OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2013年2月9日土曜日
学習会<「核なき世界」-私たちに求められるものは何か?>、講師の武藤一羊さんのレジュメ
今日の学習会の講師である武藤さんからレジュメがとどきました。
素晴らしい内容の講演が予想されます。
戦後一貫して日本の変革を求めて来られた武藤さんから多くのことを学び、私たちのこれからの運動に活かしていきたいと思います。明日は集会が重なり、参加できな方も多くいらっしゃるので、武藤さんの講演内容はネット上で公開いたします。ご期待下さい。
崔 勝久
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学習会のご案内
講師:武藤一羊
内容:「核なき世界」-私たちに求められるもの何か?
-日本の核政策、政治体制のあり方から考えるー
日時:2月10(日)、開場13時
場所:川崎市中原市民会館第一会議室
(南武線&東横線武蔵小杉駅東口徒歩3分)
参加費:500円
NNAA学習会:「核なき世界」-私たちに求められるものは何か?
日本の核政策、政治体制の在り方から考える
2013・2・10 中原市民会館
武藤一羊(ピープルズ・プラン研究所)
2012年12月、第二次安倍極右政権が成立、ドイツで、ユダヤ人虐殺なかったとするグループの執権と同等の異様な出来事。だが国内ではそうは受け取られていない。賭けられているのは国家の基本を変える(改憲はその形式)プロセスが開始。安倍:「戦後レジーム(国家体制)からの脱却」;核(原発・原爆)問題はそこに埋め込まれている。米国覇権の凋落、中国の大国としての台頭のなかで米中は太平洋を挟んで結託と敵対を含む「複合覇権」が生じているなかで日本で発生した極右権力は、内外の状況にとってどのような要素となるのか。
I 戦後国家、その破綻、極右政権によるレジーム・チェンジの企て
◆戦後日本国家(戦後レジーム)の歴史的性格―三つの相互矛盾した正統化原理(A)米国の第二次戦後覇権原理、(B)平和主義と民主主義(民衆運動で実体化された憲法)、(C)帝国継承原理を矛盾したまま統合
◆Cの密教的特殊性;Aは内部に存在(自衛隊、象徴天皇制);「占領憲法」-自民党綱領―米国をつうじての対アジア関係;Bの一国平和主義幻想―マジックミラーのドーム、視野からの排除、日米安保―AとBの背中合わせの接合
◆自民党レジーム、三原理の折衷的使い分け、だがAが圧倒的、原理的オポチュニズム、しかしBは政権を縛る(経済主義による支配、日本資本主義の国土中心蓄積様式(D)―大企業・下請け・利益誘導)、政治の希薄化;しかしCは国家の中核に固く保持、教科書、妄言、日韓
◆アジアとの関係、米国のアジア政策の関数、脱植民地化の回避、Cの温存条件
◆このなかで核の位置―*冷戦核対決+平和利用(原水爆禁止運動、心理戦略)*原理Cの裏付け潜在的核武装能力と同時にエネルギー産業(一体化、前者を隠蔽)、*1964-72佐藤内閣―核武装検討、「沖縄返還」=米軍事植民地を日本が管理(二重の植民地支配)、核カード、核の傘;「我が国外交政策の大綱」*沖縄、安保、原子力の3要素、米国支配下で安全保障構造に組み上げ、基本的に今日まで;核と安保、二つの隠蔽;二つとも崩れるー(1)安保隠蔽の破綻、沖縄、反基地抵抗―植民地支配への抵抗→中央政治への進駐、(2)安全保障の中核としての核隠しの破綻、フクシマー脱原発―隠蔽破綻、下からの抵抗―広がり、多様性、深刻性;
II 原理Cを裏から表の原理に
◆1990年代半ばから原理Cをめぐる攻防;冷戦の終結状況―戦後50年、戦後革新勢力の崩壊、拮抗力の崩壊;村山談話―自民党歴史検討委+日本会議+作る会―Cを表の原理にする攻勢―教科書、小林よしのり、女性戦犯法廷;原理Aをめぐり沖縄、米兵少女レープ、島ぐるみ闘争、SACO合意、辺野古―安保再定義(1996)・改定ガイドライン;
◆自民党レジームの自壊―社会的基盤の喪失;新自由主義と資本蓄積の様式変化―総評解体、「新時代の日本的経営」、派遣解禁、自由化、規制緩和→小泉改革―「自民党ぶっ壊す」
