2013年7月18日木曜日

当世の学生気質ー捨てたもんじゃないな

昨日、7月17日、横浜国大の加藤千香子教授の「近現代日本社会文化論/日本史概論Ⅱ/日本の歴史と社会」という授業の枠で、朴鐘碩と私がそれぞれ20分づつゲストスピーカーとして約60名くらいの学生の前で話をしました。40年の前の日立闘争のスライドを観た後で話をしたのですが、そこに映る朴鐘碩はまだ19歳の青年、私は20代のはじめで、日立の経営陣に指さし糾弾する青年が私であったとは恐らく学生はもう誰もきがつかなかったことでしょう(笑)。

DVD化されたスライドの最後の場面で、日立闘争の勝利宣言の後投稿された何通かのハガキを紹介します。「朝鮮人、ウジ虫ども」とあり、朴の日立入社をこき下ろし、スパイでもするつもりかとむき出しの嫌悪を表しています。昨今の在特会が出てくる兆候がすでに40年前にあり、朝鮮人を排斥する排外主義の根は深いことを感じさせます。日立闘争のスライドは過去の朝鮮人の闘いとして見るのではなく、今の日本社会の現実を捉える意味で、多くの人に見てもらいたいと改めて思いました。希望者は私に連絡ください。

横浜国大での朴のスピーチはもうかれこれ4年くらい続いているのでしょうか。東京都を相手に最高裁まで闘った保健婦の鄭香均さんも話をしました。私も2回目です。私見では、明らかに学生の印象が変わって来ています。参加する学生の学年にもよるとの加藤さんのお話でしたが、最初の頃、高校の教科書で知った日立闘争の当人が話をするというのでそれこそ食いいるようにして聞いたいたのに、今回は朴の顔をまともに直視する学生は少なく、寝ている学生、スマートフォーンを操作する者もいました。明らかに世相を反映しています。

私は要領よくリポートを書くことができる学生の姿を思い浮かべ、準備したレジュメではなく、なんとか彼らと心が通じるような話をしたいと思いました。まず、みなさん、私の顔をしっかりと見てください。意見が違ってもいい、どこか通じるところがあればそれはそれでよし、スピーカにしっかりと向き合い、対話をするつもりで聴いてほしいということから話をはじめました。

そして最後は「原発モンスター訴訟」の話をし、司法界、原発闘争に関わる弁護士、マスコミ、そして運動圏においても原発メーカーの責任が問われなかったのは何ゆえか、それは原子力損害賠償法(原賠法)というものがあり、そこでメーカー責任を不問に付し、製造物責任を問うPL法は適応しないということが明記されているからです。それは当たり前のことであって誰も問題にしようとしなかったのです。私は学生諸君に、モノを言うことがむつかしい日常生活の中で、それでもしっかりと立ち向かわなければならないとき、決断を求められるときが一生のなかできっとあるでしょう、そのときに私の話を思い出してもらえばいいという言葉で話を終えました。

朴は日立での勤務経験から下請け、非正規労働者をこき使い、モノを言うことを許さず、ひたすら利益追求に走り、利益の為なら原発を輸出することを厭わず、その経営方針の是非についても組合内でいっさい話がでない、これは「企業内植民地主義」だという話をしました。彼にとっては、国籍を理由に解雇されたときが第一の日立闘争であり、入社して
組合のあり方をはじめ「開かれた」会社をもとめ続けた第二幕、第三幕として定年退職後も嘱託として日立で働きながら、原発メーカーとしてのあり方を問うことを彼は続けているのです。

2012年6月19日火曜日
日立製作所会長と社長へ抗議文ー「日立闘争」元原告 朴鐘碩
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/06/blog-post_1634.html

