が容認で
きよう。」
(い)「平穏生活権」について
「1997年の「使用済み核燃料・放射性廃棄物管理安全条約」におい
て、「将来世代に不安を負わせるような行動を避けることに努める」とい
う規定が導入されていることも注目されてよい。この人権は、従来の表現
の自由や公害等に関する裁判で認められている「精神的人格権」(上記の
「人格権」の範疇に入り、福島原発事故で直接被害を受けた周辺住民には
賠償が認められている権利)とは異なる「平穏生活権」であり、被害者の
内心の感情にかかわる利益を保護法益とする新たな権利に属する。」
「「平穏生活権」は、これを提唱する論者によれば、「廃棄物処理場や遺
伝子組み換え施設などから人体に有害な汚染水や病原体が流出し生命・身
体に被害を受けるのではないかという深刻な恐れ、危惧による人格権侵害
のような場合であり、その被侵害利益は身体的人格権(身体権)に接続(直
結)した権利」、あるいは、「生命・身体に対する侵害の危険から直接引き
起こされる危険感、不安感によって精神的平穏や平穏な生活を侵害されな
い権利」である。そして、「単なる不安感や危惧感ではなく、生命・身体
に対する侵害の危険が、一般通常人を基準として深刻な危険感や不安感と
なって精神的平穏や生活」が侵害されていると評価される場合には、「人
格権の一つとしての平穏生活権の侵害」に対して差止め請求や損害賠償請
求が認められることになる。」
判例としても、このような「平穏生活権」が成立する余地を認めるもの
がみられる(東京地裁(平成9.4.23)、控訴理由書「参考にすべき判例」12頁参照)。
なお、この「平穏生活権」は「事実的因果関係論」の視点により、注目
され広く承認されるようになっている(淡路剛久「「包括的生活利益」の侵害と損害」『福島原発事故
賠償の研究』17頁以下、日本評論社、2015)。
②
原発稼働等の憲法9条侵害について
(あ)日本の原発政策は、核兵器の不拡散を謳いながら原発を推進する(NPT核不拡散条約)体制の中の大国の意向に同調するものであり、違憲の疑いがある。
(い)原発は潜在的核保有で憲法9条の禁ずる「戦力」に該当
「我が国の安全保障に資することを目的とする」とする原子力基本法の
改正が、2012年6月15日に可決された。原発の存続や稼働が潜在的
な核抑止力になっているという判断である。従って、それは憲法九条が禁
じているところの「戦力」に該当し、且つ外国に対する武力による威嚇手
段になる。「戦力」の英文はwar potentialであり、戦争に転用(核武装)
する内在的な力を持ったものは「戦力」とみなされる。これまでは自衛隊
が憲法の戦力に該当するかどうかの議論しかされなかったが、戦力とい
うものはそのような狭い範囲のものでなく、戦争に転用できるものは全
て入る。
(う)原発稼働は平和学研究者ガルトゥングが提案した「構造的暴力」の視点から捉える必要がある。
人々の平和的生存権を侵害し、被告ら原発メーカーが国内的に違法な「公序良俗」に反する原発ビジネスを政府の原子力協定締結に基づき海外に展開することは、日本国内外の人々に「不安」と「恐怖」という精神的損害を与え、「平和を愛する諸国民の公正と信義の信頼」原則や平和憲法にも反し許されない(憲法の前文、9 条、98 条等)ことであることにも留意すべきである。
「原発は戦争の原因となる社会の差別や貧困等(いわゆる「差別構造」「構造的暴力」)のうえに存在し、戦争目的に使用される可能性もあり(他国からのテロ攻撃等も含む)、人々の平和的生存権侵害につながる恐れがあるということである。
このような観点から、中米コスタリカ共和国の最高裁憲法法廷は、日本の平和憲法と類似するコスタリカの平和憲法(非武装永世中立や環境権 保障)に照らし、原発を容認する政令は違憲無効と判示している(2008年)。なお、核保有と原発(稼働)を憲法で禁じている国としては、永世中立国オーストリアがある。」澤野義一、戊第19号証 6頁)
原発メーカーの原発輸出の違憲性について原発ビジネス契約の「公序良俗」違反の内容をなす別の違憲的要因としては、原発稼働等の多様な人権侵害と憲法9条侵害という違憲性以外に、原発メーカーの原発輸出の違憲性の問題もある(詳細は澤野義一、戊第19号証、「原発メーカーの原発製造等と輸出の「公序良俗」違反性」前掲4頁以下参照)。これらの論点についても、原判決が何ら検討していないのは判決理由の重大な不備である。
2 原発の製造・稼働及び輸出を目的にしたビジネス契約は民法の「公序良俗」に反し、それによって生じた権利侵害等に対しては不法行為責任が問われる
契約は自由であるがその契約内容が反社会的な公序良俗に違反する内容を持っている場合には契約は違法・無効になる(民法90条)。また、そのような契約のもとで生じた権利侵害等に対しては違法性(民法709条の不法行為等)も問われる。
① 原発ビジネス契約は反社会的で「公序良俗」に反して違法・無効
契約が無効になる場合について、いくつかの理由が一般的には示されて いる。例えば反社会的な契約、犯罪に該当するような契約、人身売買契約、憲法の基本原理や権利を奪うような違憲性のある契約等は無効になる。原発ビジネス契約に当てはめると、原発稼働等は犯罪該当性があり、違憲性もあるということである。違憲性については、上述しているので(第3参照)、ここでは犯罪該当性について指摘する。
(あ)国内的には原発事故に対する東京電力経営者の責任が問われている
「2015年7月30日、東京電力の幹部が業務上過失致死傷罪 で強制起訴されるべきことを議決したことで、東京地裁で刑事裁判が開かれる。」澤野義一「原発メーカーの原発製造等と輸出の「公序良俗」違反性―憲法との慣例でー」4頁、戊第19号証
(い)国際的には原発稼働等の国際犯罪
原発は国際人道法違反、あるいは国際環境を破壊するということで
原発の存在や稼働は国際犯罪該当性がある。
「原発稼働等の国際犯罪性については、核抑止力として原発を保持することが核兵器使用=核戦争の計画と準備行為であり・・国際人道法違反(平和や人道の罪)に当たるという見解(注:田中利幸「核兵器と原子力発電の犯罪性」(Peace Philosophy
Center, 2012年7月31日、http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/07/ blog-post_31.html)や、原発事故等が環境破壊や将来世代の権利を侵害することを考慮し、「原子炉の存続と拡散は、人道法、国際法、環境法、及び国際的な持続可能な発展の権利に関する法のすべての原則に反する」という見解(注:C・G・ウィーラマントリー「日本においての原子炉の惨劇)『日本反核国際法律家協会に関する文書』2011年3月14日付。」等がある(澤野義一、同上)。
②「公序良俗」に反する原発ビジネス契約の不法行為責任
原発の設計・製造・販売・稼働・補修・過酷事故対策等を内容とする原発メーカー(東芝等)と原発事業者(東京電力)の原発ビジネス契約は客観的にみれば、原発事故を引き起こす潜在的危険性(「許される危険性」とされる自動車事故等とは質的に異なる「許されない危険性」)を内包する、違憲の反社会的で「公序良俗」(民法90条)に反する無効な法律行為であるうえに、東電と被告原発メーカーは、原発事故が発生する予見可能性の下で事故発生の結果回避義務を怠ったことの責任は免れない(過失責任) 。また、それにより原発被害者に対し多様な権利ないし法的保護を受ける利益を侵害したこと、すなわち経済的、身体的、生活的、精神的損害等を与えたこと(違法性)について事実上の因果関係があるから、不法行為の成立(要件事実)が認められる。
③ 原発メーカーの損害賠償は免責されてはならない
このように東電と原発メーカー両者に不法行為が認められる以上、その 法的効果としての損害賠償についても認められるべきである。損害責任の範囲を限定する「相当因果関係論」により、原発メーカーを免責すべきではない。従来の公害とは比べものにならない重大な被害をもたらす危険性のある原発ビジネスには重い損害回避義務が伴うところ、原発メーカーの賠償を免責することは、原発ビジネスで得られてきたこれまでの多額の利益に比し、あまりにも不公平で法的正義に反する。
原発メーカーについては、民法の不法行為に関する709条(一般的規定)と719条(共同不法行為規定)が適用される。東電に対しては原賠法により、一定の賠償責任が認められているが、「原発メーカー」に関しては、原賠法の適用を排除して、民法上の不法行為責任だけでなく、製造物責任法上の欠陥(危険)責任もまた問われるべきである。
3 原賠法の法令違憲及び原賠法に依拠した損害賠償請求をしない根拠につい
て
原発の製造・運用を前提にする原賠法は制定当初の立法目的と異なり、3・11福島事故以来可視化されてきた様々な事柄によって現在では違憲立法と判断される。それは「立法事実変遷論」として解釈される。
原判決は、「原告唯野ら」が主張する原賠法の責任集中制の問題とノー・ニュークス権等の人権侵害を理由とした原賠法の法令違憲論について、それを否認しているが、「選定当事者ら」の原賠法の法令違憲論については検討していない。
「選定当事者ら」の主張は、原賠法がノー・ニュークス権等を侵害するから違憲というのではなく、まずは、原発の製造・稼働及び輸出そのもの、そして原賠法の前提にある原子力基本法が違憲立法だという認識に立っている。これについては、原発違憲論と立法事実変遷論を参照(澤野義一『脱原発と平和の憲法理論』法律文化社、23~33頁)。
また仮に原賠法が違憲立法でないという判断であっても、下記の四つの理由で原賠法の正統性が揺らいでおり、原発事故に起因する「不安」と「恐怖」に基づく精神的損害については原賠法を適用するべきでない、と「選定当事者ら」は主張する。
1)
精神的損害は原賠法で定義された「原子力損害」に該当せず
原賠法における「原子力損害」の定義には精神的損害が含まれていない
ことは明らかである。丙第6号証の星野英一著書では、原子力損害のもっ
とも典型的なものとして、「放射能の照射に起因する損害に限るのが妥当」
と書かれている。しかし「わが原賠法には、特別な規定がないから、民法
の一般原則によることになり、相当因果関係の範囲に属する限り」、原賠法
に「含まれることになる」と判断している。すなわち、精神的損害は相当
因果関係の範囲に属する限り原賠法に属するということになるが、その相
当因果関係の基準が何かは被告弁護団の主張においても、原判決において
も明示されていない。
2)原賠法の「責任集中」と「無限責任」の原則は支援機構法によって実質破綻
政府の10兆円に及ぶ東電支援はこの支援機構を介して行われたが、同法では、「相互扶助の仕組み」の導入により、東京電力以外の原子力事業者も政府から東電に渡った支援金の返済を担っている。これは明らかに原賠法で謳われた、事故を起こした原子力事業者の「責任集中」と「無限責任」の原則と矛盾している。すなわち、原賠法の「責任集中制度」は、支援機構法の「相互扶助の仕組み」によって実質的に破綻させられている。
機構法付則6条2項は、「早期に、事故原因の検証、賠償実施の状況、経済金融情勢等を踏まえ、東京電力と政府・他の電力会社との間の負担の在り方、東京電力の株主その他の利害関係者の負担の在り方を含め、法律の施行状況についての検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」と規定しており、「機構法によれば原発メーカーにも責任を問い得る」(戊第11号証、熊本一規教授論文6頁、『電力改革と脱原発』)。
