2016年9月7日水曜日

カナダ モントリオールのWSFに参加してー田上真知子

カナダのモントリオールで開催されたWSF2016に参加した田上真知子さんのリポートを公開いたします。田上さんは8月4―8日の韓国で持たれた日韓脱核平和巡礼に参加し、そのままソウルからモントリオールのWSF参加のためにモントリオールに直行されました。ソウルでの会議のあと、狭川(ハプチョン)での韓国人被爆者の式典に参加し、韓国人被爆者がアメリカ政府の原爆投下の責任を問う裁判を計画していることを知り、また私たちが日韓で、フクシマでの事故を起こし原発の輸出を継続している東芝らの責任を問う、国際的なBDS運動(Boycott, Divest投資引き上げ、Sanction制裁)を準備していることをWSFに参加した人々に知らせる役割も果たしてくれたと思います。その後、サンフランシスコに寄り、現地の活動家とも会われたそうです。お疲れさまでした!

9月18日に東京の日比谷公園内の図書館で、田上さんWSF参加と、日韓反核合同委員会(TFT)の報告会を午後2時から持ちます。関心のある方のご参加をお待ちしています。                                      崔 勝久

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テーマ別世界社会フォーラム
World Social Forum 2016 場所:カナダ モントリオール)に参加して

原発メーカー訴訟の会 本人訴訟団 
forgetnoise@gmail.comforgetnoise@yahoo.co.jp
田上真知子

テーマ別第1回「核と被ばくをなくすもう1つの世界」 (Toward Another World Without Nukes)世界社会フォーラムは2016323日から28日まで東京と福島で開催された。

世界社会フォーラム2016年(World Social Forum 2016)第2回テーマ別は「核分裂のない世界のためのモントリオール宣言」となり、世界社会フォーラム全体で最終日に承認された。


以下から日程順に記載します。
第1日目 2016889時からUniversity of Quebec At Montreal (UQAM)(ケベック大学モントリオール校)の庭で始まった。日差しが強く、準備も含めて1時間ぐらい外にいた。25名ぐらいの参加だった。第1番のスピーカーは先住民族の儀式とスピーチだった。英語で話してくれたが、私は到着したばかりではっきりと聞き取ることが出来なかった。
 しかし、レンガの所に立て掛けてあるブル‐の旗の意味を終了後に中心に立っている(以下の)女性に聞いた。「Five nation」(5つの国?)の事と答えてくれた。「イロコイ連邦」の旗でネット検索をかけてみるとわかるが、この「Nation」は今の「国境線」ができる前の話の「ネーション」で、「イロコイ連邦」独自のパスポートもあるようだ。「Nation」と言っても現代の意味での「Nation」ではない。


また写真に写っていないが、Stone IWAASAさんは、父方の家族の祖先が広島出身の方で、モホーク族カウンシルの人でもある。先住民族のスペース感覚について以下の本(英語)を勧めてくれた。Words of Peace in Native LandMohawk Culture, Values and Tradition」 By Guylaine Cliche and of Kahnawake Mohawk Traditional Council.
         
向かって右の旗は、平和のためのアーティスト(Les Artistes pour la Paix ) (フランス語)http://www.artistespourlapaix.org/?p=11700
次に室内にて、私のスピーチがあった。録音はあるが、写真がない。
スピーチの内容としては、まずは防護服を来て、ペットボトルに用意した水を机の上にたらした。それからガイガーカウンターでその水や空間線量等を測った。そして、以下の内容のスピーチをした。

Hello! My name is Machiko Tagami, from Japan.
In 1945 Aug, Nuclear Weapon, Atomic Bomb was dropped at Hiroshima and Nagasaki by US.
After 71 years, there are still victims of the Nuclear Weapon.  Obama came to Hiroshima on this May, of course, He didn’t apologize.
Also, Japanese Government, which was colonized Korean and Taiwan, Philippine, and others countries before World War , has never apologized, too.
You know why US choose Hiroshima and Nagasaki?
Hiroshima was a city of Military Capital at that time. Nagasaki was also Navy, military capital at that time
Is this like Okinawa or Hawaii for US Government, for now?

