11月1日~5日 韓国・釜山WCC(World Council of Churches) at BEXCO 密陽送電塔阻止住民運動を訪ねる 朴鐘碩 2013年11月15日 西川長夫元立命館大学名誉教授が10月28日亡くなった。ご冥福をお祈りします。 私は、西川先生の著書から多くを学んだ。原発メ-カである日立製作所で働く私の「続日立闘争」は、企業内植民地との闘いだと理解した。 「原発メ-カ-訴訟」のチラシ・訴訟委任状(英語版)を持参する。成田空港で40Kgの荷物を八木沼さんと分担。金海空港で世界中から「5千名以上のキリスト者が集まる」WCC会場を聞く。釜山市内行のバスに乗る。夕方の大渋滞にぶつかり市内まで2時間近く要した。BEXCO国際会議場の大ホールは、各国からの(民族衣装で盛装した)参加者・牧師が談笑し混雑。 日本のboothに到着し、東北ヘルプの人たち、NZ(CH-CHクライスト・チャ-チ)から参加した女性、祝島から参加した3人の青年たちの協力を得てチラシ・委任状の折込・セット。明日からの活動のために安い宿泊所の近くで、リ-ズナブルな美味しい夕食を摂る。 翌朝、大邱から参加した吉さんとBEXCO会場にプラカ-ドとチラシ・委任状を取りに行く。海雲台駅から列車で(40分)古里原発に向かう。原発近くにある公園に地元住民、教会・釜山YWCA・WCC参加者など約100名が集まる。住民、祝島の青年、台湾からの参加者が反原発を訴える。11月と思えない暑さと強い陽射しで汗が滲み出る。1時間程の抗議集会。崔勝久氏が「原発メ-カ-訴訟」を訴え、その間にチラシ・委任状を参加者全員に配布。 25名程のサインをいただく。横断幕・プラカ-ドを持って公園から原発Gateまで30分程のデモ行進。正門前にガ-ドマンが警戒していたが、参加者は福島原発事故、反原発を訴え、賛美歌を唄い、祈祷会を開く。公安警察は1~2名。日本の警察と違い、参加者に話しかけている。台湾・釜山YWCA・市民団体の人たちと近くの店で昼食。冷たいビ-ルが喉を潤してくれた。生き返った。 吉さん、八木沼さん、私は、グル-プから「離脱」し海雲台まで戻る。photographerである牧師さんが運転する車で、高速を走って密陽に向かう。密陽で何が起きているのか。「住民運動、山の上、寒い」という言葉だけで状況はつかめない。「大学の職員」である吉さん、八木沼さん、3人で雑談しているうちに、牧師さんが道を間違えた。密陽に着いた時はすっかり暗くなり、周囲は何も見えず、警察の大型バスが3台道路脇に停まっていた。現場に到着した。 土曜日の夜、各地から住民運動の支援者が集まって(100名以上の人たちが)いた。食事を終えて住民であるハルモニ(60~80代のおばさん)・ハラボジ(おじいさん)たちの送電塔建設反対、生活と命を賭けた住民運動、2時間に及ぶ記録映画を観る。屋外広場に設置された大きな壁幕にはス-パ-マンならぬス-パ-ハルモニが送電塔を破壊する姿が描かれていた。何とユニークな闘いであると感心する。会場は、昼間の暑さと一転して冷え込みコ-トを着る。言葉は理 解できないが、映像から住民運動を理解する。この上映会は120回を超えるという。 日本からの訪問者が紹介され、全員並ぶ。祝島の青年が国際連帯をアピールする。大きな拍手が起こり、熱気を感じた。 ハルモニたちは「760KV OUT」と書かれた赤いチョッキを着ている。小屋で生活している。長い闘いに備えた練炭のオンドル部屋は暖かい。私たち訪問者はここで雑魚寝する。これから厳寒の時期となる。 翌朝、全貌の姿が見えた。頂上から、長閑な密陽の街が見える。韓国政府(電力)は、ハルモニ・ハラボジたちが護ってきた山の中腹に原発から生み出される高電圧(760KV)の送電塔を建設する計画だ。電磁波は、人体に悪影響を及ぼす。送電塔が建設される現場、山の入口、頂上には、鉄パイプ構造のしっかりした小屋がある。 小屋の周辺は、ハルモニ・ハラボジ・住民を支援する市民グル-プのいくつもの横断幕が掛けてある。(吉さんに意味を聞く) 「だれの為の送電塔か」「住民の健康を威圧させる760KV出て行け」「韓国電力は、密陽送電塔工事を中止して住民たちと直接対話しろ」など。 鉄塔建設現場に作られた小屋にモデルとなった84歳のス-パハルモニが生活している。入口には、大人が入れる大きな穴が掘ってある。油(?)を入れたペットボトルが何本も準備されている。小屋の壁には、「補償はいらない。このまま生きたい」と書かれている。鉄パイプにはいくつものチェイン(鎖)がかけてある。