◆壊れた土壌の上に第一次安倍政権―改憲ダッシュ、対北朝鮮対決、継承性原理、しかし中国、米国の壁、「慰安婦」、靖国史観―自壊;原理Cは歴史的に敗北
◆2009年、自民党政権崩壊、民主党、政権交代自己目的、廃墟の相続―鳩山・小沢:安保・沖縄・東アジア「国民の生活」挫折;―3・11原発破局―沖縄との全面対決―破産した戦後自民党政治への回帰、野田政権下〈原子力村〉の一斉巻き返し、収拾不能の事態、デマゴーグの出現、極右の進出、極右言論の氾濫
◆自民党この間、極右路線に純化―正統化原理として原理Cで「国体」を再組織;自己中心的2012・12選挙での民主党の敗北、政治と思想における空白、「決められぬ政治」に「強いリーダーシップ」;これに便乗して自民党+右翼が議会を支配(2000万人棄権);7月参院選まで「経済再生」+全分野で巻き返し;民衆的基盤は強固でないが、議会多数と行政権力+マスコミの迎合で中央突破の危険;
III 中央突破―安倍自民党のめざす社会と国家
◆自己中心的で他者を欠く政治姿勢―中国、朝鮮、領土;無責任、非反省、米国だのみ;他者は利用対象か日本の意図の妨害者のどちらか
◆世界の民衆の力で確立されてきた普遍的規範から日本を切り離す;自民党憲法改正草案―国民主権(人民主権)(→天皇を元首とする国家)、普遍的人権(→日本の歴史と伝統)、平和主義(→戦争する国家)の破棄;日本近代の反省的総括の拒否、帝国の行為の美化・正当化、ジコチュウ的閉鎖性を基盤に原理Cを国家原理の中心に据える;
◆ただし米国覇権原理は維持、日米同盟は基軸、しかし日米同盟の意味は変容;原理Cはアジアと両立しないばかりか、原理Aとも衝突;したがって、どこまでCを米国に認めさせるか、日米同盟は駆け引きの場に;取引条件―原理Cの国内での貫徹と無条件での米国の軍事経済への協力(米中関係を壊す振舞いの自粛を含む);原理Cで突っ張れば突っ張るほど米国への従属は深まる;
◆原理Cはアジアへの日本の覇権を理想とする;台頭する中国への対抗、北朝鮮の核武装への対抗→原子力産業のエネルギー、経済面からの巻き返しのほか、核抑止力としての強調へ;米国への忠誠の披歴としての原発維持推進がその裏に;
◆「日本を、取り戻す」の国内的意味-戦後期は、安倍政権にとって空白期、それを飛び越して帝国に接合=「とりもどす」、「伝統」自民党が60年に渡って破壊、無いもの=右翼の夢を押し付ける;家族、ジェンダー、コミュニティ、教育;ここでもジコチュウ的閉鎖が条件
IV 極右国家の弱点
◆国際関係における孤立、◆対アジア関係とくに日中関係の破壊の危険◆支配体制の原理的矛盾(原理Aと原理C)、日米同盟の位相変化◆国内支配体制の基盤の脆弱性(棚ボタ式の権力掌握、無いものを上から押し付ける)、破綻した戦後自民党的支配(アベノミックス)の短命性、◆ジコチュウを破る国内の抵抗、2重の植民地支配への沖縄の後のない抵抗、◆それとつながるグローバルな人権レジームからの圧力;
V 国家再編プロセスを挫き、別の展望を開く
◆このプロセスー手続き的には憲法改定―を挫折させ、日本列島社会に新しい(戦後国家への逆戻りでない)展望をひらく必要;◆個別の右傾化をレジームチェンジの先取りととらえ、再稼働阻止、沖縄基地闘争、個別テーマで頑強な抵抗でそれを後退させ、レジームチェンジ自体に対決する対峙線の形成;◆7月参院選向けて、脱原発、沖縄、TPP、貧困など主要テーマについて、統一名簿で、心ある有権者の投票先を形成、課題横断的な急進的議論がカナメ;◆日本国が選択すべき別のコースについての議論を起こし、別の展望を明らかにし、極右政権のコースの信用を失墜させる(複合覇権にたいして脱覇権による非覇権の立場)
以上
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資料1
ライシャワー覚書(1942.9.14)