Anyway, I was in Hapchon, Korea, before I came to here. I met Korean nuclear weapon atomic victims. They and their children forced poverty, discrimination, neglect from Korea, Japan, and US government. The children also continue to battle terrifying illness because of the radiation exposure of their parents.
They said “ Is the United States simply waiting for all victims to die?”

And Me?
Am I…a Just victim?
I am also criminal, too, I think.

I was born in 1971. I have a happy life. If I go to Indonesia,China and Philippine, and other counties, some people tell me,
“ your ancestor killed my parents”.
 Do I have to apologize?  Yes, I have to. I have to apologize.

In 2011 March 11th, Fukushima Nuclear Plants were explored, you know, after 5 years later, around me, a lot of people get cancers and hard attacks. Some people died. Even if they are young, they get hard attack, too.
Am I victim?  Yes.
Am I criminal?  Yes.

What can I do? I am member of No Nukes Asia Action, and Class action Against the Nuclear Reactor Builder.
(I show the sheet)
We sued Toshiba, Hitachi, Mitsubishi also, but Fukushima plants was GE, so These are Fukushima Plants Reactor Builders.
TOSHIBA announced 64 nuclear power plants are produced and exported in 15 years
A lot of people know already, Nuclear for military use as weapon and electricity use as peaceful energy is two sides of same coins.
To export peaceful energy on nuclear power plants from Japan is as same as to export weapon from Japan, and it is against Constitutional Spirits.
It is not enough to investigate the responsibility of Nuclear Reactor Builders only at court trials.
It is necessary that Movement for stopping export and import peaceful energy on nuclear power plant production should take place inside and outside the court.
we start international BDS Movement of the TOSHIBA product. Boycott for Toshiba Products! That is what we trying to do.
This is my group.

Tomorrow another group from Japan comes to this conference.
SO I just talk to their statement.

(この後一日遅れて到着する「脱被ばく実現ネット」のグループの説明もした。)

私が直接聞いたフィードバックとしては、ガイガーカウンターで空間線量を測るのは、「リアルで面白い」という方と「何がしたいのかよくわからない」という方がいた。「何がしたいのかよくわからない」という方には、どんな場所でどんな人達がいて、スピーチをするのか、わからず、まずは観客の注意を向けるために行ったと説明した。
スピーチの内容に関しては、自分自身に問いかけているのが、良かったという方がいた。また「Imust」は強すぎる表現なのではすぎはないか、と他の話をしながらのフィードバックもあった。
しかし、私個人の感想として、どこまで私の英語が通じたのか、よくわからない。

                       
その後にWSF創設者メンバーで20163月に日本で行われたWSF2016のテーマ別第1回の参加者でもある、シコさんのスピーチがフランス語であった。(上の写真)

         

次に元首相の菅直人のビデオレターがあった。5分くらいで短くまとめられていて、2つの核(軍事使用と原発/民生使用)があるという説明がわかりやすく評判がよかった。(上の写真)

         

次にパネラー4人を呼んで、簡単に座談会を行った。(上の写真・ケビンさん、ジャスミンさん、Drゴーデンさん、Drマイケルさん)反(脱)原発運動をもっと人々に広げるべきだということで語り合った。(30分くらい)ちなみにマイクを持っているのは、Drミッシェルさんイェール大学を卒業したかたで、反原発運動の困難さもよくわかっていて、多くの文献も読んでいると言っていた。
また、「税金を払う」のだって、「罪」もしくは「賄賂」だという感想を述べた方もいた。
****以下英語で人の紹介****
The man with the microphone is
Dr. Michel Duguay, Ph.D., Professor of Electrical Engineering as Laval University in Quebec City, trained as a nuclear physicist, now a researcher in solar energy.  He has become a major figure in the nuclear debate in Quebec and in Canada, and was one of the important voices that brought about an end to nuclear power in Quebec as the only functioning nuclear reactor in the province was permanently shut down in December 2012.

