韓国で最も信頼されている季刊誌の発行人である金鐘哲さんの講演内容が、「脱核エネルギー教授の会」から送られてきました。金鐘哲さんは今回の韓国の国政選挙における「緑の党」の進出に協力されており、私もソウルでお会いしましたが、日本の情況に通じておられ、福島事故の背景を正確に理解されたうえで、ドイツやフランス・デンマークなどヨーロッパとの比較をして、韓国はどのような道を歩むべきなのかを講演されています。是非、日本のみなさんにご紹介をしたいと思います。 崔 勝久
福島1年、核のない世界を夢見るー福島、民主主義、想像力
金鐘哲『緑の評論』発行人
この時代を生きていく市民なら必ず覚えなければならない日は福島の事故が起きた3月11日です。福島の事故の影響は、今後 5年、10年、20年後、我が国においても目立つように現れるでしょう。しかしそれよりもっと重要な事実があります。我々は、チェルノブイリや福島の事故のように大規模な事故だけを別途取り上げて記憶しますが、すでにその前から生態系は、放射能に深刻な影響を受け汚染されたという点です。
何よりも第二次大戦後の激しい核開発競争の過程で大気中の核実験が無数に行われています。そしてチェルノブイリや福島の事故のような大規模な事故がおきる前に知らず知らず、重要な核事故が多かったのです。まず、1957年に旧ソ連でウラル核惨事が起こりました。高レベル核廃棄物処理場で核のゴミが核反応を起こして爆発した事件です。当時、ソ連はこの事故を極秘にしていましたが、科学者たちが流出した放射能を認識して世界に知られました。
中国は核兵器を開発するために、西ウイグル族自治区の砂漠地域で核実験をたくさん行いました。それでも、その地域に住んでいるウイグル族に通知しなかったというのです。一部の専門家は、中国が核実験をしたためにシルクロードは放射能にかなり汚染されたと言います。
海も放射能に汚染されました。原子力潜水艦で、たまに事故があります。そして少し前までは、それぞれの国には核廃棄物を海洋に多く捨てていたのです。後に核廃棄物投棄を禁止する国際条約が結ばれたものの、今も海のどこかで核廃棄物が捨てられているかもしれないのです。さらに、福島の事故で、今も太平洋に放射能が流れている状況です。これらの結果は、全世界に影響を与えます。
1 原発と癌発生率は無関係でしょうか?
普段の原発であっても危険であることは同じです。原子力発電所を正常に稼動している間にも、低線量放射線が絶えず出てくるという事実を知らない人が多いようです。高濃度はもちろんのこと、低線量放射線といって安心はできません。低線量放射線を長期的に浴びる方が高濃度の放射能を短時間浴びるより危険だという研究結果もあるのです。
原発周辺に住む人々は絶対安全ではありません。原発の危険性を研究するために、日本の市川貞夫教授は放射能に敏感に反応するムラサキツユクサという花で実験をしました。市川教授は、正常に稼動している原発周辺のムラサキツユクサを植えた結果、突然変異が起こることを確認しました。低線量放射線が生物に影響を与えないという主張は嘘です。
原子力発電所周辺や核実験場付近に異常なほど乳癌の発症率が高いという内容の本もあります。1980年代のアメリカの保健省が発表した資料に基づいて、医療統計学者が疫学的な病気の発症率を統計で検討した結果、米国の3000個の郡では、女性の乳がん発生率が平均よりも2倍を超えました。共通点は、近隣の50マイル以内に原子力発電所があったということです。
科学者たちは、原子力発電所周辺でガンや白血病を発症する確率が高いという問題をいつも提起してきました。そのたびに政府や業界側の科学者は病気と原子力の間の相関関係を否定しました。世界保健機関(WHO)を含め、米国政府が強力な影響力を行使する機関の科学者たちも同じです。放射能の問題が頭の痛い理由は、 「定説」がないからです。定説がないのは、公的機関が放射能の危険性を認めていないことに由来します。