「他人から見れば、補償金を貰って、妥協すればいいじゃないかと思われるが、土地・生活を守る闘いの中から環境問題、闘う意味、使命が解ってきた」と目を輝かして語っていた。映像に出ていたが、ひとりのハラボジは抗議の焼身自殺をした。 ハルモニ・ハラボジを支援するボランティア青年(牧師)たちが小屋に宿泊している。 山に入る道は、ロ-プで遮断している。松ノ木の枝から首吊りロ-プが何本も垂れ下がっている。数キロ離れた道路に昨夜見た警察車両が見える。 送電塔資材を調達し、ヘリコプタ-で運ぶ会社正門に行く。大量の送電塔部品が積まれている。正門前の道路脇に小屋が建てられ、ハルモニ・ハラボジが監視する。私たちが到着すると同時に、偶然警察官30人を乗せた大型バスが2台到着した。バスから降りた警察官は、20代のようだ。緊迫した状態が続いている。 国家の経済効率を優先し弱者を抑圧し犠牲を強いる韓国の植民地主義の現実を見た。 映像の中で強制執行に立ち会った青年警察官は、ハルモニ・ハラボジたちの顔を見ることができない。息子・孫の世代である警察官は、生活と命を賭けたハルモニ・ハラボジたちに手が出せない。黙って下を向いている。 釜山の地下鉄に乗る。青年たちが年寄りに席を譲る当たり前の光景が印象的だ。青年警察官は、「嫌々ながら執行に立ち会っている」ようだ。 最終日、WCC会議場で釜山訪問の目的である「原発メ-カ-訴訟」の委任状を集める。英語が話せない私にできるか、通じるかと自信がない。多くの参加者が宿泊する高級ホテル前から会場までのシャトルバスに乗る。隣に座ったコンゴの牧師、周囲にいる参加者にチラシを配布する。躊躇し迷っている時間はない。手当たり次第開き直って声をかけるしかない。 欧米からの参加者よりも韓国、台湾、インドネシア、コンゴ、パプアニュ-ギニアなどアジア・アフリカ・南洋諸島から参加した人は、快くサインしてくれる。巨大な本会議場に入って委任状を集める。朝から夜8時近くまで動き疲れる。宿泊所に帰って数えたら200名を超えていた。皆で多くの人たちに声をかけた成果だ。 1970年に始まった日立就職差別裁判闘争とWCCは、深いつながりがある。在日大韓基督教川崎教会の、故李仁夏牧師は、WCCで日立闘争を訴えた。WCCは多額の資金(約500万円)を当時の運動体「朴君を囲む会」に提供した。(資料は、WCCに保管されている) 70年代の韓国は、朴正煕(パク・チョンヒ)政権下で民主化闘争が展開され、日本の左翼、進歩的知識人にも影響を与えた。崔勝久氏はソウル大学にいた。学生たちに日立闘争を訴えた。民主化を求める韓国キリスト教学生会総連盟(KSCF)は、「反日救国闘争宣言」を発表し、日立製作所の民族差別を糾弾した。しかし、間もなく民青学連事件が起こり、学生たちは公安に連行された。息子(学生)たちの意思を引き継いだのは、教会のオモニ(母親)たちだった。韓国全土で日立製品不買運動を展開する。WCCは、京都で(5月)会議を開き、日立闘争を全面的に支援する。不買運動は怒涛のように欧米に拡大した。日本の民族組織は、日立闘争を無視したが、民主化闘争が弾圧される中で韓国の主要新聞が大々的に日立闘争を報道した。74年、日立闘争は完全勝利し、私は日立に入社し定年まで勤めた。 定年退職した2011年、民族差別をしたHITACHIの福島原発が致命的な事故を起こした。福島の住民への謝罪、事故の反省もなく日立は、平気で国策に従い原発を輸出する計画だ。事故による地球規模の放射性核物質拡散、汚染水漏、被曝労働、子どもたちへの健康被害、被曝避難者への賠償・補償、使用済核燃料処理など難題が山積みだ。さらに事故収束の道は全く見えない。問われるのは政府、東京電力だけではない。国策に便乗して原発プラントを建設した日立・三菱・GEのメ-カ責任を問う「原発メ-カ-訴訟」が間もなく始まる。世界中から原告1万人を目標にしている。 原発輸出は、相手国住民への差別・抑圧に繋がる。これは植民地なき新植民地主義に繋がっている。事故を起こした日本が加害者になる。輸出は絶対阻止しなければならない。 植民地主義との闘いだった日立闘争を支援したWCCは、2011.3.11原発事故を起こし、原発メ-カである日立・東芝・GEの社会的・道義的責任を求めることを全世界の信徒に求め、国際連帯で原発体制を打破すべきだろう。日本の植民地となった韓国・釜山でWCC世界会議が開かれた意味はここにあるではないか。 |
No.343 - 2013/11/15(Fri) 11:06:14
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