Sitting at the table, from left to right, are
(1)   Kevin Kamps,  nuclear waste expert with a group called Beyond Nuclear based in the Washington DC area, very knowledgeable and articulate on nuclear issues of many kinds; http://www.beyondnuclear.org/

(2) Pierre Jasmin, a leading figure in Les Artistes pour la Paix, very dedicated to the abolition of nuclear weapons, and an active member of the Canadian Network to ABolish Nuclear Weapons (CNANW), the Pugwash Group of Canada, and Science for Peace;  http://www.artistespourlapaix.org/?p=11700

(3) Dr. Gordon Edwards, Ph.D., President and co-founder of the Canadian Coalition for Nuclear Responsibility, consultant on nuclear issues to governmental and non-governmental organizations for 40 years;  http://www.ccnr.org/

(4) Dr. Michael Dworkind, M.D., a highly-respected physician who co-founded the Montreal chapter of the International Physicians for the Prevention of Nuclear War, now known as Physicians for Global Survival in Canada.
****英語で人の紹介 ここまで****

                    

次に日本でも反原発運動では、有名なアーニーガンダーセンさん(ニューヨーク)で、第一回の時は、ビデオで参加していたが、今回は本物で少しびっくりした。
「いかに原発を建てるのにお金がかかるか」、「原発と二酸化炭素削減の話は関係がない」等のスピーチをパワーポイントの資料を使いながらしてくれた。
 この時のお昼休みにアタック関西の寺本さんと秋本さんと一緒にお昼をとった。寺本さんとは始めてお会いした。メーカー訴訟のメーリングリストに開会式の様子を投稿してくださり、ありがたかった。
 午後は、簡単に英語で自己紹介を行った。エドワードさんが「科学者というのは、人類のために役に立たないことばかりをしている」と、モントリオールに来た時に言われ、離席したい気分になり、だから、私は今ここにいるんだ(=WSF2016反核部門を引き受けた)と言っていた。一瞬エドワードさんの顔に涙あふれたようで、とても印象に残っている。
 またシコさんは、ブラジル出身で、ブラジルは日本とフランスから一基ずつ原発を輸入して、たくさんの金を大統領がもらい、その大統領が、弾劾裁判にかけられた話などをしてくれた。
 私は、「Nuclear Liability Law」があるため、メーカーはその装置を作っているにもかかわらず、責任をとらずにすみ、TEPCOは、その機械を制御(コントロール)しているだけで、結局は誰も責任をとらずに済む話をした。また在韓ヒバクシャの話と共に、日本に無理やり連れてこられ、核による健康被害は今も続いている話をした。「原子力損害賠償法」が「Nuclear Liability Law」の訳でいいのがわからなくなり、助けてもらいながら、簡単に説明した。

第2日目
午前中は、エドワード ゴーデンさんが下書きをした宣誓文について皆で議論した。この時は、なかなか話がまとまらなかった。「東京アピール」と比べて具体性に欠けているのではないか、「再稼働阻止」等、もっと強くいうべきではないか等。しかし、「東京アピール」は、誰に向けて書かれているものなのか、非常にわかりづらいと、専門家等の意見があった。ゴーデンさんは、物理学者で「Fission」(核分裂)をタイトルに盛り込みんだ。私は、英語の宣誓文の全てを理解していなかったので、特にここで私は声をあげずに、聞くことに専念した。
お昼は、現在アーニーさんのオフィスで働いていて、20代の女性(哲学専攻と言っていたが、名前は覚えていない)と会話を交わした。フクシマ震災時、日本に住む外国人含め多くの方々が、パニックになり、海外へ避難し、それをサポートしたことなど話してくれた。また、5年近くが経って、いかに簡単に人は放射能の怖さを忘れてしまうのか等話した。本人も今後どうしていけばいいのか、検討中という感じで、気が合った。

