「Gさんの政経問答ブログ」の著者へ
「Gさんの政経問答ブログーー経済・政治・軍事が一体化した、グローバル支配の体制を揺さぶる言葉の振動」 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cff8.html
興味深いブログに出会いました。反原発運動に日の丸を掲げることの問題点を指摘した日立の朴鐘碩に野間何がしがかみついているのですが、その野間何がしを批判したGさんの「「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる」という文書です。以下、Gさんのブログに私が書き込んだものを手直してここに発表します。崔 勝久
友人の紹介で、「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる」を読みました。朴鐘碩を批判した野間なにがしを批判されてますね。野間何がしの朴批判はツィターでよく見る、単細胞で感情的な国粋主義者とは違って、それは十分に議論のきっかけになるものだと思いました。
なにせGさんが指摘されているように、野間何がしは、「反原発運動における『国民』への言及について批判や疑問は常に提起されているけど、まともな批判はついぞ見たことがない。ほとんどが『国民』という言葉へのアレルギーを表明したものに過ぎない」と語り、「まともな」「国民」批判論争を待ち望んでいるかのようです。
私はGさんの野間何がし批判に概ね、賛成します。野間なにがしの本を読んでいないので、彼の理論、思想はわかりません。しかしここでGさんが引用されている彼の言い分からすると、植民地主義とは何か、グローバリズムとは何か、そこにおける国家の役割は何かについての根本的な理解、認識に欠けていると思います。国民国家として存在する日本とはそもそも何か、国籍とは何か、市民とは何かという批判的な考察をしようとせず、日本という国にはいろんな人が住んでいるにもかかわらず、日本人のものだということを前提にしているように感じます。
そのようなせいぜい教科書に出てくる(そもそも教科書とは何なんなんでしょうか)認識レベルの国民、国家観でしか語れず、朴が原発反対に日の丸を掲げる違和感、問題点の指摘に「まともに」受けとめたうえでの批判ではありません。しかも朴がリタイア後の日立現役非正規社員の立場から日立の会長・社長へ原発から手を引くようにと書いた要望書の重さ、その内容には一切、触れていません。よっぽど日の丸のことに触れられるのが嫌なのでしょうか。反原発を訴える在日との連帯ということは言えなかったのでしょうか?
私の主張は、野間何がしの主張とは根本的に違います。結論的に言うと、原発体制は植民地主義であり、それは国家と資本が作り出したグローバリズムだということです。従って、野間何がしが「再稼働反対」を反原発運動のスローガンに掲げても、「原発輸出反対」を同列にしなかったというのは、原発体制はグローバリズムであり植民地主義であるという本質を見抜いていないということになります。
植民地主義を進め原発輸出によってその地の人への加害者になろうとする日本のシンボルの日の丸を掲げることは、明らかに原発体制を根底的に批判していくことと矛盾します。
一国平和主義の枠を批判的に超えずして、グローバルな原発体制と闘うことはできません。そしてこの一国平和主義こそ、戦後日本の平和運動、そしてそれを批判してきた新左翼も超えられない枠であったのです。原発反対運動も同じ過ちを犯すのでしょうか。
おそらくGさんも私と同じ世代の人だと思います。Gさんは小熊英二も記している新左翼に対す華青闘(華僑青年闘争委員会)の告発と、それに対する新左翼各党派の自己批判、そしてその後40年経った現実をどのように考えておられるのでしょうか。
日本の戦前の植民地主義は清算されておらず、戦後はそれをひきづったまま戦後の経済復興とともに原発体制を作り上げていきました。在日への差別(野間何がしは「当然の法理」が何か知っているのでしょうか。これは知識の問題ではなく、「当然の法理」によって外国人が差別されている実態を知っているのかどうかの現実認識の問題です)、民族学校への弾圧、原発輸出は戦後の新たな、植民地なき植民地主義の実態を示しています。反原発運動は本質的に植民地主義と対峙するものであり、反核・反戦・反差別を謳うものです。
そこでは国民国家の象徴とも言うべき日の丸を掲げた運動はあってはならないのです。野間なにがしは、植民地主義とは何かということを、植民地主義による抑圧、搾取された人達の立場から考えたことがあるのでしょうか。「在特会」と対峙するとき、自分自身の価値観の中にその植民地主義の、原発体制を推し進めてきた価値観が巣食っていると考えたことがあるのでしょうか。植民地主義との闘いは、外在的なものに終わらず、ただ「原発ムラ」への反発に終わらず、内在的なものであり、自らの解放のためであるということを自覚しているのでしょうか。
Gさんもそうだと思うのですが、野間なにがしだけでなく、一刻も早く、首都圏反原連及び6月2日に分裂行動をした反原発を掲げるふたつの団体も、すべて原発の「再稼働・輸出
