敦賀原発廃炉になりそうです。規制委員会の科学的な判断だとか。これで敦賀原発を許可したこれまでの体制が根本的に問われることは必至です。しかも日本電源はいまだに未練がましく「大規模な調査で活断層の可能性のないことを説明した。このようなとりまとめになったことは受け入れがたい」とコメントしている。
敦賀原発の廃炉を求め続けてきた地道な市民の運動の勝利です。正面突破の、理を尽くした反論で当局の責任を追及してきた関係者に心からの敬意を表します。願わくば、美浜原発を含めて、原発事故が起こった場合の住民避難が困難なところも廃炉に持ち込みたいですね。アメリカに先例があります。
そもそも原発は事故が起こった場合の安全を考えていなかったのです。事故は起こりえないと言い張ってきたのですから。まことに人間の傲慢な態度はいつかその主張がへし折られ、事実が明らかになるのでしょう。できうれば、今、そうなってほしい。 崔 勝久
福井のNさんからのお便り。
福井の原発の歴史を知っていると、まだまだ、敦賀廃炉と安心できないでいます。
子どものころから、何度期待を裏切られてきたことか。こんな日本語があるのかと思われるような、こんな理解不能の論理が通るのかと何度おもったことでしょうか?その度にひねくれていきましたが、権力者にとって、煙たいひねくれ方になったかもしれません。
仮に、敦賀2号炉が廃炉となっても、楽観はできない重い現実が延々と続くと思います。極めて危険な、自民や維新が、権力の座につく可能性が高くなっています。自分は、今福井で、戦いつづけるタフな思想と体力をつけようと、この福井の地で呼びかけるつもりです。
規制委の今回の判断は、地元だけでなく、全国の全世界の多様な反対運動の成果です。これを忘れてはいけないと思います。そして、ほんのちょっとの一歩しかありません。
(1)まだ規制委員会の最終結論ではない。
島崎委員以外の露骨な推進派出身の規制委員がどうでるか?
そもそも、再稼働の判断を放棄したという規制委員会の結論がどうなるか?
野田でさえ、政治判断で専門家の最終判断など無視して再稼働しました。次の政権を、自民や反帝国主義的色彩の強い連中を追い出した民主なんかがとればどうなるか判りません。
(2)活断層が原子炉の下にあると判断できて、ようやく廃炉なら、それ以外の地盤は「安全」なんてことになりかねない。地震による事故の懸念以外の安全審査はすべてOKなんてことにもなりかねません。
(3)そもそも、老朽原発敦賀は、推進側から考えても、廃炉にすべきもの反原発派にとって、ささやかな1歩ではあっても、こんなボロボロの原発を今だに廃炉にさえ追い込めてないのが、自分達の反原発運動の現実だと思います。
ひとつ間違えば、老朽原発はさっさとやめて、原発リニューアル。それこそ、原発メーカーにとって、リプレイス特需なんてことも、決して馬鹿げた妄想ではないと思います。
枝野は新設の敦賀3・4号機建設を認めないと言ってますが、再稼働はしないような言動を裏切って平然と再稼働した枝野の言動などなきがごとしです。まして、政権が代われば、憲法改正などをやりながら、強権的に反対派を押さえこんでくるのが目に見えている極右に変貌した自民党や、連立を組むかもしれない突撃隊維新台頭の社会でどうなるかなんて、誰にも判りません。
(4)さらに、再稼働するしないというせめぎ合いの中で、経済や精神状態で兵糧攻めになっている(あるいは、兵糧攻めを演出されている)地元民衆が、追い込まれたあげく危険な道を進む可能性もあると思います。
(5)廃炉がきまっても、福井から青森に送られた使用済み燃料も含めて核燃料や廃棄物
をどうするか?原発推進に踊らされたとはいえ、立地地元の人々をどうするか?廃棄物に関していえば、地元どころか全人類的な重い課題が消える事はないないでしょう。
むろん、この判断を突破口に、大飯原発や志賀原発など、活断層や、破砕帯だらけの地域
の原発を廃炉や、再稼働凍結に持ち込むという筋書きも描けると思います。しかし、それは、さらなる運動の実行でしか実現しないと思います。
原発問題は植民地主義(自分にとっては帝国主義的施策)と正しく喝破された崔さんが
「廃炉になって欲しい」というのは、少々、気弱に聞こえます。
自分も、ものすごく、暗くなることが多いのですし、多くの本を読んで勉強できる能力も持ち合わせていませんので少々生意気ですが、険しい道のり、一気一優せず、共に闘い続けて、全ての原発廃炉を自分達の運動で勝ち取るぐらいの姿勢でいきませんか。
次の世代に頭を下げつつも、人類史にのこしてしまった重い課題を今自分達に可能なかぎりで乗り越えられるバトンを作っていくしかないと思います。
さらに追加:Nさんより
崔> えっ、弱気にきこえました?
すみません。
「ほしい」という言葉が、みょうに崔さんらしくなく思えました。
「勝ち取るぐらいの姿勢」というのは、崔さんによりも、自分自身に
いいきかせているのかもしれません。
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