午後は、マーチ(デモ)の前に、公園に集合した。


私は、「Oppose Exporting Nuclear Power Plant」「Don’t Nuke the Climate」と「原発輸出反対 ウラン輸出反対(ウサギのロゴ)」の旗の計3種類を公園の地べたに置き、用意していたチラシも地べたに置き、とっていきたい人が取っていけるようにした。私自身は防護服とガスマスクをつけて、寝ていた。行き交う人の目を引いていたと思う。(写真参照)

  

その後デモに出発。イスラエルに対してのパレスチナのための運動の参加者が一番前で人数も多かった。とにかく、たくさんの人々が参加していて、全体の様子はわからない。2時間ほど街中を歩いた。途中シコさんが「なんか東京みたいな(管理された)デモ(マーチ)になっちゃった」と言っていたのが、印象的。また私達のコールは、「No Nukes! No Coal! No Fracking way!」(核はありえない!石炭もありえない!水圧破壊法なんてありえない!)でトロントで活動しているアンジェラさんが先導してくれた。(写真下)。



デモが終了すると広場で若者主催の音楽イベントが0時近くまであった。開会式は反核部門でも開会式のスピーチをしてくれた先住民族の男性だった。たくさんの音楽グループで参加し、映像つきのものもあった。 オキュパイ運動の時に流行った「We are 99%」の代わりに「We are many」というキャッチが目を引いた。たまたま一緒にいた方から今回、文明化されていない国(Not civilized country)の出身の人100名ぐらいが入国を拒否されたという話を聞いた。「ショックドクトリン」の本で有名なナオミクラインがシオニズム批判としてWSF2016の報告で書いていた。(以下広場での風景写真)


パレスチナの旗をモチーフに長く伸ばした旗

                   夕方  
           

 
                   夜
           

第3日目(810日)から第5日目(8月12日)までマギル大学にて
テーマ別反核には、3つの部屋が用意されていた。一つは写真展、、一つがエドワードさんらを中心とするグループ。もう一つが、反戦や核の軍事的使用の説明のための部屋で、WSF2016の全体は、他のビルでも行われていた。参加者はいろんな場所に、行ったり、来たりしながら、参加していた。大体1つの部屋は20名弱の人々がいた。WSF全体でみると、テーマ別反核は特に人が集まっている部屋というわけではなかった。
私は、午前は、反戦(No to NATO)や核の軍事使用を聞いた。こちらの主催は、
The International Peace Bureau at the World Social Forum (IPB)
ピースアクション(ニューヨーク)
など大きな2つの団体がいた。

            
写真上でしゃべっているのがReiner Braunさん(ドイツの弁護士)、座っているのがJoseph Gersonさん、もう一人のスピーカーがKevin Martinさんだった。ジョセフさんは広島に行って戻ってきてばかりだった。Reiner Braunさんはトルコ事情を話してくれた。
私の感想としては、北朝鮮と韓国の関係のように、USや欧米のメディアで行われる敵視対策により、「武器を売るために敵をつくる欧米の中東政策」と「北朝鮮対策」とは共通するものがあると感じた。

アセンブリでのジョセフさんのトーク。とにかく早い

          

ヒバクシャ国際署名サイト:
のことを伝えていた。その他軍事費でどの企業と密接なかかわりがあるかを示したもの。

また、それそれがそれぞれの政府をもっと批判すべきだ。Natinalizmをもっと批判すべきだ、と話が盛り上がった。

その日の午後と第4日目(8月11日)と第5日目(812日)はエドワードさんらの所に留まることにした。理由は、これからの活動を考えると、こちらの関係をしっかりと気付いておきたかったからだ。エドワードさんらのグループは、5大湖をまたぐアメリカとカナダの反原発運動の活動家を育てたいようだった。ちなみに先住民の地図だとアメリカとカナダという分布ではない。エドワードさんの講演はしゃべりが早く、何も見ずに、ある種機関銃のようにしゃべるので、ついていくのは大変だった。また時差ボケで、特に午後は睡魔と、ビル全体でコントロールされているエアコンの寒さとのの闘いだった。講義の詳細までは、はっきりと掴んでいるわけではないが、いくつか関心があった事を報告する。

     ニューメキシコ州で活動しているレオナ(leona)さん。放射能を民間で測定し(Radiation Monitoring Project (RMP))、住民に普及させている。イリノイ州とニューヨークとも連携をとっている。国の測定所が、フクシマ震災経験時(後)、あまりあてならなかった事を踏まえてのアクションだと思った。

Radiation Monitoring Project (RMP) is a collaborative project of Sloths Against Nuclear State (NY), Diné NO NUKES (NM) and Nuclear Energy Information Service (IL) which began in September 2014.

