OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2016年1月3日日曜日
「流砂のなかで」辺見庸と高橋哲哉の対談を読んで
昨年末に発行された最新の著作です。辺見庸と高橋哲哉との対談集はこれで3回目だそうです。
この対談を読んで、前の2回の対談の内容を知りたいと思い、アマゾンに注文しました。しかし私は読者にまず、辺見庸の『1★9★3★7』をまずお読みになることを勧めます。高橋哲哉も絶賛していますが、なによりも辺見の考え、ものを言う視点がどのようなものか、理解されると思うからです。
「辺見庸の、「戦後思想上、最大の問題作!とされる『1★9★3★7』を読む」
http://oklos-che.blogspot.jp/2015/12/blog-post_17.html
私はまず本を読む前にまえがきとあとがきを読むのですが、この本であれっと思ったのは、両者がそれぞれ、「異なっている」ことを強調し、「しっかりとことなっていなければならない」(辺見)、「「いつも、しっかりとことなっているためには」・・・それぞれが単独者でなければならない」(高橋)と書いていることでした。その最後の章の「人が自らに責任を問うとき」を読んでその意味がわかりました。それまで両者は「責任」ということについて同じ言葉を使い、その内容を展開していました。
高橋が自らの責任の撮り方として、「沖縄の基地は、安保を廃棄できない限り、日本の(ヤマトゥ)の責任なのだ。ならば日本で基地を引き取り、日本でこれを廃棄しなければならない」、「自分の責任として踏み込むつもりです」と主張します。
それに対して辺見は、「責任の取り方として、基地を引き受ける、という行動様式と身ぶりが僕はどうも引っかかる」、それに対して高橋の説明を聞いて一定の理解を示したあとに辺見は、「責任論は高橋さんの哲学的な原点だと思うので、もっと個的で内的な丁寧な書き込みが必要だという気がします」と指摘するのです。
辺見は、高橋の責任の取り方は、「県外移設の現実的な不可能性に触れていない」という意外な指摘をします。そして最後にこのようにしめくくります。「この国の戦中、戦後において、責任という概念ほど重要なものはない。誰もが合法的に責任を免れるようにして生きてきてしまった。一人ひとりが責任主体として自らの内面の闇の部分に光をあてていく作業が必要だと僕は思っています」。
高橋の責任の取り方として、沖縄の基地を本土にもってきて安保を廃棄するしかないという言葉はよく考えられた言葉であることはまちがいないでしょう。しかしそれが論理整合性に立つもので、PC( Political Correceness, 正義の主張)に聞こえるのはなぜでしょうか。私はそれは辺見のように、自分を含めた人間の「闇の部分」を直視していないからだと感じました。
辺見が1937年当時の日本の状況における軍人、文化人、一般大衆の行動を見据えながら、そこに見られる日本社会の天皇制を隠れ蓑にした無責任体制を批判するのですが、それは外在的批判でなく、当時中国にいた自分の父親を振り返り、そしてなによりも自分自身も父親と同じような行動をするのではないかという自分自身の人間として有様を直視しようとするのです。
私はここに辺見の強さを感じます。彼の問題意識が病気からの回復の後、さらに磨きがかかったのではなく、彼の自分の「闇の部分」を直視する態度に彼の強さと人の心を打つ、秘密があるように思います。
最後にSEALDsに見られる若い人たちの台頭にも辺見は心を許しません。彼らの運動は、これまでの内外のストラグル(闘争)やムーブメント(運動)とことなり、「公権力と馴れ合い親和的」であり、「組織主体のはっきりとしないフィノメノン(現象)に見える。・・・法と秩序に以外なほど従順で、あたらしフィノメノンであるにせよ、既製事実をぶちこわすようなフィノメノンではないでしょう」と辛口です。そこには、SEALDsは日本の戦後の民主主義は「骨の髄まで民主主義国家」であり、「安倍はいまこの時に突然変異として出てきたのではなく、この国の呪わしい遺制が早くから胚胎し、生まれるべくして生まれてきた凶禍の元」であることをどれほど認識しているのかという厳しい問いがあります。
世界観や歴史の知識があるからといって人の心をうつものではありません。時代を生き抜いてきた親の振る舞いに時代や歴史を見てとり、なお、そこに自分自身のあるがままの姿をしっかりと受け止めるものがないと(「個人の内面深くを見つめないと」)「世界史的なイメージというのは・・出しえない」辺見は語ります。
私がブログでも取り上げましたが、1975年の昭和天皇の記者会見において、戦争責任を問われ、天皇は「そいう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、お答えできかねます」と答えたのですが、そのことにマスコミは一切反応(批判)できず、「日本の言説はノックアウトされた」と辺見は見ます。彼の指摘は改めてしっかりと受け止めるべきではないでしょうか。平和的な言葉を発する天皇が再評価されている現在、時に必要であると思います。
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