2015年11月13日金曜日

私たち「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」が求めていること ― いかなる差別も、核兵器も、原発もない社会をめざして ━

以下の主張は「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」の最終的な主張ではありません。さらなる議論を通して遂行し、あらためて会のHPで公表します。http://nonukes.eyedia.com


私たち「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」が求めていること(試案)
― いかなる差別も、核兵器も、原発もない社会をめざして 

私たち「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」は福島第一原発の事故で何一つ責任を取らない原発メーカー3社(GE・東芝・日立)を被告として、原発の製造と輸出は違法行為であり、断じて許せないということを裁判で訴えています。

裁判では原発メーカーに「精神的損害」の賠償を請求するという形になりますが、真の目的は原発の製造・輸出をやめさせることです。

原発は核兵器と表裏一体のものです。「原子力の平和利用」そのものが超大国の核による世界支配体制を補完するものであり、人間・民族・国家間を差別する構造の上に成り立つ、きわめて非人間的なものなのです。国内外の差別を私たちは植民地主義であると定義します。国家とは植民地主義を正当化する装置であり、原発体制は原理的に植民地主義なのです。従って、原発体制との戦いは国民国家の枠を超えることによって可能になります。その戦いは一国平和主義を乗り越え、国際連帯運動によって実現されるのです。

原発体制を支える差別は、ウランを採掘する被曝労働から始まり、原子炉の中で働き被曝せざるをえない原発労働者(そのほとんどが下請け・孫請け・ひ孫請け労働者)の存在、都会に電力を供給するために原発立地地域になった地方と都会の搾取・差別の構造、核を持つ国と持たざる国との差別のうえで成り立つNPT(核不拡散条約)体制の存在に示されています。さらに、NPT体制は核兵器の縮小を議論しながら原発を輸出し拡散することを認めています。

福島での悲惨な事故を起こしながら、原発メーカー(上記3社に加えて三菱も)はその責任を感じて謝罪するどころか、政府と手を組んで、アジア各国やリトアニアなど世界中に原発を輸出しようとしています。一方、政府は核廃棄物の投棄場を国内の貧困地域に押し付けようとしていますが、それが困難になった場合に備えて、モンゴルのウラン採掘に積極的に投資しながら(三菱グループ)、核廃棄物をモンゴルに持込み砂漠に埋蔵する秘密契約をアメリカ・モンゴル政府と締結しています(「核処分場:モンゴルに建設計画 日米、昨秋から交渉 原発ビジネス拡大狙い」(毎日新聞 201159日)。

日本だけではありません。世界中の人々は原発建設の反対運動に立ち上がっています。私たちは裁判で原発メーカーの原発製造や輸出をやめさせることを目指すとともに、海外で原発に反対している人々と連帯して、世界から原発と核兵器、そしていかなる差別をもなくしていく運動を進めていきます。


            原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団
               代表      木村公一
               事務局長   勝久
                 HP  http://nonukes.eyedia.com/jp/home_jp.html
                 eMail   che.kwsk@gmail.com

                                            Tel     090-4067-9352

2 件のコメント:

  1. トルコから久美子の手紙2015年11月14日 3:30

    試案を書いてくださりありがとうございます。試案の中に、『原発は核兵器と表裏一体のものです。「原子力の平和利用」そのものが超大国の核による世界支配体制を補完するものであり、人間・民族・国家間を差別する構造の上に成り立つ、きわめて非人間的なものなのです。国内外の差別を私たちは植民地主義であると定義します。国家とは植民地主義を正当化する装置であり、原発体制は原理的に植民地主義なのです。従って、原発体制との戦いは国民国家の枠を超えることによって可能になります。その戦いは一国平和主義を乗り越え、国際連帯運動によって実現されるのです。』・・・私たちはこの部分をしっかり共有することが現在大切だと思います。権力者は市民が、情報を共有することを恐れています。私たち世界の市民が手をつなぐことを恐れています。権力者は、いろいろな方法を使って国民をコントロールしたいのです。それはまさしく植民地主義であったり、独裁的であったりするわけです。ところが市民一人一人が、勇気を持って立ち上がった時、多くの国々で独裁政権から、軍事政権から、民主主義を勝ち取っているのです。お金もない、立場もない、武器を持たない市民が立ち上がった時、奇跡が起こったのです。チリで、コスタリカで、キューバで・・。市民が、『ウイシャル・オーバーカム』」『歓喜の歌』を歌って・・・。市民が連帯することは更なる大きな力になるのです。まして、世界の連帯は、今一番大切な事だと思います。この試案に賛同いたします。


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  2. トルコからの久美子の手紙2015年11月14日 3:39

    追記

    日本の友人から届いたインタビューの一部を皆さまにお伝えします。
    お読みになったかも多いかと思いますが・・。重信メイさんの声の一部です。

    『福島のあの事故が起こったことによって、そして政府が放射能の危険性 についてなど、さまざまな嘘をついていたことが明らかになる中で、「政府の言うことが必ずしも正しいわけではない」という認識が広がりました・・・。』

    重信メイ(ジャーナリスト・プロデューサー)
    1973年レバノン・ベイルート生まれ。28歳まで無国籍のままアラブ社会で育つ。97年、ベイルート・アメリカン大学を卒業。同大学大学院では 国際政治学を学び、レバノン大学ではジャーナリズムを専攻。2001年3月に日本国籍を取得し、4月に帰国する。
    「平和主義」のイメージという財産を売り払おうとしている日本

    編集部
     さて、メイさんご自身は、2001年に日本国籍を取得してレバノンから来日されました。そこから13年の間に、日本社会も大きく変わったと 思います。今の日本の状況について、どんなことを感じておられますか。

    重信
     二つ、気になっていることがあります。一つは原発の問題です。
     3年前に福島であんな大きな事故があったにもかかわらず、日本政府は発電手段は原発しかないような姿勢を変えようともせず、もとどおり自分 たちの「居心地のいいところ」に戻ろうとしています。本当なら、あのようなことがあったので、もう何があっても違うエネルギー源の開発や浸透 のために投資しようとする方向に行くべきだと思うのですが。国民のことを考えず、自分たちのことだけを優先に考えて動いているようにしか見え ません。
     ただ、一つだけいい面があったとすれば、一般の日本の国民の間に問題意識が高まったことです。原発事故以前、日本国民はマスメディアや政府 が言うことをそのまま鵜呑みにして信用してしまう人が多かったと思うのですが、あの事故が起こったことによって、そして政府が放射能の危険性 についてなど、さまざまな嘘をついていたことが明らかになる中で、「政府の言うことが必ずしも正しいわけではない」という認識が広がりました よね。そう考える国民が多いということは、今後は政府が国民を簡単にだませなくなったということ。その意味では、一つの希望になっているかな という気がします。

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