授業ですから学生は「講師」の話を聞いた感想を出さなければならないようです。ずっと下を向いて朴の顔を見なかった学生はそれでもリポートをだしていました。その内容は、はやり一般社会の実態をそのまま反映しているようでした。反原発の話に反発する人、「日本は日本人のものなのか」という私の問いに反発をする人もいます。しかしその多くは、初めて知った、朴の継続した闘う姿勢に共鳴する人が割合としては多く、、二人の話から感じたこと、学んだことを素直に書いてあるという印象です。

講演者として学生がどのようなことを感じたのか加藤さんにお願いし、リポートを見せていただきました(勿論、名前などの個人情報はわかりません)。

日本はもはや日本人だけの国ではない、外国人なしでは日本は存続しない、しかし、災害や原発で死ぬときは一緒である。やはり原発事故は事故発生直後のみならず、現在も尚、
さまざまな影響を与えている。
今日、原発に関する話を2人から聞いたが、そこには「死」を意識した発言が目立っていたような気がする。原発事故をきっかけに、科学に対しての信ぴょう性が揺らぎ、人々が「死」を意識したのであろう。
原発に関する法律についてだが、メーカーに責任を言及してはならない法律が存在するということに驚いた。ふり返ってみれば国や東電に責任を言及するような姿勢は見られるが、メーカーには見られない。話を聞いて、原発についての日本人としてではなく日本に住む一人の人間として改めて考え直すきっかけになった。

もうひとつ紹介しましょう。
崔さんの話を聞いて、色々と胸にささったことがある。
それぞれの全てに共通することは、「きちんと向き合う」ということである。
原発の話も、色々と自分の意見を語る前にまず向き合い、知らなければならない。今回のお話では知らないことがとても多かった。色々と事実を列挙され、まずそれに追いつくのに必死だった。そして、知った後におかしと思う。
私に限らず日本人はきりぎりまで危機が迫らないと行動しない節があると思う。それは声をあげる勇気のある人が少ないことと、そのような人々に対して風当たりが強い強いことが原因であると考える。しかししかし全員がそのような姿勢であってはいつまでたっても何も変わらない。
昔のことも今のことも未来のことも、もっと真剣にむきあう必要があるなと感じ、また崔さんのようにお年を召してもなお強いエネルギーをい発してらしている方とお会いし、私自身も触発された。とてもよい機会であったと思う。

2 件のコメント:

  1. 横浜大学での話しのレジュメを公開します。

    崔 勝久 「脱原発国際連帯運動」 レジュメ

    1.「日立闘争」とは何であったのか
    ①日立闘争は植民地支配を忘却し、戦後日本の在日を排除・統治の対象にする中で生起した問題
    日立闘争は、在日を国籍を理由にした民族差別に対する抗議であり、その裁判と並行した運動によって戦後の在日に対する差別・抑圧の実態が明らかにされていった。それは実は戦後日本社会のあり方として戦経済復興を目指す中で植民地支配の当事者であったことは忘却され、在日を排除に対象として(北朝鮮帰国)統治の対象にしてきたことから生起した問題であった。

    ②利益追求を最優先する閉ざされた日立の実態の発見
    日立は判決の結果からも、また運動体との直接交渉の場においても、朝鮮人を歴史的に差別をしてきたことを認め、原告の朴に謝罪し、入社を認めざるをえなくなった。多くの人は日立闘争はそれで終わったと思っているようだが、朴の闘いには実は第二幕があり、それは日立という企業においては、経営者と組合は利益追求のためにひとつになって労働者にものを言わせない体制を作り上げており、その体制を崩さない限り、民族差別はおろか、社員は他者の問題に関心を持てなくされているということの発見であった。それは日立に対する「開かれた」会社であることを求める彼、個人の闘いであったと言える。

    2.第三の日立闘争とは何か
    ①日立は世界有数の原発メーカーであり原発輸出を経営の方針にしている
    日立は福島事故を起こした原発メーカーであり、その責任を一切問われることなく、リトアニアや英国、その他台湾をはじめアジアの国々への原発輸出に邁進している。リトアニアの場合、国民投票で原発建設が否決されたのに日立はまだその機会をいまだに伺っている。
    ②その日立の経営者に朴は原発事業から撤退し、優秀な技術を活用して廃炉や再生エネルギーの分野に進むことを提言している。もちろん、経営者も組合も沈黙を守ったままである→第三の日立闘争へ