             

また、先住民から見た「土地と鉱物の泥棒が合法化され、政策となった」という経緯を簡単に説明してくれた。写真の右側に写っているのが、いつのものかはきりとわからないが、「1872年 鉱山の発掘」と書かれているので、第1次世界大戦前からの話なのだろう。
また、(室内での)写真はないが、初日の外の庭でスピーチをしてくれた方も面白かった。16歳の頃(1978年)、原発作業員として駆り出されたが、何故かやる気がせず、やめてしまったことや、ロナルドレーガンの大統領時代に経済が落ち、スーパーファンド法(インタネット検索より:1980年に制定された包括的環境対応補償及び責任法CERCLA)のニックネームであり、「国民の健康、福祉、または環境を危険に晒す可能性がある有害物質の脅威または流出に対応するEPAの権限を認可した」法律)がつくられ清掃チームがつくられ、(おそらくそれに)駆り出されたという話。先住民から見れば、自分らの土地を奪っておいて、汚され、お金のために清掃に駆り出されているという感覚なのだろう。除染作業のことを思い出した。ちなみに日本では2003年に成立している。現在の彼らの仕事は日雇い的な建設作業員。(ウィキペディア「モホーク族」より:現在のモホーク族の人口は20世紀後半には約5,000人だった。一部では農業を営むが、他はニューヨークやカナダの都市部に定住し、スカイウォーカーとも呼ばれ、危険な高いビル建設などの工事現場での労働者として働いている事が多い。)
先住民なので、文化が違い、話はずっと一日中続くそうで、講演会の話を「10分してくれ」と言われると、とても腹が立つそうだ。最後はヒッピー文化の話になり「Go Fishing(魚釣りに行こう)と話を締めくくった。

     エドワードさんは、放射性廃棄物の話はかなり熱く何度も語られた。
フクシマ震災後の放射性廃棄物は、黒いおおきな袋にいれられ、どんどんそれを拡散しようとしていると日本の状況も紹介していた。以下のHPアドレスで確認できる。

               
 上記の写真は、講義の中で使われ、提案として示してくれたもの。
・新たな核の廃棄物は政策は、率直さを基本とし
・現時点での証明された解決策はないと認めることからはじめる。
・廃棄のための1つの方法として、「Rolling Stewardship」(転がる記憶の管理法?)
・廃棄物は予見できる将来のためにモニターされ、検索可能である。
・廃棄物は安全に一定期間パッケージされ、その後また再びパッケージされる。
・これは、解決ではない。倫理的な廃棄物管理計画である。
・「Rolling Stewardship」(転がる記憶の管理法?)は、本物の解決策が発見されるまで必要とされる。
・他に添加された廃棄物は段階的に外へ排出されるべきであるし、排出することができる。詳細は「Rolling Stewardship」でネット検索すると英語だがたくさん表示される。http://www.ccnr.org/CCNR_Undertaking_final.pdf#search='Rolling+stewardship'
           
 

特に上の2つの図を使って懸命に説明していた。聞いているときは、あまり理解していず、家に帰って調べてみると、政府に出す提案としては、いいと思った。

******以下訳語の提案 岡山文人さんから******
rolling stewardship の訳語として
積極転嫁、 あるいは
多世代管理(負債相続)、を提案します。
rolling stewardship
の内容は次のことであると理解しました。
今の世代では処分方法を考案できなかったので、次の世代へ管理を引き継ぐ。具体的には、
・廃棄物を常に監視すること、(化学分析、放射線監視、など)
・劣化した容器を更新すること、
・安全な処分方法の研究を続けてもらうこと、
・さらに次の世代へ管理を委ねること。
これをすべてのTRUを無害化するかTRUを地球から消滅させるまで続ける。

