2013年1月25日金曜日

「在日」の世界ー力道山と親父


一昨年、写真を整理していて昔のものが見つかり、 ブログで公表しました。しかし何故か、写真は全部抹消されていますね。

昔の写真、力動山・白井義男・ベビーゴステロ・親父
http://oklos-che.blogspot.jp/2011/02/blog-post_22.html
昔の写真(2) 力道山関係
http://oklos-che.blogspot.jp/2011/02/blog-post_23.html

力士時代のちょんまげを結った力道山と親父が一緒に並んだ写真があります。今日、公開するのは、力道山の結婚式の写真で媒酌人の大野伴睦がはいっているもの、力道山の息子と親父が一緒の写真、私が小学生で力道山の横にいる写真、戦前から大阪で人気があったフィリピンの選手と世界チャンプをめざしてアメリに行った写真などです。後で書くナンバのジャズ喫茶の開店の時の写真(こしゃまくれた少年は私です。車はリンカーンかビュイック)と、当時の宝塚女優と親父のツーショットです。

在日と芸能界、裏社会との関係は昔から噂されている通りで、それはアメリカの黒人やイタリア人などのマフィア、また日本では未解放部落出身と在日にヤクザが多いというように、差別社会のなかで被差別者が生きてきた実態が示されています。それは良し悪しの問題ではなく、差別社会の実態を反映しているとしか言えません。

FBでたまたま、雨の日に聴くKeith JarrettのDanny Boyはいいと知り聴いたらあまりに素晴らしかったので、私もあんな風に歌いたいと記したところ返事をいただき、私の家のことをFBで書きました。


<実は私は大阪難波生まれで難波育ちで、小学生のときは家でジャズ喫茶(今のライブハウスですか)をやっていました。もう60年近くなるんでしょうね。検索したら、こんな記事がありました。「戦後もジャズの伝統はつづき、戎橋詰めにあった「サイト・ハウス」は戦後最古のライブ・ハウスです。」南里文雄のデキシーなんかは今でも覚えています。小野満、ジョージ川口・・・。それとレイモンド・コンデというクラリネットの名手がいたのですが、10年ほど前に銀座のクラブで見かけ、うれしくなって大阪から母親を呼んだことがありました。当時をなつかしみ、親父にはお世話になったということを何度も言ってましたね。>

それで昔のことを思いだし、NNAAのFB Groupに写真と一緒に感想を載せました。検索したら、昔、私の小学生の頃、道頓堀と心斎橋筋の交差するところで親父げ経営していたジャズ喫茶「サイト・ハウス」がでてきたのです。

Wau, I found our family's historical remaims, which say that Jazz remained popular after the war and the first club with live music, 'Saito House', was opened near Ebisubashi bridge. This one-storey `Saito House` was replaced with Yoshimoto Building in 1960 and live music was played in the ground floor hall, which people enjoyed from the 1st floor tea room. Yes the jazz live house was alive in my memory which my father had ownd which was almost 60 years ago. 戦後もジャズの伝統はつづき、戎橋詰めにあった「サイト・ハウス」は戦後最古のライブ・ハウスです(道頓堀商店会 http://www.dotonbori.or.jp/index.php?act=about&page=hatu)。

HPでは「サイト・ハウス」の由来も書きました。なにせ私は高校卒業まで、斎藤という姓を名乗り、本名の読み方も知らなかったのですから。
We used to use the Japanese name then. That's why he named the Live house 'SaitoHouse'. I remember many things, the sound, the smell, jazz players. But my parents were divorsed. He had passed away and she is alive. He was a sponsor of the famous pro-wrestler, Rikidozan who was a Japanese hero after the war. The both came from the North Korea. I wish I could write my father's autobiography. But I do not think I could do it.