3)日米原子力協定の88年度改定で、アメリカの「免責条項」は削除
2011年5月27日、衆院経済産業委員会において、日本共産党の吉井英勝議員が、福島第一原発事故に伴うゼネラル・エレクトリック(GE)社の製造物責任を追及した。日米原子力協定の88年度改定で、それまで明記されていた「免責」条項が削除され、GE社に製造物責任があるという点について、政府参考人である外務省の武藤義哉官房審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定の免責規定は継続されていない」との答弁を行った。
協定上は米GE社の責任を問うことが可能であるという大変重要な見解を示している(戊第12号証、吉井英勝『国会の警告無視で福島原発事故』(74~79頁 東洋書店 2015)。
4)原賠法制定時の事故試算の隠蔽・改竄
原賠法は原子力基本法第一条の民主・自主・公開の原則にもかかわらず、原発事故の被害想定(大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算)の数字が当時の国家予算の2倍以上と巨額であったため、政府は試算の全容を隠ぺいして、改竄を加えた前書き部分のみ国会資料として提供しそれを基に審議制定されたもので、原賠法の正当性に疑問があると言わざるをえない(戊第13号証、NNNドキュメント2015年8月23日 「2つの“マル秘”と再稼働
国はなぜ原発事故試算隠したか」https://www.youtube.com/watch?v=eJteLPuiD5Y)。
4 原発事故に伴う「不安」や「恐怖(感)」を内容とする精神的損害の賠償について
原告「選定当事者ら」の請求している、原発事故に起因する精神的損害に対する原発メーカーの賠償責任についての主張は以下の通りである。
①
原発事故に伴って生ずる「不安」と「恐怖(感)」という固有の精神的損害
ここでいう精神的損害は、経済や生活的被害に伴う精神的損害(ここでは通常的損害と称しておく)とは区別される、原発事故に伴って生ずる「不安」と「恐怖(感)」という固有の精神的損害である。原子力損害の範囲を決める原賠審(文部科学省の下につくられた原子力損害賠償紛争審査会)の「中間指針」では、前者の損害は賠償されるとしても、後者の損害は賠償対象ではない。この点は、被告や原判決も同様の見解である。原判決は、原賠法の原子力損害について、「身体的損害、精神的損害又は財産的損害にかかわらず、上記作用[核燃料物質等の放射線の作用や毒性的作用]と関係のある全ての損害と解すべきである」としながらも、原賠法の適用を前提に、「選定当事者ら」の請求している精神的損害は賠償対象から除外している(判決、31頁)。
その理由は不明であるが、原判決は、原子力損害の範囲については、被告の立場や「中間指針」を政策的に考慮し、損害範囲を制限しようとする従来の「相当因果関係論」に依拠しており、原発事故と被害・損害に関する事実的な因果関係が認められる限り、広く精神的損害も保護し、賠償対象となりうると解する「事実的因果関係論」を「選定当事者ら」の「独自の見解」だとして断じて退けている。
② 参考にすべき判例
この点、「選定当事者ら」の見解では、原賠法の原子力損害については、そもそも「不安感」と「恐怖感」を内容とする精神的損害は含まれていないと認識しているから、仮に原賠法が有効だとしても、当該精神的損害について
は原賠法の「責任集中制」による原発メーカーの免責は適応されず、民法の不法行為の賠償対象となる。その際には、上記の「事実的因果関係論」に立脚すれば、「恐怖」と「不安感」を内容とする精神的損害も賠償対象となる。この法解釈は、原賠法の法令違憲により同法の適用を排除して民法の不法行為法を適用する場合と、結論は同じになる。
