2013年9月17日火曜日

今朝、FBで主張した内容ー多くの反発があるでしょうか

今朝の朝日新聞の記事を読み、以下のふたつの意見をFBに出しました。いずれも反発が多いことだと思います。既成組織への批判、原発反対運動への批判と誤解して受けとめられると予想するからです。しかしそれは批判ではありません、前向きな提案です。

1.被害者の保障、人権への無関心と加害者であることの無自覚は表裏一体
朝日新聞(9・17)によると、「東京電力福島第一原発の汚染水漏れ事故を受けて韓国が宮城、福島など8県水産物を輸入を禁止したことに対し、農林水産は16日・・撤回を求めた」。韓国の食品医薬品安全処の担当者は「国民の健康と安全を考えてとった処置」と主張し「平行線だった」そうです。。韓国側は日本政府に対して「汚染水に対して速やかな情報提供も求め」ました。当然でしょう。朴大統領に批判的な人たちもこの阻止に対しては全面的に支持しています。

日本のグリーンピースやFoEなどが日本政府への要望書の署名活動をしていることに対して私たちNNAA(No Nukes Asi Actions)も賛同し呼びかけ団体にはいるとともに、韓国、台湾においてもその署名活動を展開することにしました。ただし韓国側は要求項目の中に、日本政府が汚染水の流出によってどれほどの放射性物質が流れたのかの情報を公開するようにいう項目をいれます。これには日本側も同意し、署名用紙を一緒に日本政府に提出し、その情報を提供するように求めるということで一致しました。

世界は日本の原発事故がどれほど多くの被害者を生みだしているのか、そして世界に対して日本が加害者の立場に立っているのかを認識しています。そのことに鈍感なのはいまだ多くの日本人です。被害者である福島の人たちに徹底した保障をしないのと世界への加害者性を認識しないのはコインの両面です。

原発再稼働の反対を掲げながら原発輸出反対を掲げない運動は一国平和主義に陥る危険性があります。首都圏反原連などが一日も早く「再稼働反対」一本に絞ってきた運動方針を変更すべきだと考えます。「日の丸原発」と揶揄される台湾の第四原発を作ったのは福島と同じ日立、東芝、GEと三菱で、台湾ではその原発を廃炉にすべく国民投票のやり方、時期を決定する直前です。日本の運動圏、マスコミがこのことに触れていないということ自体が、自らの加害者性に対して鈍感であることを示しています。

繰り返します。加害者性に鈍感なのは、被害者の権利を徹底して保障しないということとつながっています。私たちが「原発メーカー訴訟」を11月11日に開始し、全世界の人たちに原告になるように呼びかける運動を始めるのは、福島の人たちの怒りを理解し彼らへの支持と連帯の気持ちから出発しているということを付け加えます。


2.在日は反原発を唱えよ
北朝鮮の寧辺の黒鉛減速炉の再稼働が伝えられています。この黒鉛減速炉はロシアで開発された原子力発電所のことですよね。5000キロワットと小型ですが、明らかにプロニウムの生産を目的としたものです。かつて、アメリカが建設協力をしていたものです。

韓国では本格的な電力供給を目的にした大型原子炉が23基あります(そのうち9基は運転停止中)。日本は全部止まっていても54基、いずれも商業用だと言いながらプルトニウムは作られ、それは潜在的核保有として安全保障として位置つけられています。原子力基本法でも「安全保障に質する」と明記されました。

これで在日の2大組織が日本の原発反対を言えない理由が見えてきました。私の主張に誤りがあればご指摘ください。

この2大組織はそれぞれ大韓民国、朝鮮民主主義共和国の公式な機関です。ですから内政干渉を理由に組織としては日本の原発反対を主張しない、できない立場にあるのだと思われます。しかし原発事故は国籍・民族に関わりなく、日本に住むすべての人の生命に関わる問題で黙認すべきではないと私は考え行動しています。

民族問題と原発問題を一緒にしてならないと本名を名乗る在日の青年が私を批判していました。彼は在日の組織には入っていない、本国にも行ったことはない、と書いていました。在特会や日本社会の差別がある限り、私もそうだったように、そのような在日がでてくることは当然でしょう。しかし国籍という国民国家のシステムから逃れることはできません(無国籍者を含めて)。

組織がある以上(国家もそうです)、いかなる人もその組織(体制)と無関係に生きることはできません。そのことを認めたうえで、反核(反核兵器、反核発電所=原発)を主張すべきだと考えます。FBを見る同じ在日の意見はいかがでしょうか。