反対」と両方を大きくスローガンとして掲げることを願います。「再稼働反対」だけの反原発運動はこれまでと同様、一国平和主義の運動の枠に留まることになるでしょう。
私の植民地主義批判の内容は、6月7日の仏大統領来日に反対する院内集会で話した内容を参考にしてください。
http://www.ustream.tv/recorded/33963405
同じく原発輸出と日の丸を批判した官邸前でのデモの発言もあります。
http://www.ustream.tv/recorded/33966067
野間何がしは、「国民国家とは植民地主義を再生産する装置」と看破した西川長夫をしっかりと読むべきですね。
参考までに私のブログで書いたものを紹介します。
2013年6月10日月曜日
先週は画期的な一週間でした。Twitterで綴ります。
http://www.oklos-che.com/2013/06/twitter.html
以下、参考資料:「朴鐘碩の「反原発運動で使われる「国民」は日本人を意味するのでしょうか?-朴鐘碩」http://www.oklos-che.com/2013/05/blog-post_25.html に噛みついた人物はなんと、反原連、レイシストしばき隊のリーダと言われている人物だったとは! まずは彼のツィター発言より。
http://twilog.org/kdxn/date-130525
野間易通@kdxn
● むしろここではっきりと「国民」を名指ししなければ、いつまでたっても日本人は原発政策の責任を自分のものとして捉えることはできないだろう。ここで安易に「国籍を超え」てはならない。
●国民主権の民主主義国家が政策として行ったことに主権者の「国民」が責任を負うのは当たり前で、それを問うたからといって外国籍の住人を反原発運動から排除することを意味しないし、「国民」という言葉を使わなければ国籍を超えたことになるわけでもない。
●反原発運動における「国民」への言及について批判や疑問は常に提起されているけど、まともな批判はついぞ見たことがない。ほとんどが「国民」という言葉へのアレルギーを表明したものにすぎない。
●日本国家を批判するために描かれた日章旗にまで「疑問」を持つのは、日の丸というシンボルに対する逆方向からのフェティシズムにほかならないと思う。
●こういう論理も何もないいちゃもんはそろそろやめにしてほしい。
「Gさんの政経問答ブログーー経済・政治・軍事が一体化した、グローバル支配の体制を揺さぶる言葉の振動」 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cff8.html
興味深いブログに出会いました。反原発運動に日の丸を掲げることの問題点を指摘した日立の朴鐘碩に野間何がしがかみついているのですが、その野間何がしを批判したGさんの「「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる」という文書です。以下、Gさんのブログに私が書き込んだものを手直してここに発表します。崔 勝久
友人の紹介で、「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる」を読みました。朴鐘碩を批判した野間なにがしを批判されてますね。野間何がしの朴批判はツィターでよく見る、単細胞で感情的な国粋主義者とは違って、それは十分に議論のきっかけになるものだと思いました。
なにせGさんが指摘されているように、野間何がしは、「反原発運動における『国民』への言及について批判や疑問は常に提起されているけど、まともな批判はついぞ見たことがない。ほとんどが『国民』という言葉へのアレルギーを表明したものに過ぎない」と語り、「まともな」「国民」批判論争を待ち望んでいるかのようです。
私はGさんの野間何がし批判に概ね、賛成します。野間なにがしの本を読んでいないので、彼の理論、思想はわかりません。しかしここでGさんが引用されている彼の言い分からすると、植民地主義とは何か、グローバリズムとは何か、そこにおける国家の役割は何かについての根本的な理解、認識に欠けていると思います。国民国家として存在する日本とはそもそも何か、国籍とは何か、市民とは何かという批判的な考察をしようとせず、日本という国にはいろんな人が住んでいるにもかかわらず、日本人のものだということを前提にしているように感じます。
そのようなせいぜい教科書に出てくる(そもそも教科書とは何なんなんでしょうか)認識レベルの国民、国家観でしか語れず、朴が原発反対に日の丸を掲げる違和感、問題点の指摘に「まともに」受けとめたうえでの批判ではありません。しかも朴がリタイア後の日立現役非正規社員の立場から日立の会長・社長へ原発から手を引くようにと書いた要望書の重さ、その内容には一切、触れていません。よっぽど日の丸のことに触れられるのが嫌なのでしょうか。反原発を訴える在日との連帯ということは言えなかったのでしょうか?