    3.市民の国際連帯による反原発運動の必要性
    ①核兵器の製造の禁止を条件に核発電(原子力発電)などの「平和利用」を認めるNPO体制の下では、市民が反核(核兵器と各発電をなくすこと)運動を進めるしか道はない。
    ②東北アジアは近近、世界の原発の半分を占めるまでになることが予想される。使用済み核燃料の問題は深刻であり、モンゴルに大国が関心を持つ理由もそこにある。
    ③一国で原発事故が起こるとそれは一国内の問題に終わらず、大きな被害を他国に及ぼす。
    日本は新たな加害者になっている事実の認識の重要性。

    4.私たち市民のできること
    ①「原発モンスター訴訟」:11月11日に福島事故をおこした日立、東芝、GEを提訴する。原告は精神的ショックを受けた人は誰だもできて世界から1万人を募る計画。これまで原発メーカーの責任が問われなかった最大の理由は、メーカーの免責を明示した原子力損害賠償法。
    ②台湾の第四原発を廃炉にする運動の支援・協力
    ③各国の人との交流:9月30日から10月5日まで、韓国から25名の現地で闘う住民、活動家、宗教家が日本の原発施設を見学し、住民との交流をする。
    ④日本の状況を知らせ、各国の反核闘争を支援する→やることはいくらでもある!

    参考資料:
    参考文献:ブログ「オクロス」で検索ください。
    ●西川長夫『植民地主義の時代を生きて』(平凡社 2013年)
    ●東京新聞で「脱原発へ日韓市民連帯」(韓国原発地域ツアー)の報道
    http://oklos-che.blogspot.jp/2013/07/blog-post_17.html
    ●原発反対に日の丸は必要なのか?
    http://oklos-che.blogspot.jp /2013/06/blog-post_14.html
    ●No Nukes Asia Actions (NNAA) 出発にあたって:原発輸出と闘うべき理論的根拠の確認
    http://oklos-che.blogspot.jp/2012/11/no-nukes-asia-actions-nnaa.html
    ●地域の変革と国際連帯の運動によって日本をよりよい社会へ
    http:// oklos-che.blogspot.jp /2013/05/blog-post_15.html
    ●「日本、トルコへ原発輸出」安倍、胸を張る
    http:// oklos-che.blogspot.jp /2013/05/blog-post_4.html
    ●安倍首相はモンゴルで何を話し合ったのかー公表されていない内容の推測
    http:// oklos-che.blogspot.jp /2013/04/blog-post.html
    ●地方自治体の在日差別・抑圧の根は何か
    http:// oklos-che.blogspot.jp /2013/04/blog-post_6.html


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    1. 加藤千香子2013年7月19日 15:14

      崔さん、朴さん

      横国大での講義、どうもありがとうございました。
      もう4年になりますか。私も毎年新鮮な気持ちで聞かせてもらっています。

      学生のコメント整理しているところですが、70年代の過去や人権問題の話だと
      思っていたら現代の原発の話だということで驚いたようです。

      多くの学生が印象的な言葉としてあげていたのは、朴さんの企業労働者を植民
      地にたとえた「企業内植民地」と、崔さんの「日本は日本人のものだと思って
      いませんか?」という言葉でした。
      朴さんの言葉は、切実な自らの就職問題と重ね合わせて受けとめられ、
      崔さんの言葉は、痛いところを突かれてハッとさせられたという感じです。
      「自分の中で考えたときにその意識が全く無いとは言い切れない。そういう意識
      が「異民族」排斥につながっているのか」と書いている学生もいました。
      「多文化共生」といった言葉よりも、直球で学生に届いたように思います。

      加藤

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