ドイツとイタリアでは、ナチとフアシストの統治に対する自然な嫌悪を期待できます(それはとても強い感情でしょうから、この嫌悪のおかげで人口の大きな部分が連合国(the United Nations)に協力する政策の側に支持を切り替えることになるでしょう。これとは対照的に日本では、戦後の勝利に至るこのような容易な方法は可能ではありません。日本では、注意深く計画された戦略を通じて思想戦(ideological battles)を勝ち取ることが我々には期待されるでしよう。当然のことながら、第一歩は、喜んで協力する集団を我々の側に転向させることであります。そのような集団が日本人の少数派しか代表しない場合には、我々に喜んで協力する集団は、いわば傀儡政権ということになるでしょう。日本は何度も傀儡政府の戦略に訴えてきましたが、たいした成功を収めることはできませんでした。というのも、彼らが用いた傀儡が役不足だったからであります。ところが、日本それ自身が我々の日標に最も適ったか依頼を作り上げてくれております。それは、我々の側に転向させることができるだけでなく、中国での日本の傀儡が常に欠いていた素晴らしい権威の重みをそれ自身が担っております。もちろん、私が言おうとしているのは、日本の天皇のことであります。(『世界』2000・3月号)
資料
沖縄永久占領についての昭和天皇のマッカーサーへのメッセージ
総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇の顧問、寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問W.J.シーボルト
東京 1947年9月22日
資料
1954・3・4衆議院本会議 小山倉之助(改新党)の三党修正予算提案演説(原子力部分)
第四は国防計画についてでありますが、政府は、日本の経済力に順応して漸増すると言うばかりであつて、依然消極的態度に出ております。従つて、保安隊は自衛隊と改名いたしましても、依然として日陰者の存在であるということは免れません。国民は自衛隊に対する愛敬の念薄く、かつまた彼らに栄誉を与える態度に出ておりません。従つて、彼らは国民の信頼を受けているということを意識しないのであります。信頼なき、栄誉なき存在は公の存在とはならぬのでありまして、彼らがその責任を自覚せず、従つて、士気の上らないことは当然であると言わなければなりません。ゆえに、国民は、保安隊を腐敗堕落の温床であるかのごとく、むしろその増強に対して恐怖の念を抱く者さえあることを認めなければなりません。国会においてもしばしば論議の中心となつたのであります。
しかるに、米国は、日本の国防の前線ともいうべき朝鮮からは二箇師団の撤退を断行し、大統領のメツセージにおいては、友邦に対して新兵器の使用法を教える必要があると声明しておるのであります。私、寡聞にして、いまだ新兵器の発達の全貌を知る由もありませんが、近代兵器の発達はまつたく目まぐるしいものでありまして、これが使用には相当進んだ知識が必要であると思います。現在の日本の学問の程度でこれを理解することは容易なことではなく、青少年時代より科学教育が必要であつて、日本の教育に対する画期的変革を余儀なくさせるのではないかと思うのであります。この新兵器の使用にあたつては、りつぱな訓練を積まなくてはならぬと信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。また、MSAの援助に対して、米国の旧式な兵器を貸与されることを避けるがためにも、新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。私は、現在の兵器でさえも日本が学ばなければならぬ多くの点があると信じます。
元来、軍需工業は、科学並びに化学の粋を集めたものでありまして、平和産業に利用する部分も相当あると存じます。第二次世界大戦では、日本の軍人は世界の科学の進歩の程度に盲目であつて、日本人同士が他の日本人よりすぐれておるというばかりで優越感を覚え、驕慢にして他に学ぶの謙虚な精神の欠乏から大敗を招いたことは、われわれの親しく経験したところであります。MSA援助の中にも大いに学ぶところがあり、学ばなければならぬと思います。これはわが国再興の要諦であると信じます。