私の主張は、野間何がしの主張とは根本的に違います。結論的に言うと、原発体制は植民地主義であり、それは国家と資本が作り出したグローバリズムだということです。従って、野間何がしが「再稼働反対」を反原発運動のスローガンに掲げても、「原発輸出反対」を同列にしなかったというのは、原発体制はグローバリズムであり植民地主義であるという本質を見抜いていないということになります。
植民地主義を進め原発輸出によってその地の人への加害者になろうとする日本のシンボルの日の丸を掲げることは、明らかに原発体制を根底的に批判していくことと矛盾します。
一国平和主義の枠を批判的に超えずして、グローバルな原発体制と闘うことはできません。そしてこの一国平和主義こそ、戦後日本の平和運動、そしてそれを批判してきた新左翼も超えられない枠であったのです。原発反対運動も同じ過ちを犯すのでしょうか。
おそらくGさんも私と同じ世代の人だと思います。Gさんは小熊英二も記している新左翼に対す華青闘(華僑青年闘争委員会)の告発と、それに対する新左翼各党派の自己批判、そしてその後40年経った現実をどのように考えておられるのでしょうか。
日本の戦前の植民地主義は清算されておらず、戦後はそれをひきづったまま戦後の経済復興とともに原発体制を作り上げていきました。在日への差別(野間何がしは「当然の法理」が何か知っているのでしょうか。これは知識の問題ではなく、「当然の法理」によって外国人が差別されている実態を知っているのかどうかの現実認識の問題です)、民族学校への弾圧、原発輸出は戦後の新たな、植民地なき植民地主義の実態を示しています。反原発運動は本質的に植民地主義と対峙するものであり、反核・反戦・反差別を謳うものです。
そこでは国民国家の象徴とも言うべき日の丸を掲げた運動はあってはならないのです。野間なにがしは、植民地主義とは何かということを、植民地主義による抑圧、搾取された人達の立場から考えたことがあるのでしょうか。「在特会」と対峙するとき、自分自身の価値観の中にその植民地主義の、原発体制を推し進めてきた価値観が巣食っていると考えたことがあるのでしょうか。植民地主義との闘いは、外在的なものに終わらず、ただ「原発ムラ」への反発に終わらず、内在的なものであり、自らの解放のためであるということを自覚しているのでしょうか。
Gさんもそうだと思うのですが、野間なにがしだけでなく、一刻も早く、首都圏反原連及び6月2日に分裂行動をした反原発を掲げるふたつの団体も、すべて原発の「再稼働・輸出
反対」と両方を大きくスローガンとして掲げることを願います。「再稼働反対」だけの反原発運動はこれまでと同様、一国平和主義の運動の枠に留まることになるでしょう。
私の植民地主義批判の内容は、6月7日の仏大統領来日に反対する院内集会で話した内容を参考にしてください。
http://www.ustream.tv/recorded/33963405
同じく原発輸出と日の丸を批判した官邸前でのデモの発言もあります。
http://www.ustream.tv/recorded/33966067
野間何がしは、「国民国家とは植民地主義を再生産する装置」と看破した西川長夫をしっかりと読むべきですね。
参考までに私のブログで書いたものを紹介します。
2013年6月10日月曜日
先週は画期的な一週間でした。Twitterで綴ります。
http://www.oklos-che.com/2013/06/twitter.html
以下、参考資料:「朴鐘碩の「反原発運動で使われる「国民」は日本人を意味するのでしょうか?-朴鐘碩」http://www.oklos-che.com/2013/05/blog-post_25.html に噛みついた人物はなんと、反原連、レイシストしばき隊のリーダと言われている人物だったとは! まずは彼のツィター発言より。
http://twilog.org/kdxn/date-130525
野間易通@kdxn
● むしろここではっきりと「国民」を名指ししなければ、いつまでたっても日本人は原発政策の責任を自分のものとして捉えることはできないだろう。ここで安易に「国籍を超え」てはならない。
●国民主権の民主主義国家が政策として行ったことに主権者の「国民」が責任を負うのは当たり前で、それを問うたからといって外国籍の住人を反原発運動から排除することを意味しないし、「国民」という言葉を使わなければ国籍を超えたことになるわけでもない。
●反原発運動における「国民」への言及について批判や疑問は常に提起されているけど、まともな批判はついぞ見たことがない。ほとんどが「国民」という言葉へのアレルギーを表明したものにすぎない。