次の文書を参考にしました。
http://www.ccnr.org/Rolling_Stewardship.pdf
http://www.ccnr.org/CCNR_Undertaking_final.pdf
https://ndep.nv.gov/lts/rollings.pdf
*****ここまで*****

     アニーガンダーセンさんは震災後の健康被害についてパワポ資料を使用しながら、以下のようにまとめた。パワポの資料をもらったので欲しい方は連絡ください。
No Amount of Radiation Is Safe. Dilution is NOT the solution to pollution!
there will be between 100,000 and 1,000,000 additional cancers.
(どんな量の放射線も安全とは言えない。薄く(希釈)することは汚染の解決ではない。ガンの患者数は、10万から100万の単位で増えるだろう。)
その後、アニーさんに質問したが、「ガンが原発の影響である」とは、コストベネフィット論の関係で国は認めないだろうと言っていた。しかし、今後も相談に乗ってくれそうだったので、健康被害を訴えるグループを紹介してみようと思った。
また、グローバルサバイバーのマイケル(医療関係に詳しい)に「韓国では甲状腺ガンは、原発近くの住民からの訴えで、原発の影響だと認められたが、日本では認められていない」と言ったら、以下の本を勧められた。
Crisis Without End:
The Medical and Ecological Consequences of the Fukushima Nuclear Catastrophe
Helena Cauldicott

     The myth
この講義はほんとうに面白かったが、だれもビデオをとっていず、録音もない。かなりはっきりしていた。ざっくりと内容は、「核」は、銃のような武器ではない。多くの場所で核をもつようになり、「global suicide」(グローバルな自殺行為)だと言った。冷戦後原発の数は減ったが、しかしまだ200以上ある。核戦争(例えばインドとパキスタンのような小さな核戦争も含む)がはじまれば、そこに医療の解決策はないのは、皆承知のはずだ。
原子力村や推進派は、Classic(クラシック)なaddiction(中毒)である。
反原発運動はHabit(習慣)である。

ケベック協定(1943年)(下の写真を使って)の後に、長崎・広島に原爆が落とされたと語ってくれた。左からカナダの大統領、真ん中がアメリカのルースベルト大統領、 一番右がチャーチルイギリスの大統領。ウィキペディア検索で「ケベック協定」の正式名称は、
チューブ・アロイズに関するアメリカとイギリスの政府間の共同管理に関する協定文章("Articles of Agreement governing collaboration between the authorities of the U.S.A. and UK in the matter of Tube Alloys")である。イギリスとアメリカは、「チューブ・アロイズ(原爆)を早期に実現するための計画」」という事だった。

               

原発は、high-alertの状態で保たれている。先住民の人が言っていたが、ずっとアクセルを踏んでいる状態なのだ。
Suicide is not defenses.(自殺は防御ではない) 潜水艦の数も言っていた。以下の展示写真(美術の作家名は覚えていないが、ゴードンさんのパワポの資料にはよく出てくる)の作品でどれだけ、私達が、原発、潜水艦、ミサイルの核に囲まれている生活をしているか、示された。そして、「核の冬」の話があった。「核の冬」は、アメリカでシェール革命がおこり、水圧破壊法により、プレートとプレートが滑りやすくなり、地震など起こりやすくなるのではないか、そして、ガスが大気圏にたまり、覆われて、太陽光が地上にまで届かず、人為的な冬の状態が作りだされているのではないかという説である。You Tubeの「Fracking」で検索をかけると論理的に説明してくれるサイトがあるようだ。