NNAAには日本語のHPもありますが、これは英語版ですので、ご理解ください。親父の11歳のときに独りで日本に来てからの、波乱万丈の成功の極みと失敗の地獄、女性関係、ボクシングクラブオーナーとしての芸能界、スポーツ界の幅広い交際、力道山の谷町であったこと、金銭貸し借りのトラブル、離婚、何度かの再婚、身内でのいざこざ等など、まちがいなく戦後のナンバを風靡した「斎藤八郎」こと崔仁煥(チェ・Inhwan)のことは、目次だけ私が書いたら後は大手出版社からゴーストライターが仕上げ出してくれると飛びつくだけの「面白味」があるのでしょう。

しかし自分には書けないと先のFBに書いたらアメリカにいる娘からすぐに「非難」のコメントが入ってました。 So, I can't help myself thinking why you don't think you could write about his biography? Who can then? I'm just curious. どうして私が親父の自伝を書けないと言うのか、理解に苦しむという感じです。香港の息子も同じことを何度か言ってました。

『血と骨』の梁石日 (ヤン・ソギル)は親父の自伝を書けなくて何度もやり直したらしいのですが、私は今やることが多くてできないと言ってます。しかし私はまだ親父を相対化してそのすべてをあからさまに書くことはできないのです。大阪ナンバのど真ん中で成功者になり、その後今を時めく吉本興業との裁判に負け、妻に逃げられ、一時は髭をはやし戦闘帽をかぶりキューバに行く、北朝鮮に帰ろうと私に言っていたこともある親父は自身も何度か結婚をしながら、それでも逃げられた、再婚をしている最初の妻(私の母)に戻って来てくれと哀願をする、とんでもない独りよがりなバカであり、それでも私を一度も叱ったこともぶったこともない、長男の私を心から愛した男でした。

私はそれでもバブルで高騰した親父の心血を注いで残したビル(そもそも軽量鉄骨の2階建ての家を、設計図も何もなく、釜ヶ崎から毎日労働者を連れて来てそれこそ十年以上かけて地下1階、地上8階の、史上まれにみる「悪質な」不法建築でつくったものだからです)と、岳父の命を懸けて残してくれた住宅を、地域活動をやめて継いだスクラップの仕事を家族を守る為に続け、結局は大阪も川崎も全ての財産を手放すバカをしてしまいました。どれほど多くの人に迷惑をかけたかわかりません。その私にどうして親父のことが書けましょうか。


個人史―私の失敗談
http://oklos-che.blogspot.jp/2010/09/blog-post_16.html


しかしすべてを無くしたからこそ、3・11以降、私は今やっている反原発の闘いにすべてをかけて挑戦できるようになったのだと思います。しかしまだ私を支えてくれる妻のことを思うと私はこれでいいのか、本当にこれでいいのか、それがお前の命をかけてやるべきことなのか、問わずにはいられません。

大阪の教会で話したメッセージです。歴史は一筋縄ではいかず、人間は複雑です。多くのものを抱えながらそれでも人としていかに生きるべきか悩み、前に進むしかないのです。
親父のことが書けないのはまだ私にその悩みを突破できないでいるからかもしれません。

「捨てられた石」ー在日として生きて来て見い出したこと
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイ6:34)



4 件のコメント:

  1. 私は1947生れ 家にテレビがない時代 自分も近所の人達も近所のお肉屋さんに集まってテレビ≪力道山≫観戦したのを思いだした。いつしか自分の中でも力道山は英雄・負けを知らない正義と味方の人になっていた・・・・・時経て・・・・・今 65歳の自分は 「正義と平和派=Jesus 派? 党?になっている。 これから更に祈りと行動実践を崔さまのおもい・・・・・・神様に願い・託して

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  2. すさまじい執念にあるバックグラウンドを知り、慄然としつつ、その率直さに敬意を表します。
    貴兄の親父、正に男の一生ですね。男はつらいよ、に重なりつつ、悲哀とぺ―ソスの絡まりの
    中で・・・。貴兄を知るにと大事に保存しました。       

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  3. 父上の話、混沌とした戦後の在日の過剰な生命力を見るようです。是非本にまとめて下さい。

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  4. この時代はいろいろな武勇伝をもった方がいらっしゃたんですね。
    パチンコ店をやっては潰してを繰り返してきた僕の父親もかなりの遊び人で、どうしてもソリが合わずいつもぶつかってました。一緒に酒を飲みたがっていたのに結局最期まで心を開けなかったことを後悔しています。10数年前に亡くなった父親を思い出します…

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