実際に韓国でもソウル大のある医学研究チームが政府の依頼を受け、原子力発電所の労働者と周辺に居住する人々の健康状態を15年にわたって追跡してその結果を昨年12月に発表したことがあります。原子力発電所近隣の住民の甲状腺がんの発症率が対照地域に比べて2.5倍高いというデータが出てきました。それでも結論は、 「これらの結果は、原子力の影響なのか確実なことはわからない。原発周辺に住む人々は、精密検査を頻繁に受けるため、検査による統計上の違いであるかもしれない。今後、さらに研究すべきだ」ということでした。政府側の研究はいつもこのような結論を出すのです。原発周辺住民らが精密検査を頻繁に受けてきたという明確な証拠を提示できないのに、このようにしてしまうのです。
政府や業界は、 「自然にも放射能がある」と言うことでリスクを縮小します。ところで、自然放射線の核種は、人工放射線それとは性格が違うのです。一概には言えませんが、人間の身体は、悠久の進化の過程で、自然放射線に一定の度合いでの適応力を育ててきたと言う科学者もいます。だから、自然放射線の中には私達の体内で濃縮されずにそのまま排出されるというのです。一方、原発で作られるセシウムやプルトニウムなどの放射性元素は、体内に蓄積し、濃縮され、内部被ばくを起こします。それなら、政府や業界では、なぜ放射能の危険性を否定するのでしょうか。危険と認める場合に原子力発電所を建設することができないからです。
もちろん、良心的な科学者もいます。たとえば、イギリスのアリス・スチュワート(Alice Stewart)という科学者は、病院で撮るX線の危険性を発見した結果を発表したが主流の科学者たちにいじめにあって、研究費支給を拒否されました。ところが、現代の科学者たちはお金なしでは研究ができません。ほとんどの科学者たちは政府や業界に協力しかないのです。独立した科学者も稀にありますがそのような人々が行く道は険しいです。お金がないので、完全な研究をするだけの条件を備える難しく、そのために彼らの研究結果は、当然隙がありえます。これにより、御用学者たちは、良心的な科学者たちが出した研究の弱点を問題にし攻撃します。「欠陥のある研究なので参考にする価値がない」というふうに放射能が無害である神話を広めてしまいます。
チェルノブイリの評価も同じです。「原子力マフィア」の圧力を受ける世界保健機関(WHO)で正式にはチェルノブイリの被害者が4000人と発表しました。旧ソ連のゴルバチョフ書記長の保健担当顧問をしていた科学者が中心となって構成された研究チームが2009年に米国で発刊した報告書によると、チェルノブイリ事故で犠牲になった人は98万5000人以上です。このように大きな違いがあります。これが今日の放射能科学の現実なのです。
2 ドイツはどのように原発を廃棄したのか
結局最終的な判断と決定は、市民がしなければなりません。昨年6月、ドイツは国内の原子力発電所を2022年までに段階的に廃止すると決定しました。決定自体も重要ですが、その過程も注目に値します。メルケル首相は17人で構成された倫理委員会を作り、委員会の政治的中立性を保障しました。だから、メルケル首相は、自分と政治的立場が異なる社民党政権時代に環境部長官出身の人物を倫理委員会委員長に任命しました。原発の存廃を分ける重大な問題に政治的な利害関係を介してはならないという「常識」に基づいた決定でした。もし韓国の政治環境でなら、そう厳密な客観性を保ちながら、自分の政治的反対者を委員長に任命することができたでしょううか?