大企業の悪さの話は、以下のサイトを見ろと言っていた。どれだけの企業の原発マネーが流れているか、しっかりとみろ!ということだった。

don't bank on the bomb」(爆弾をあてにしないでください)のサイトの紹介もしていた。

***以下エドワードさんからメールにて***
President Obama has approved a one-trillion dollar 30-year program to "modernize" the American nuclear arsenal, and other nuclear-weapons states are doing something similar, so obviously there is no intention to get rid of these horrible devices of terror in the foreseeable future.  Also, there are still almost 5000 weapons on "high alert" despite many appeals from the UN General Assembly and elsewhere to removed them from high alert status.
***ここまで***

     「脱被ばく実現ネット」がしゃべっている様子。来年の3月で打ち切りになる支援に対して、避難する権利を訴えた。基準値以上の放射能が給食の牛乳で見つかっている話などを話してくれた。

   

     CANDU(ウェステイングハウス、東芝、日立がメーカーのものもある)(インド・パキスタンに輸出)とSmall Modular Reactors(SMR)の違い。SMRは韓国産だが、カナダとのつながりが強いようだった。
***以下でゴーデンさんから****
I do not know of plans to make CANDU reactors of a small size.  The trend has been in the opposite direction.  The so-called "Advanced CANDU Reactor (ACR)" -- still in the planning stages for many many years -- is as large or larger than any CANDU reactors now operating.  
However there is a lot of public relations "hype" about "Small Modular Reactors (SMR)" of less than 300 MWe output, ofvarious kinds (not CANDU!), that would be designed for largely unattended operation, requiring very little refuelling.  Some designs are "fast reactors" with no moderator, requiring fuel that is made of weapons-usable strategic nuclear materials such as Highly Enriched Uranium (used in the Hiroshima Bomb) or plutonium (used in the Nagasaki Bomb).  None of these are commercially available, and most people outside the industry believe they have been over-sold with exaggerated claims.
***ここまで***

    IAEAの事や感想など
国連の国際原子力機関International Atomic Energy Agency)は、核を、結局は、推進しているのを知らなかったと、という感想があった。また国連の世界保健機関(WHO)もその下請け組織であるということを説明してくれた。ICRPの1959年の協定の話などをしてくれた。

***IAEAについてはいろんな認識があるようです。以下にその例***
ICRP
は政治団体です。
日本では「..防護委員会」などという翻訳になっていて、放射線防護を科学的に扱うかのイメージが植え付けられています。活動はまったく科学とは無関係であり、放射線防護に関して政治的に数値を決める権利がなぜか与えられています。
ECRR(
欧州放射線リスク委員会)の報告書を見ているとICRPへの敵意がはっきりわかります。

なお、放射線の単位でシーベルトはICRPが恣意的に決めて、国際単位としてねじこんだものです。グレイとベクレルはICRPと無関係で、科学的には単純明解に決めた国際単位です。

IAEA
は核兵器管理機関です。
原子力に名を借りた核兵器製造を監視するのが目的ですが、副業として原子力の「平和利用」を推進する役目も自称しています。国連本体との関連が私には理解できていません。無関係だと思っていたけれどシンボルマークは国連に似せているし、事務所も間借りしているような気がします。

どちらの機関も、名前で本性をごまかしている点では日本の()科学技術庁と同じです。科学技術とは核利用(発電用だったり原爆用だったり)のことでしたから。こちらは文部省と合併して余計に名称による隠蔽が進んだと思っています。
***ここまで***

    カナダのチョーク川に核の廃棄物を捨ててしまっているのは、本当か?の質問に対して、以下のようにメールで答えてくれた
***ここから***
There has been radioactive waste leaking into the Ottawa River from Chalk River for a very long time, not usually dumped directly, but sometimes yes, even deliberately dumped. 
I do not have a document with specific radionuclide levels in the Ottawa River, but there is definitely more tritium per litre downstream of Chalk River than upstream from Chalk River.
***ここまで***


     オーガナイザーの紹介


座っているのが、オーガナイザーで講義をしてくれた人達だ。
アンジェラさん(カナダトロント)http://www.cleanairalliance.org/
ホジャットさん(黄色シャツ・WSF反核部門)、ゴーデンさん、マイケルさん(ミシガン)、マイケルさん(グローバルサバイバー)、
ケビンさん(東海岸側) http://www.beyondnuclear.org/
写真家のロバートさん