わが党は、原子櫨製造のために原子力関係の基礎調査研究費として二億三千五百万円、ウラニウム、チタニウム、ゲルマニウムの探鉱費、製錬費として千五百万円を要求し、三派のいれるところとなつたのでありますが、米国の期待する原子力の平和的使用を目ざして、その熱心に推進しておる方針に従つて世界の四十箇国が加盟しておるのでありまして、これは第三次産業革命に備えんとするものでありまするから、この現状にかんがみ、これまで無関係であつた日本として、将来原子力発電に参加する意図をもつて、優秀な若い学者を動員して研究調査せしめ、国家の大計を立てんとする趣旨に出たものであります。(拍手)
資料3 わが国外交方針の大綱(抜粋)
1安全保障に関する施策
(3)わが国世論の動向は、基本的にはわが国国土における米国軍の顕在的なプレゼンスを希望しない 方向に向かうものと予測される。従ってわが国としては、急激な現状変更を避けつつもこの世論の動向を先取りしたビジョンの上に立ち、わが国の主体性に立脚した安全保障体制を漸進的に築き上げることとする。
その場合わが国国土の安全については、核抑止力及び西太平洋における大規模の機動的海空攻撃力及び補給力のみを米国に依存し、他は原則としてわが自衛力をもってことに当たることを目途とし、朝鮮半島を中心とする極東の安全については平時における抑止力としては若干の限定された重要基地施設を米軍へ提供するにとどめつつ、有事におけるこれら基地の米軍による使用及びこの米軍の行動に対するわが国の支援が遺憾なく行われるよう諸般の体制を整えておくことを目途とする。
(4)ハ、わが国の自衛力を質、量の両面で整備、拡充し、かつ国内の法体系の整備、改正及び行政上の諸体制の充実により、この自衛力が保持する実力を有事の際十分発揮できるよう措置すること、及びこれに応じて在日米軍基地は逐次縮小・整理するが、原則として自衛隊がこれを引き継ぐとともに、日本及び韓国の防衛に死活的重要性を有する若干米軍基地はこれを存置し、もって抑止力の維持をはかること。
核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘はうけないよう配慮する。又、核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する。(外務省HP)
資料4
沖縄核密約
2009年12月佐藤氏遺族から公表
佐藤―ニクソンの合意議事録の日本文全文(佐藤私邸で発見されたもの)は以下の通りである。
一九六九年十一月二十一日発表のニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録
米合衆国大統領: われわれが共同声明で述べたとおり、米国政府の意図は、実際に沖縄の施政権が日本に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することである。そして、それ以降は、共同声明で述べたとおり、日米安全保障条約と関連する諸取決めが沖縄に適用される。しかしながら、日本を含む極東諸国のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議(A)を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する(B)。
米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるように求める。
日本国総理大臣: 日本政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。
大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということで合意した。
一九六九年十一月十九日
リチャード・ニクソン
佐藤栄作
資料5
自民党歴史・検討委員会 (1993-5)
