2012年10月9日火曜日

「多文化共生」は、現代の植民地主義のイデオロギーです

先週、久しぶりに保育園の運動会を観る機会がありました。
若いママ、パパに交じっておじいちゃん、おばあちゃんがみんなカメラを持ち孫に声援を送っていました。しかしよく見ると、そのおじいちゃんはまだ私より若い世代のようでした。そうなんだと自分の年齢を思い知らされた次第です。

1-2歳、3歳、4歳、年長さんと別れて行われた運動会のプログラムは、それぞれの年齢の成長具合がよくわかるように構成されていました。1-2歳の子は保母さんの服につかまっていたり、抱かれて行進をするのですが、3歳児になるともう一人で歩きます。年長さんになると走るスピードもあり、狭い運動場では体力を持て余すような感じです。
その保育園では何人かの外国人がいるようで黒い肌の子どもが一緒になって歌を歌ったりしていました。障害のある子もいるようです。がんばろうねとリーダシップを発揮する子もいれば、恥ずかしそうにしている子もいました。しかし小さい子どもたちは年長さんへのあこがれがあるようで、年長さんもそれを意識してか、張り切って動いているようでした。

プログラムの最初は、年長さんが一人ひとり名前を呼ばれて縄跳びで運動場を一周するのですが、もちろん上手な子がいればうまく飛べない子もいます。それでも全員、自分なりに縄跳びをしながら場内一周をして拍手喝采を受けみんなうれしそうでした。走っては急に止まるような3歳児ではなかなかできないことも年長さんは上手にやっていました。そうか、子どもはこんな風に成長していくんだなと、自分の子どもたちのときには、「運動」に忙しく、なんの思い出もないのに気が付き愕然とした次第です。いいお父さんじゃなかったな、自分は・・・・。

私たちは40年前、日立就職差別闘争に関わり、川崎の地で、自分たちと同じように朝鮮人であることに苦しんだり悩んだりしない子どもにしようと、保育園のなかで民族的な要素を入れ、日本の子どもにも韓国の歌を教えたり、本名を名乗らせるようにしてきました。それをいつしか「民族保育」というようになりました。今は「多文化共生保育」というそうですが、私は運動会の子どもの成長具合を見ながら、自分たちのやってきたことはなんだったのか、考え込みました。

差別に負けない子、差別をしない子、集団保育、発達の保証ということを「民族差別」の中味として考えていました。しかし運動会での子どもたちを見ていると、一人ひとりの個性、集団の中で磨かれる個性、それを暖かく見守る保育士集団、その保育士集団を束ねる内部の組織のあり方ということが頭をよぎります。

差別に負けない子にするという当時の自分たちの思いが先走りしていたのではないのか、その熱い思いが観念となり、押しつけになり、結局、一人ひとりの子どもの成長を見守り、集団づくりというような(集団づくりが必要だったのは子どもより、周りの保育士や保育園全体でしたね、今思えば)思いあがったことを考えていたことを恥ずかしく思います。

「民族保育」にしても「多文化共生保育」にしてもその最大の欠点は、子どもを観る一番最初の視点をその子の「属性」「民族」「国籍」などに置いている点です。しかしそうではなく、やはり、一番重要なことは「にんげん」です。

いろんな個性を持つ一人ひとりがその子なりに成長していく、生きていく基礎的なところにどうしてもっと考えが及ばなかったのでしょうか。それは「民族」だとか、「差別と闘う」という思いがこちら側の目が曇らしていたからでしょう。ナショナル・アイデンティティは個人のアイデンティティより先にあり、そのナショナル・アイデンティティを批判的に見ることができなかったからでしょうか。私たち自身が民族というものを何よりも重要だと思っていたからでしょう。しかしそれは間違いだと今になって思います。

そのことは結局、今の日本社会の「多文化共生」をもてはやす動向とも一致します。「多様化」とか、みんな仲良くと言いながら、根のところ、本質的なところでは外国人を「二級市民」と見做し当然視しているのです。それを文化的な要素だけに限定して受け入れもてはやし、これだけ外国人を受け入れていると思うのはパターナリズムに陥ることになるでしょう。「多文化共生」が成り立つのは、その底に日本のナショナリズムが前提とされているからで、そのことを批判的に乗り越えるべきものと捉えられていないからです。

右から左から、経営者から労働組合、すべての人が口をそろえて「多文化共生」「共生」を賛美するのは異常です。その根底には強固な、無意識な日本のナショナリズムがあるのです。日本の為政者は「共生」と「統合」を同じ概念としています。さもありなんというところですね。多文化共生は現代の植民地主義のイデオロギーです。

「多文化共生の街、かわさき」ではなく、「住民主権の街、かわさき」に変えていかなければならなりません。一人ひとりがしっかりと自分の意見を言い、対話ができ、そこで共有化されたことを国籍や民族、障害の有無、性、所得に係りなく具体化していける街、かわさき、そんなことができればいいですね。

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