重要なポイントはもう一つあります。倫理委員会の委員17人のうち原子力関係の専攻者は一人もいなかったという点です。宗教家、生命倫理学者、哲学者、市民代表は含まれていても、いわゆる「原子力の専門家」は一人もいなかったのです。ある日本の記者が日本を訪れたドイツの倫理委員に「なぜ専門家を一人も倫理委員会に含めていないか」と尋ねました。彼の答えは、 「電気の生産方式をどうするかの選択は、最終的に生活する市民が決定するというのが、ドイツの常識だからだ」と述べたそうです。結局は、誰が最終的な決定権を持つのかという問題です。ドイツは原発問題の最終的な決定権が官僚や、業者や専門家ではなく、市民たちにあることを明らかにしました。これが民主主義です。
韓国はどのような問題であれ関連業界のいわゆる専門家が決定します。教育問題は、教育の専門家が集まって討論し、決定します。いざ子供を育てる当事者である保護者と子供自身は主体ではなく、部外者なのです。金融問題は、いわゆる経済の専門家たちが集まって決定します。借金をして苦しんでいる人々は発言権を行使しません。要するに韓国社会の根本的な問題は、民主主義の貧困にあるのです。
原子力の問題も、他のすべての問題と同様に、最終的には民主主義の問題です。すべての情報を誠実にかつ公正に提供して国民に判断を任せた場合、原子力発電所は絶対に作られることはありません。民主主義の原則を無視してごり押し論理を展開しながら、原子力発電を開始し、維持し強化することが政界、業界、関連学者たちの論理です。彼らは言います、「専門家があなたたちのために判断します。」
そこで彼らは、公共機関を作って税金をかけてまで「原子力は安全で清潔、国家発展の原動力」と絶えず宣伝します。彼らは普段は、原子力が安全である言葉を繰り返している途中一度事故が起これば、 「放射能はたいしたことはない」と言います。大したことでなければ、なぜ普段の原発が安全だとそのように膨大な費用をかけて宣伝して強調するのでしょうか。矛盾しているにも程があります。
「原発」をめぐる当局の矛盾の例は他にもある。韓国政府は、すでに寿命が尽きた古里原子力発電所1号機の10年の延長稼働を許可しました。寿命の延長が危険だと判断した釜山(プサン)地方弁護士会が稼働中止仮処分申請を出し、裁判所から古里原子力発電所1号機の原子炉の状態のデータを提出するように命じることを要請しました。しかし、韓国水力原子力は「国家機密」という理由で裁判が終わるまで結局資料を出さなかったし、裁判所は、その資料も見ずに釜山地方弁護士会の申し出を棄却しました。「国家機密」という一言に、国民の安全が後ろに押し出されたのです。
このように業界や政府は、重要なデータを公開しません。彼らの主張のように原子力発電所が絶対的に安全ならばそれらの資料をだせない理由があるのでしょうか?原発のどこかに問題があって、資料を出せば、気まずくて批判を受ける可能性があるので、国家機密という言い訳をしてデータを出さないのでしょう。彼らの論理どおりであれば、すべてが国家機密であればどうして民主主義と言うことができるのでしょうか。
最終的に原発問題は、民主主義の問題です。執拗に食い下がる反核市民運動が活発化しておれば、このようなひどい状況まではなってないはずです。ドイツは30年、反核運動を通して脱原発を成し遂げました。結局、原発の将来は市民にかかっているのです。
3 原発がフランスに多く、ドイツに少ない理由
原子力発電所が世界的に多い国を見てみよう。事故が起こった回数で計算すれば、原子力発電所の数と順番が似ています。フランス(58基)ではまだ重大事故が起きなかったのですが、米国(104基)、フランス(58基)、日本(54機)、ロシア(33期)順であり、その次が韓国(21期)です。
原子力発電所を多く保有する国は、概して第2次大戦の戦勝国であり、冷戦時代の主役です。原発の根が核兵器と同じであるためです。米国とソ連は激しい核軍拡競争をしました。それなら、フランスがどうしてそこに入っているのでしょうか。大国主義だからです。フランスには米国、ソ連に劣らず大国を目指す国家主義的感情が根強く、第2次大戦後ドゴールが大統領をしていた時にそんな雰囲気が一層高まりました。それがド・ゴール主義というのです。
不思議なことにドイツは全体の電力生産方式の中、原子力が占める割合はいくらでもないのに、フランスは原発への依存度がおよそ80%に達します。フランスとドイツは、すべて地理的にもