2012年3月18日日曜日

「日本人の絆」でガレキ処理を進めよう? 川崎駅街頭で目撃したこと

3月18日、午後4時から川崎駅前の広場で環境省主催の催しものがありました。登場人物は細野原子力担当大臣、黒岩神奈川県知事、阿部川崎市長、林横浜市長などで、ガレキ受け入れ推進の大物が勢ぞろいしたことになります。
事前に反対派の市民が来ると聞いていたのか、私服警官だけでなく、環境省職員、地元商店街関係者も多く動員されていました。
私は昨夜、急遽、このような催しがあることを電話で知らされました。「脱原発かわさき市民」の仲間だけでなく、東京と神奈川でガレキを東北地方から地元に持ち込み焼却することに反対する人たちが総数50名くらい集まり、プラカードを持って「みんなの力でがれき処理」を訴える政治家たちの演説を聴きました。事前に警備が厳しいので用意したビラや要望書は配れないかもしれない、今後のことを考えて慎重に行動することを申し合わせたのですが、黙って聞いてられない話で、ヤジは大きな「説明会!」という合唱に変わっていきました。
細野大臣(田中龍作ジャーナル から引用)

黒岩神奈川県知事      

林 横浜市長                          

細野大臣をはじめ政治家の話の要点は、福島のガレキは地元で処理し、宮城や岩手の放射能で汚染されていないガレキを各地方自治体で協力して受け取ってほしい、それが「日本人の絆」であり、そのような相互扶助が自分たちの地域で地震が起こったときにも今度は助けられる番になるではないか、という聴衆のナショナリズムと情緒に訴えかけるものでした。賛成派からの拍手もまばらで、多くは反対派のヤジの声に消されているようでした。

神奈川県主催の集会は知事が立ち往生し、とても市民の納得を得られるような状態ではなかったので、東京都に次いで人口の多い、横浜・川崎・相模原という政令都市をもつ神奈川県で3市の協力を取り付けてガレキの受け入れを具体化したいという腹づもりであったのでしょう。 「神奈川県のガレキ受け入れ、「対話集会」の実態について」 http://www.oklos-che.com/2012/02/blog-post_02.html を参照ください。
阿部川崎市長 黒岩神奈川県知事、林横浜市長に次いで話をした阿部川崎市長が一番、強硬にガレキ引き受けを強調していたように思います。どういうことがあっても実行する、世論が見方をしてくれているし、政府の全面的なバックアップがあるのだから同じ日本人としてガレキの受け入れは当然のこと、というトーンでした。 彼のスピーチの中で、万が一川崎で直下型の地震が起こったらどうするのか、他県の協力を求めるのは当たり前ではないかと言うのですが、気にかかったことは、彼は、川崎市が川崎の直下型地震として想定しているのは南北に長い川崎に等距離にある東京の東村山市の活断層であって、臨海部にまさに直下型地震が来た場合の災害対策は市としてなされていないということを知らないのではないかという点でした。


また「大物政治家」が壇上に上がり被災地からもってきた、プラスチックの容器に入れられたガレキをガーガーガウンターで計り、正常だと言うのですが、さすがに失笑がもれていました。いくらなんでも放射線量が高いガレキを持ってくるはずもなく、そんな見え透いたパフォーマンスを真剣にやっている(やらされている?)彼らはどんな思いでいたのでしょう。

私自身もプラカードを掲げ一番前で黙って聴いていたのですが、最後の方は気が付いたら大きな声を張り上げていました。市民に理解をしてほしい、同じ日本人の絆として、困っている東北地方のガレキをただ20%だけ受け入れてくれたらうまくいくんだ、うまくいかないとしたらそれは反対する人の所為だと言わんばかりの論調です。

しかし「説明会」という自然発生的な大合唱が意味することは、何故、川崎市で住民を交えてガレキ処理の問題を話しあって決めようとしないのかという根本的な政治風土の問題です。それは民主主義がどれほど地域の政治の中で生かされているのかという問題なのです。

 阿部市長とは「腐れ縁」で、前回の選挙では私たちは阿部三選阻止を掲げて運動をしました。阿部反対票が15万票も多かったのですが票が分散して結局、阿部三選を許してしまいました。しかし私は選挙の前日、偶然、駅でマイクなしに頭を下げる阿部さんにビラを渡し、お疲れさまでしたと声をかけ、意見は違っても話し合いをしましょうと呼びかけたところ、当選後しばらくして阿部さんの秘書から私に会いたいと連絡が来ました。
「阿部市長との面談の実現(?!)」2009年12月2日 
http://www.oklos-che.com/2009/12/blog-post_02.html 
「阿部川崎市長との面談内容」2009年12月11日 
 http://www.oklos-che.com/2009/12/blog-post_11.html  

しかし3年経ってわかったことは、彼にとって市民と対話するというのは、市民の声は聴き置く、そして決めるのは専門家と自分たちだという姿勢でした。このような根本的な民主主義がないところでは外国人市民代表者会議も、区民会議も結局のところ機能しないのです。それは形式的な民主主義を装ったものであり、決定過程において市民が参加して話し合いをして問題点を深めて決定するという、もっとも大切な民主主義の根幹が欠けているのです。韓国の評論家の金鐘哲さんの意見を是非、ご一読ください。
「原子力事故、次は韓国の番だ」ー3・11韓国における講演の紹介」 http://www.oklos-che.com/2012/03/3.html 

彼の原発体制についての批判はそのまま日本にも当てはまるように思います。 従って、川崎市に説明会を求めるのではなく、住民と一緒になって問題点を明らかにして方策を決める場の設定を求めるべきです。有識者を入れてもいいでしょう。賛成する市民を入れてもいいでしょう。要はガレキに関する問題点を洗い出し、どのようにすればいいのかということを同じ土俵で考え、議論する場の設定が重要なのです。

田中龍作ジャーナルより引用 http://tanakaryusaku.jp/2012/03/0003908

この点について、「脱原発かわさき市民」の事務局会議を20日、13時半から武蔵小杉の市民会館でもち検討します。リニアーカ―の問題をはじめ課題は多いのですが、やるしかないでしょう。 代表者もなく、事務局もなく、問題を感じた人が率先して呼びかけて活動をする、そこには何の手続き論も出る余地はありません。そんな暇はないのです。これこそがネットワークによる地域活動だと強く感じます。

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