民族学校への差別・抑圧への抗議と合わせて、人類の生命に関わる原発に否を明確にすべきだと思います。小型だから問題はないということを言いだすとキリがないでしょう。東京湾のど真ん中、川崎には東芝の小型原子炉があり、安全だと主張していますが、いざというときに備えた警戒態勢は驚くほど徹底したものでした。

日常の格差、民族差別、女性差別、これらが現代の植民地主義として原発体制を作り継続して原発を作り続け輸出を進めていると私は見ます。

3 件のコメント:

  1. 読んでみて皆さんいかがでしょうか?
    件の青年、李たいきと申します。

    僕はこのブログ読んで尚の事、民族問題と原発問題を一緒に考えるべきではないという思いに再度至りました。

    原発問題は出口が見つかるまで越えてはならない物理的問題ですが、民族問題は出口を見つけるべく越えなければならない精神的試練です。

    崔さんはブログで

    >>そのような在日がでてくることは当然でしょう。
    しかし国籍という国民国家のシステムから逃れることはできません(無国籍者を含めて)。

    あたかも自分は目覚めたような論調ですが、その実盲目なのです。

    原発問題を考え無い在日は○○だ、と。
    何故か非国民という単語と被ります。
    こういった押しつけがましい論がまかり通るのは許せません。

    僕は在日である前に人です。
    その人の部分で原発には反対なのです。

    民族意識は脱ぐのが面倒な布の様なもので、布は問題意識を持ちません。

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  2. 李さんへ

    早速のご返事、ありがとう。「盲目」とは断定的ですね(笑)。あなたが言う民族問題とは何のことですか。既成の民族団体、本国も関係ないと言い切って本名を使う李さんはまずそのことを示してくれませんか。「出口を見つけるべく越えなければ精神的試練です」、これは自らのアイデンティティのことのようですね。

    「目覚めたような論調」とあなたは書いていますが、私は民族差別とアイデンティテイのことで長年苦しみ、そのことから出発して日立闘争に関わってきました。どんな戦いであったか、一度、調べてくれませんか。40年前の私たちと今の李さんとはどこか接点があるのか、まったくないのか、お聞きしたいと思います。参考までに:『日本における多文化共生とは何か』(崔・加藤共編、新曜社 2008)

    あなたが私のことを「目覚めたような」人間と思われたとしたら、民族問題や精神的試練の次元では、今、火急の問題である原発問題には関われないと思います。抽象的な「人」、在日である前の「人」ではなく、「在日」という歴史的な所産である「人」なのです。「在日」は原発体制が作りだしたものです。アイデンテイティの前にナショナル・アイデンティテイが先にあり、その喪失感から民族主義者や愛国者になることが多かったのですが、李さんの場合は「問題意識をもたない」「脱ぐのがめんどうな」やっかいもの、手におえないものというとらえかたのようですね。

    私の場合、「原発問題を考え無い在日は○○だ」ではなく、人は今、原発問題を考えないでいいのか、という問題意識なのです。「非国民」という押しつけとはまったく重なりませんよ。非国民というのは福島の責任を逃げ、under controlなどと嘘をつき、原発反対論者に対して投げかける言葉です。単語の使い方が逆です。

    日本人はアンケートでは6-7割が原発反対だと答えるのだそうです。在日も「人」として同じでしょうね。ではどうして在日は原発反対の声を発しないのでしょうか。それは在日もまた国民国家というシステムの中で生き、民族国家という枠を大事にする立場からは原発を持ち輸出したり、プルトニウムのために原発を必用とする「本国」を批判できないからです。

    民族・国籍を超えて協働して社会の変革を,望みます。

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  3. Facebookからの議論を紹介

    矢野 二朗 貴重なご意見ありがとうございます。 日本では会社組織に縛られて選挙行動まで強制されます。なので自由な意見がいえない・・。
    同じかもしれません。

    太田 美登里 私は日本人ですが、貴方のご意見に賛同します。今後も良い知見を発表して下さい。

    吉澤 文寿 あらゆる核施設に反対するという点では賛成します。ただ、どうすれば弱小国が核兵器に頼らずにすむか、どうすればエネルギー貧困国が原発をつくらずにすむかという点についてご提案があると、より説得的ではないかと思います。