写真には写っていないが、
デイアナさん(ニューメキシコhttp://www.dinenonukes.org/radiation-monitoring-project/
ダイアナさん(ワシントン) http://www.nirs.org/
感想として、今回カナダのモントリオールに集まることに関し、金銭的に大変な方もいたようだ。また、オーガナイザーが苦労も背負うケースも多いのでどこも一緒のようだった。

第6日目
ジェリーパークでの集会。宣誓文を読み上げた。
私は寝すごしてしまい、集会が終わった頃、ジェリーパークに到着した。集会のもりあげりは残っていて、カナダ在住の日本人のボランティアの方々と話をした。「脱被ばく実現ネット」の柳原さんが提案していた「国に頼らない自給自足的な生き方・生活」をフレンチコミュニティからもっと学ぶべきではないかと指摘された。
 少し経って、フランス語で討論会が行われていた。まわりに絵の展示やATMマシーンがあり、カナダのモントリオールでも若い人が抱えている問題はそれほど日本と変わらないのはないかと思った。(写真下)
  

以上



サンフランシスコにて
 まずは、腹ごしらえと思い、チャイナタウン近くを歩いていたら、「海外抗日戦争記念館」を見つけた。改めて、サンフランシスコ講和条約の場所に来たのかと思った。別名北と南とつくってしまった条約というべきなのだろうか。

         

その後ツーリストのメッカであるゴールデンゲートパークに行く。寒くて風邪をひく。夏でもなく、歩いている人の中には、セーターを着ている人もいた。サンフランシスコの夏とはこういうものだと知った。ゴールデンゲートパークは、ケネディ道路(Kennedy Dr)とマーティン ルーサー キング ジュニア道路(Martin Luther King Jr Dr)という大きな道路があり、それを29号線のクロス オーバー 道路(Cross over Dr)が2つの道路を結んでいる。また、もう一つ表記のある道路として、ペロシ道路(Pelosi Dr)があり、エイズメモリアル館を建設したとき議員の名前らしい。
「ゴールデン」の由来は、金の採掘で有名になった場所でニューヨークのセントラルパークとのようなものが欲しかったらしい。1868年から公園の計画がスタートした。
デヤング美術館に入ると、先住民族の展示があり、ガラスケースの中にとっても貴重なものとして、入っていた。
少し、やりすぎでは、、、と思った。何のための誰のための「保存」なの?という感じはした。しかし、西洋の歴史から見た「美術作品」とは「保存する」ことによって、「宣伝する」ことによって、付加価値をつけ、教育の材料として使用するというものなのだろう。韓国の「Comfort Women」(慰安婦像)を撤去したい「Nation」は、日本、韓国、アメリカに限った話ではない。
次の日は、ちづさんに会った。簡単にバークレーの町を紹介してくれた。ヒッピーで有名な場所とも言っていた。日本の青山って感じかなって言っていた。反核運動では、やはり年配の世代の方が多いらしく、サンフランシスコの日本大使館への抗議活動も50回目を迎え、いろいろと考えることがあるということだった。はっきり物事を言うタイプの方で私にはとてもしゃべりやすく、励みになった。ご飯もおごってもらった。
韓国のイ・ジンソプさんが入院したようだと言ったら、とてもびっくりしていた。
http://oklos-che.blogspot.jp/2014/10/blog-post_31.html

次の日はジョンさんがホテルに向かえにきてくれた。たまたまお部屋が一緒になった韓国の女性も一緒にジョンさんとお昼をとった。Fort Masonのビーチに行き、天井が高いレストランで優雅な食事をした。またもやおごってもらった。記念に写真をとった。

奥に見えるのがゴールデンゲートブリッジ(1937年完成)現在では自殺の名称ともなっている。



奥に見えるのが1934年から1963まで連邦刑務所として使用されたアリカトラズ島

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