格差を当たり前と考えることは、差別を承認ないしは黙認と通底すると思われます。このことは、「韓国人を殺せ」と公然と言い張るデモ隊を取り締まることは言論の自由の制限につながる可能性があるなどと机上の論議を重ねる憲法学者やマスコミの存在と関係するでしょう。
昨日の私のブログへの白楽正志さんのコメントにはこのように記されていました。
「自己像の中に他者を含まない」が故に貧しいのだと思う。ヘイトスピーチによってしか自己を確認できない人は淋しいひとだ。しかし、その認識と社会的な振る舞い・責任は切り離して論ずべきで、立法的な公正が絶対的に図られる必要がある。先ずもって日本は人権条項を批准・遵守すべきである。」、まったく異存はありません。
ヘイトスピーチを根底からなくすにはどうするのか?
http://www.oklos-che.com/2013/03/blog-post_20.html
2.「欧州サッカー 根深い差別」
イタリアで差別的な言動をするサッカー観客に抗議してユニフォームを脱いで退場したアメリカ系選手に続いて、ミランの他に選手も退場したという記事に注目しました。昨日の私のブログ記事に関係します。差別に抗議するのは、私は当事者として当然だと考えます。日立闘争をはじめ、私たちは差別に対して国籍条項をはじめ今も闘いを進めています。しかし問題は、差別をするマジョリティがその差別を自分たちの問題として、抗議し止めさせようとしないことです。ミランの選手のように、差別を受けたアフリカ系選手に続いて自分も決然と試合を放棄して退場する、この勇気が差別をなくすには必要不可欠なのです。ミランの選手に乾杯!
「欧州サッカー 根深い差別」を検索してこのような感動的な記事に出会いました。「平等を意味する白と黒の輪が交差するブレスレット」、いいですね。言論の自由が制限されるという馬鹿な議論をしないで、こんな差別を許さないという心からの友情にあふれたものを共有できるようにしたいですね。しかし領土問題や拉致問題というナショナリズムを鼓舞する問題に目がくらまされて日本人(の多数)はそんなことをしようとはしないでしょう。だから安倍が首相になったのですから。
最近、黒衣をまとったサッカー選手たちがみな口を閉ざし、「平等」を掲げたスローガンだけが浮き彫りになる映像がテレビで流れている。フランス代表でアーセナルに所属するFWアンリの提案による、人種差別を非難する某社のコマーシャルだ。プロパガンダを通じて、ようやく欧州サッカー界でも「Racists――人種的憎しみ」を追放する運動が本格的に始まったのだ。
そのCMに続き、ヨーロッパ諸国では、スポーツ用品を取り扱うショップにて、平等を意味する白と黒の輪が交差するブレスレット(単価:2ユーロ)が販売された。先のイタリア代表のテストマッチ(ロシア戦)でも、選手たちがこのブレスレットをはめ、さらには白(イタリア代表)と黒(ロシア代表)のユニフォームを着用することで、「平等」をアピールした。
そう言えば昔、40年くらい前ですか、フランスで若い人たちによる大規模なデモがあり、それは「私の友達に手を出すな」というものでした。ユダヤ人の友人の差別に抗議したものでした。地方公務員の採用した外国籍公務員は課長職以上の昇進と市民に命令をするような職務に就かせないという差別制度をつくった川崎市に対して、同じ組合員が「自分たちの仲間を差別するな」とどうしてデモをしないのでしょうね。
3.社説「主権回復の日 歴史の光と影の学ぶ」安倍首相は4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開くと決定。しかしサンフランシスコ条約の発効による連合国の日本占領の終わりは、「沖縄を切りすてその犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日」でもあり、旧植民地出身者の朝鮮・台湾人の日本国籍喪失で戦後の差別を正当化する根拠を作った日でもありました。
そのような負の歴史を「自虐史観」とする見方については、「日本が占領されるに至った歴史をふくめ、ものごとを多面的、重層的に理解しなければ、再び道を誤ることになりかねない」「影の部分にこそ目をむけ、先人の過ちや悩みに学ぶ。その営みの先に、国の未来がある」と、しっかりと主張しています。朝日新聞もやればできるじゃない!心から賛同します。
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