●日本国家を批判するために描かれた日章旗にまで「疑問」を持つのは、日の丸というシンボルに対する逆方向からのフェティシズムにほかならないと思う。
●こういう論理も何もないいちゃもんはそろそろやめにしてほしい。
Twitterより
返信削除●野原燐 @noharra 13時間
@che_kawasaki デモにおける日の丸問題について、だいぶ前にブログを大量に書いたので、良かったら読んでください。 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20110804#p1 … 以下。
●崔 勝久 @che_kawasaki 15分
@noharra 読ませていただきました。参考にさせていただきました。原発体制の問題を深く考察していくことと現実の運動を別に考えています。現実の運動は幅広く反原発戦線をつくることを川崎でやっています。
●野原燐 @noharra 13時間
@che_kawasaki 「A・日本の戦前の植民地主義は清算されておらず、戦後はそれをひきづったまま戦後の経済復興とともに原発体制を作り上げていきました。B・そこでは国民国家の象徴とも言うべき日の丸を掲げた運動はあってはならないのです。」>
>私はAの認識に概ね同意します。しかしBの意見にはびっくりします。それは単に貴方の意見でしょう。同じ意見の人としか運動を作れないなら、運動はセクトを超えられない。こんな単純なことが分からないとは!(ちなみに野間某も評価しない)
●崔 勝久 @che_kawasaki 12分
@noharra 「運動」をいかなるものと捉えるかが問題です。大きく構えるデモの中に右翼がいてもそれを排除することは許されないでしょう・しかし右翼を名乗る人たちを今後の反植民地主義の運動の中心メンバーにいれることは私はしません。
野間某たちの運動は、「三大勢力」の一つになっているようです。そのいずれもが「再稼働反対」に限定(規制)し、原発輸出反対をメインの一つとして掲げません。一国平和主義に陥っているのではないかと私は警告したいと思っています。右翼が反核・反戦・反差別を謳いますか?
ツイッターに書いたことに対して批判するのにメンションしてくるわけでもなく、ブログで「野間某」とか「野間何がし」とか、そういう表現貶めることで溜飲を下げているんですね。
返信削除こんなことばっかりやってるからあなたたちはだめなのです。
関西中心の「市民社会フォーラムML」でも、「野間某」くんと同質のコメントが流れているとML参加者が教えてくれました。
返信削除ほとんど 関心が無いのでしょうね。OCHLOSの提起している問題に。
関心が無いと言うか、わからないのでしょう。
想像力もないようだし。
反原連中心メンバーに共通してることですが。
以下がそのコメント。
腹立たしいと言うより、「野間某」くんともどもお勉強足らないのと感覚磨けよと言ってあげましょうね、と 友人には言っておきましたが。
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Aさん:崔氏の主張への感想:くだらない。・・・日本政府に抗議するための署名サイトで、世界の人から一目で日本を表す事が分かる日章旗をイラストに使う事がそのような批判の仕方をされる。
そしてそれがあたかも意味のある批判であるかのように取り上げる人たちがいる。
そのことにこそ、「いま一度よく考え抜く必要がある」と思います。
加えて、反原発運動に日の丸を使って何が悪いのです?
崔氏の主張は、日の丸を掲げる反原発運動は偽物だと言っているに等しい。
しかし、我々の歴史は事実でそれを否定しています。
私の地元やその周辺地域では複数の原発建設計画を全て撤回させましたが、その反対運動で漁師さんたちが漁船のデモで掲げたのは大漁旗と共に日の丸です。
そうした人をも巻き込んだ運動だったから、そんな違いを乗り越えてきた運動だったからこそ撤回させられたのです。
正直、自分の地元の先輩たちが苦労して作り上げた運動を偽物扱いされたようで、非常に腹立たしい。
Bさん:Aさんの> 崔氏の主張への感想:くだらない。・・全面的に同意です。
そもそも、「野間氏」とするのでも「野間」と呼び捨てでもなく、わざわざ「野間何某」と繰り返しているあたりが、論者のコンプレックスを表しています。
必死で「自分を上に見せたい」魂胆がミエミエで、逆にダサいです。
読む価値すら感じないですね。
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除上の「上杉明」さんという方へ。
返信削除非公開MLの書き込みを、本人の許諾も得ずに勝手にこんなとこに貼っていいんですかねー?外部に流した人、見当が付きますけど。MLにも、あなたに教えたという「参加者」にも迷惑がかかりますよ?