「未知の危険」であっても「起きる可能性が合理的に予測される危険」については、具体的予見可能性がなくとも過失責任が問えるという「危惧感(不安感)説」では、「不安感」というものは重視され(澤野義一『脱原発と平和の憲法理論』[前掲]45頁以下)、不法行為の成立要件の一要素である「法律上保護される利益」に当たると同時に、その侵害は損害賠償の対象となりうる。これは特に原発事故のような、将来にわたり被害・損害が継続的に発生することが経験則的に推測しうる場合について妥当すると思われる。
この点については、厚生省の添加物指定緩和による健康権侵害に関する事件にかかわって、「恐怖感とか不安感なるものは、・・・それが単なる主観的危惧や懸念にとどまらず、近い将来、現実に生命、身体及び健康が害される蓋然性が高く、その危険が客観的に予測されることにより健康などに対する不安に脅かされるという場合には、その不安の気持ちは、もはや社会通念上甘受すべき限度を超えるものというべきであり、人の内心の静穏な感情を害されない利益を侵害されたものとして、損害賠償の対象となるのが相当である」とする東京地裁判決(平成9.4.23)が参考になる(澤野義一「原発メーカーの原発製造等と輸出の「公序良俗」違反性」5-6頁、8頁)。
5 「相当因果関係論」と「事実的因果関係論」について
① 絶対的ではない「相当因果関係論」
相当因果関係論」は公害が起きる前に提唱されていた説で、事件の直近に起きた現実的被害のみに限定して、その責任、行為と結果の因果関係を認めるという非常に狭い範囲の議論、しかも民法でいう債務不履行、最低関係者の間の不法行為という非常に限定された範囲の責任を問題にする。
それに対して、近くの被害ではなく、間接的な被害、或いは将来起こる
かも知れない蓋然性が非常に高く被害発生の恐れがある場合の因果関係、予防原則、予防を含めた因果関係で責任を認めるべきであるとする「事実的因果関係論」が最近有力である。
被告らは精神的損害を「相当因果関係論」によって「原子力損害」とみなすが、相当因果関係の定義は明確でなく、「損害賠償の範囲について判例・学説を長らく支配してきた相当因果関係概念が多義的かつ不明確であって、理論的にも実務的にも解釈論の道具として用を成さない」(曽根威彦「不法行為法における相当因果関係論の帰趨」早稲 田大学法学 84(3)[2009.3.20 発行]とされている「相当因果関係論」を絶対化している。
② 事実的因果関係論」について
事故と被害を直接的・直近的・一時的なもの(被害事実)に限定する「相当因果関係論」ではなく、経験則的に推測しうる間接的・将来発生的・継続的なもの(被害事実)にまで拡張する必要性がある原子力公害時代には「事実的因果関係論」が適切である。また、この場合の損害賠償請求については、被害が継続的で、将来的に発生するような「晩発性損害」に当たるから、被害の全体が明確化するまでは消滅時効は成立しない。従って、東芝の代理人の製造物責任法の時効に対する主張は妥当ではない。
なお、原判決は、「選定当事者ら」の「事実的因果関係論」を「独自の見解」として退けているが、現在の不法行為に関する学説では、判例で使用されている「相当因果関係論」は「絶対的な通説」ではなくなっており(大村敦志『新基本民 法不法行為編』有斐閣、66頁)、逆に「事実的因果関係論」が「多数説」とみられている(潮見佳男『不法行為法Ⅰ[第2版]』信山社、359頁)。
その理由は、契約当事者間の債務不履行から生ずる予見可能な通常的損害を想定し(民法416条)、損害責任の範囲を限定するための法理論が「相当因果関係論」であるから、不特定多数の人々に対し、通常的損害をはるかに超える損害を与える公害等の不法行為において「相当因果関係論」を使用すること(民法416条の709条への準用)は、被害者の損害の認定される範囲を狭めることになり不適切だということである。
