朝日、ヘイトスピーチ批判記事、第三弾
今日は「ヘイトスピーチ 憎悪の言葉であおるな」と社説で書いています。
しかし残念ながら、第一弾、第二弾の石橋記者の発言に比べるとトーンはひとつ落ちています。
韓国企業の躍進に対する「いらだちが、心ない言葉をうみだすのか」とか、駐日大使の被災地訪問や安倍首相の歴史認識発言にまで言及しながら、最後は国連の社会権規約委員会の「ヘイトスピーチの防止や包括的な差別禁止法の制定を、日本に求めた」と書いております。
しかし表現の自由との関係でヘイトスピーチ規制のむつかしさに触れながら、「言葉の暴力はそもそも、取り締まりの方法をさぐる以前の常識の問題だ。この国は、差別を助長する言葉があちこちに氾濫する社会になってもいいのか。私たちはどんな国をつくるのか。そこが問われている」と閉めます。
社説は、「ヘイトスピーチの実態調査」「刑罰が難しても、行政的、民事的な手法で被害を防ぐ工夫」「差別は許されないという姿勢を、政治が先頭に立って示すべき」ここまで主張すべきであったと思います。
「どんな国をつくるのか。そこが問われている」とか、国連委の指摘の報道に留まらず、差別を許さない社会、その履行を政府が先頭に立って具体案をだすべきと書いてほしいところです。ヘイトスピーチに対する朝日の継続した報道、主張を願います。
朝日(石橋英昭記者)のヘイトスピーチ批判記事(第二弾)
「国連の社会権規約委員会は21日、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた」とあります。
しかしの見解の中では、朝鮮学校が高校無償化制度の対象外となったことも差別にあたると批判し改善を求めています。同委員会は、国連の条約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」の締結国を対象に定期的に見解をまとめたもので、「法的な拘束力はないが、政府は誠実に受け止める義務がある」そうです。
同時に「国内での無理解懸念した指摘か」ということで石橋記者は、日本のロックバンド、橋下発言、西村発言を懸念したものと記しています。
最後の段落で、「委員会は日本が包括的な差別禁止法をつくることも求めた。「殺せ」と連呼するデモのように、きわめて差別的な表現行為が放置されている日本の現状は、今後も厳しい批判にさらされそうだ。」と書かれています。朝日のさらなら継続したヘイトスピーチ批判、政府への働きかけを願います。
2013年5月21日火曜日
朝日はヘイトスピーチに対して一歩踏み込んだ発言をしましたね、評価します
http://www.oklos-che.com/2013/05/blog-post_21.html
崔さんの主張は正しい。日本の場合、大東亜解放、5族協和などと言ってきた嘘っぱちがいまだぬぐえず、自民民主維新となって徘徊しているのですね。
返信削除「国民とは誰だ」という問いかけは、私も感じます。
「各国人民、日本人民」と私が「国民」を嫌って使ったところ「人民に違和感を感じる」とリプレイがありました。国民とは、今の日本の場合、天皇の、或いは資本主義国家日本の国民ということ以外の何物でもありません。それでいいの?過去を断絶してない戦争責任を無視する日本政府の国民でいいの?ということです。