まあ、「野間憎し」が全てに優先するのかもしれませんが、カッコ悪すぎて逆に笑えますね。
単に「野間は~」あるいは「野間易通は~」と書けばいいのに、「野間某が~」「野間なにがし~」と書くあたり、「自分は野間より上だ」アピールを必死でやっているように見えて、物書きとして情けない限りですね。こんな文章で、まともな神経の人に読んでもらえると思っているのでしょうか。そんなんだからどんどん情勢から遅れて孤立していくんだという認識はないんでしょうか。
返信削除ないから、こういう風になっていくんでしょうね・・・
KEN-NYEさんに教えて頂き、私の閉鎖MLでの発言を勝手に引用されている事を知りました。「上杉明」という方には抗議をしておきます。
返信削除で、ここで展開されている論理はひたすら稚拙です。
特に太字の部分。
「原発体制は植民地主義であり」ってのは、むしろ原発問題の矮小化じゃないかなぁ?
で、仮に原発輸出問題が植民地主義的政策だったとしても、それと日本政府のシンボルとして日の丸使う事とはなにも矛盾はしない。
それがダメだというなら、日本政府を表す適切なシンボルをどうぞ提示してみてください。
「日の丸を使う=在日を無視」という論理も意味不明で破綻しているし、「日の丸を使う=日本の植民地主義肯定」なる論理にもなんら正当性はない。
で、そこから導かれる、
「そこでは国民国家の象徴とも言うべき日の丸を掲げた運動はあってはならないのです。」
なんてのは、よくもまぁ、こんな「へ理屈」をこねくり回せるもんだとその想像力には敬服します。
こんな文章に価値を感じる人がいることこそ、自分には謎だなぁ。
「野間憎し」で、論理はどうでも良い人たちがいるのだろうか?
もちっとまともな批判なら議論にもなるんだろうけど、これじゃーねぇ。
「閉鎖MLでの発言」と言うのは知りませんでした。
返信削除申し訳ない事をいたしました。
それに関しては、謝罪いたします。
管理人さん、可能でしたら、上杉明 名のコメントはさくじょしてください。
・・・そのうえで最後に一言。
上の二人のコメントが「確実に下品で下劣」であることだけは 削除の必要は全く感じませんが、やっぱり 反原連メンバーなのかな。それならお怒りも納得できる。
自分は反原連の運動には敬意を表していますが、メンバーではありません。
返信削除金曜デモに参加した事すらありません。
それとは別の運動が自分がなすべき場であると思っているからですが、反原連さんの「小異を捨てて大道に」、「どうやって一般市民から支持を得るか?」という問題を大切にする運動の進め方は、自分が関わっている運動でも大いに参考にさせていただいています。
だからこそ、こんな小異にすらならない「言いがかり」論理で仲間を批判して偉そうにしている愚か者を見ると、こんなブサヨがいたから左翼は衰退しちゃったんだよと、その罪を自覚しろと言いたくなりますね。
あと、私の発言が仮に下品だとしたら、下品に対するために下品にならざるを得なかったという事でしょうし、こういう輩のおかげで日頃苦労させられている怒りがデジャブのようにこみ上げるからでしょうね。
>右翼が反核・反戦・反差別を謳いますか?
返信削除謳う右翼も沢山いますよ。
自分は左翼を自認しているけど、こういう無知な事言っている人に出会うと、右翼に転向したくなるなぁ。
で、これって、改憲派=親米、軍国主義って、完全に誤っているレッテルと同質の実に稚拙な誤った論理なんだよね。
こういうレッテル貼ってるからオールド左翼はダメなんだよ。
それが結局は自分たちの運動を壊してきた自覚も無いんだから、本当に最悪。
問題の非公開MLから引っ張ってるコメントはそのままなんですね。管理人さん、これも削除しておいていただけませんか?
返信削除野間氏に対する誹謗中傷を批判したら「反原連メンバーか」ですか。
反原連メンバー以外はみんな反原連に批判的なんだと思っているとすれば、なんと視野の狭い人なんでしょうか。twitterのプロフィールにリンクさせてあるんだから、見りゃあわかるでしょうに。
自分たちの意見に反対するものは全て「反日左翼」とするネトウヨ、気に入らないとすぐ「朝鮮人」認定する在特会界隈と発想が一緒ですね。
「右だ左だ」という価値基準で「正しいか否か」を論じようとすること自体が既に的外れ。聞く価値もありません。
「自称右」は「右が正しい」と思っているし、「自称左」は「左が正しい」と思ってますからね。そんな主観的な「正さ」なんぞ、いくら議論しても意味がないです。
「あってはならない」と思うなら、自分が思う「正しい反原発運動」を展開して、人を集めてみなさいよ。現実問題として、原発再稼働の脅威はどんどん迫ってきています。それも、ウランよりさらに危険なMOX燃料を使う準備が着々と進んでいます。こんなところで他の「脱原発」の足を引っ張ってるヒマなんぞないと思うのですけどね。