    谷田部 光昭 5000キロワットといえば川崎にある東芝実験炉と同じ。


    Seungkoo Choi えっ、谷田部さん、川崎は200ワットですよ。東芝の実験用原子炉でいくらなんでもプルトニウムは作れません。

    Seungkoo Choi 吉澤さん、①どうすれば弱小国が核兵器に頼らずにすむか、②どうすればエネルギー貧困国が原発をつくらずにすむか、この解決案を提案しろということですか、私にはできません。しかしそういうことを在日が正面から話し合う場をつくり議論をしていくことはできます。                                         

    エネルギー貧困国が原発をどうして作りたがるのでしょうか。モンゴルも2030年代に建設するそうです。エネルギー問題に関して言えば、あのスモッグの街、ウランバートル(340万人のうち140万人が住む)で是非、早急にコンバイン方式の発電所を作るべきだと思います。石炭は無尽蔵にあり、その方式だとウランバートルの近くで発電可能です。太陽光は孫正義がヨーロッパ並みの送電網を作りモンゴルから日本に電気を運ぼうとしています。しかしそういう方向での話しでは既存の大会社だけが儲かる仕組みが続きます。地域社会の民主主義とはなんの関係もなく進められるでしょう。                              

    吉澤さんが議論をしたいのは①なのでしょう。アメリカのNPT体制下で北朝鮮は核なしに生きて行けるのか。いけないでしょうね。しかしその発想は袋小路に入り込み、核に関係する原発も無条件に擁護する方向に話は進みます。民団も総連も自国が原発に熱心なときに日本の原発を批判できません。内政干渉という建前でその話題は逃げるでしょう。吉澤さんは民族学校でその話をしないのですか?差別に対する抵抗は即自的で反応するが、同じ地域住民として津波や放射性物質の問題(例えば川崎の焼却灰)に関しては、民族や共生をかたる団体は一言もものを言いませんね、それで共生とは民族主義の変形だということがわかります。                                                       川崎の中原区では3・11を踏まえた一連の講演会に共生論者を講師に選んでますが、バラックユーモアだと認識していないようです。植民地主義の犠牲者であった(ある)在日が、だからどうした、戦後の植民地主義が原発体制を作りだしていることと闘わないで過去のことで一定の権利を確保してマイノリティの権利を主張することが本当に本人の為になるのか、子孫のためになるのか、ここは安易な贖罪論でごまかしてはいけない場面ですね。

    吉澤 文寿 崔さんが「植民地主義が原発体制を作りだしている」というとき、その「植民地主義」こそNPT体制であり、エネルギー貧困国がエネルギー貧困国たる所以なのではないでしょうか。「アメリカのNPT体制下で北朝鮮は核なしに生きて行けるのか。いけないでしょうね」と言ってしまっては、それこそ袋小路でしょう。

     私は金正恩政府が核に依存しつつ、「安上がりの安全保障」を追求しているのではないかと思います。それは「強盛大国」を目指す経済開発重視の国策にも適います。つまり、NPT体制下の弱小国の戦略として、金正恩政府はかなり合理的な行動を取っているのではないかと思うのです。

     だから、朝鮮の核を問題にするなら、世界体制に対するビジョンを含めて批判すべきであり、率先して朝鮮に核を放棄させるのであれば、それによって朝鮮ばかりでなく、それを取り巻く国際環境にどのようなメリットがあるのか、あるいは合理性があるのかという点を含めて説得すればよいのではないかという話です。

    Seungkoo Choi 私は吉澤さんの意見に反対しているのではありません。国家の政策の議論をしだすと、特にNTP体制下での北の立場を考えると、北だけの批判はおかしな、バランスの崩れたものになります。この間、ブログで書いてきました。

    北朝鮮との拉致問題を解決し、核実験を止めさせるのは簡単です
    http://oklos-che.blogspot.jp/2013/02/blog-post_22.html

    日本のマスコは伝えない:北朝鮮は国際的に孤立していないービデオニュース・ドットコムより・・・もっと見る

    Seungkoo Choi 問題は国家レベルの政策論ではなく、一市民として反核(反核兵器、反原発)を明確にすることが重要だと私は主張しているのです。国民国家に忠誠を誓う国民としての立場からは反原発を主張することはできません。一住民として自分と自分の生命に関わる問題である原発問題を内政干渉だとして黙認することはできません。しかし日本のその問題を批判することは、韓国や北朝鮮をも批判することになります。それでいいのです。そこをはっきりと言い切る中で、アメリカを中心とするNPT体制を批判するのです。                

    私たちが準備してる「原発メーカー訴訟」は実はNPT体制を批判するものです。市民でそのような運動はできるのです。組織人としては動けない在日が個人としてこの運動に参加するでしょうか、そのような人が多く現れることを願いますね。

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