それに異を唱えたのが「事実的因果関係論」で、この説によれば、「不安感」を内容とする精神的損害であっても、それが被害の実態をなすものであれば損害対象とりなりうる(この「損害事実論」については、淡路剛久ほか編『福島原発事故賠償の研究』日本評論社、19頁以下参照)。
6 精神的損害の賠償請求は民法と製造物責任法による
以下、「精神的損害の賠償請求は民法と製造物責任法による」という主張を第4準備書面から引用する。
原告の主張する精神的損害は、①被告3社が原子力事業者東電(以下、東電)と民法の「公序良俗」違反である原発製造及び運用のビジネス契約を締結したため、民法と PL法違反によって引き起こされた原発事故を契機として顕在化した具体的な出来事に起因している。
原告は、②通常運転における、たとえ政府が設定した基準値以下の低 線量の放射能で
あっても、ガンなどの発症の危険性を本件事故によって深く認識している(戊第7号証、崔
「韓国の原発裁判で勝利したイ・ジンソプさんの資料」参照)。
また原告は、③原発の運転に必然的に付随する放射性廃棄物が内外の市民及びこれから生まれてくる子どもたちと自然に与える影響に心を痛め、④原発が国家安全保障の位置付けのもと核兵器に活用されることに「不安」と「恐怖」を抱く。
それゆえ、原告は上記①②③④等の「不安」と「恐怖」による精神的損
害を訴えたのである。その精神的損害は、本人の肉体を蝕み、家庭生活や社会生活における様々な問題を生み出し、福島地域だけでなく日本国内から国境を超え、世代を継ぎ広がるものである。精神的損害は恣意的に定められた放射線量の一定の基準によって判断されるべきものではない。
原告の精神的損害と被告メーカーらによって引き起こされた原発事故を
契機として顕在化した具体的な出来事との因果関係は明らかであり、被告は原告への賠償責任がある。原発の製造、運用がなければ原告の放射能に対する「不安」と「恐怖」による精神的損害は起こり得なかったということが因果関係の存在を証する。
第4 結論
東京地方裁判所の担当裁判長は「選定当事者ら」が第5、6の準備書面の提出後、被告弁護団らの反論のないところで、突然、弁論終結を宣言した。結局、第4準備書面以降の「選定当事者ら」の主張に関して被告弁護団側は反論をせず、原判決においても検討した形跡がまったく見られず、原判決は棄却したその理由、根拠を述べていない。また、「選定当事者ら」が裁判長に要請した、被告原発メーカーが過酷事故に際して負うべき内容等を記した契約の公開を求める「釈明権の行使」も曖昧なままになっている。
「選定当事者ら」の主張で原判決が全く検討していない点は以下の3点である。
① 原発の製造・稼働及び輸出そのものが違憲である。
② 違憲である原発の製造・稼働・輸出とその設計・補修・過酷事故対策等を内容とする原発メーカー(東芝等)と原発事業者(東京電力)の原発ビジネス契約は反社会的で「公序良俗」(民法90条)に反し、違法・無効な法律行為である。
③ 反社会的な原発の存在を前提にする原賠法は違憲立法であり、たとえ違憲立法でなくとも、原賠法でなく、民法の不法行為法及び製造物責任法に基づき、被告・原発メーカーらは「選定当事者ら」の主張する「不安」と「恐怖」による精神的損害に対する損害賠償を支払うべきである。
またこれらの点に関しては、政府によって恣意的に設定された数値を基準に判断する
「相当因果関係論」でとどまらず、間接的な被害、或いは将来起こるかも知れない蓋
然性が非常に高く被害発生の恐れがある場合の因果関係を勘案する「事実的因果関係
論」による判断の検討が要請される。
以上が控訴理由の主要なものであるが、それ以外にも、損害賠償請求に関して、福島原発周辺以外に居住する内外の人々の原告適格者の範囲や、被告東芝が主張した消滅時効の論点についても、原判決は何ら検討せずに請求を棄却しているが、ここにも判決理由の不備がある。「選定当事者ら」は、以上の理由により、原判決の取り消しを求める次第である。
0 件のコメント:
コメントを投稿