平和主義原理のこの衰弱の好機に、帝国継承原理の推進勢力は戦後初めて大同団結し、攻勢を開始したのである。教科書からの「自己悪逆史観」の一掃、とくに軍慰安婦の記述の削除をもとめ、自派の教科書の採択を求める「新しい教科書をつくる会」の結成(一九九六年)、右翼政治団体から宗教右翼、政治家から知識人や財界人までを含めた右翼の総結集体としての日本会議の結成(一九九七年)、その国会内別働隊である日本会議議連の結成、さらに北朝鮮に拉致された日本人の家族会への支援を北朝鮮政権打倒運動に横滑りさせていく「救う会」の結成(一九九八年)と、メンバーは相互に重なりつつも全国的な規模での右翼キャンペーン組織の結成が続いていった。何よりもそれに先立ち、一九九三年に「大東亜戦争」を総括する目的で自由民主党自身が「歴史・検討委員会」を立上げていた。教育の右傾化に反対して精力的な活動を続けている俵儀文によってこの委員会の活動を確認しておこう。(【資料】小泉第2次内閣の超タカ派の大臣たち 二〇〇三年一一月二〇日 俵義文作成)
(この委員会は一九九三年)一〇月から九五年二月まで二〇回の委員会を開催した。メンバーは衆参議員一〇五名で、委員長・山中貞則、委員長代行・伊藤宗一郎、顧問・奥野誠亮・橋本龍太郎・藤尾正行・武藤嘉文など、事務局長・板垣正、委員には石橋一弥・江藤隆美・衛藤征士・梶山静六・塩川正十郎・鈴木宗男・中山太郎・額賀福志郎・保利耕輔・松永光・三塚博・森喜朗・片山虎之助・村上正邦など歴代文部大臣、派閥の領袖など自民党の幹部が参加していた。また、委員の中には、「教科書議連」(九七年結成)の中心メンバーとなる安倍晋三・衛藤晟一・河村建夫・中川昭一・平沼赳夫など一五名が含まれていた。「歴史検討委」は、後に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げる西尾幹二氏や高橋史朗氏などを講師に招いて議論し、それをまとめて、「日本の戦争は正しかった」という内容の『大東亜戦争の総括』(展転社)を九五年八月一五日に出版した。この日は、自民党と連立を組んでいた社民党の村山富一首相(当時)が侵略戦争や植民地支配を反省する談話を出した日であるが、この本の内容はその談話を全面的に否定するものであった。「歴史検討委」の総括は、日本の行った「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は、自存・自衛のアジア解放戦争で、侵略戦争ではなかった、南京大虐殺や「慰安婦」は事実ではない、加害・戦争犯罪はなかった、という結論をだした。そして、侵略戦争や加害の記述を教科書から削除させるために「新たな教科書のたた かい」(教科書「偏向」攻撃)の必要性を強調していた。さらに、このような戦争・歴史認識を国民に定着させる「国民運動」を、学者を中心に展開することを提起していた。これを受けて、一九九七年一月、学者を中心にした「国民運動」組織として「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されたのである。(武藤、「潜在的核保有」pp181-2から)
資料6
村山内閣総理大臣談話 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」平成7年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
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武藤一羊氏 講演会報告。氏の知見から多くを学ぶ。
返信削除日本の政治の3つの正当性原理を提示。①対米、②平和・民主勢力 ③戦前の帝国復帰
安倍はレジューム・チェンジを画策する極右であり、それへの闘いを総合的にする必要あり。
結論:②原理の運動の脆弱性が問題、それを再構築する準備をすべし。
②原理の日本の伝統を生かし、かつその問題点(一国平和主義であったこと、植民地主義を直視してこれなかったこと、今も原発体制下で、アメリカと組み原発輸出を推進中など)を明らかにする運動をすべきだと思います。数を頼みにする戦術に終わらせず、②原理を深め、拡大していく作業が急務です。そのための学習会を武藤さんたちと計画します。
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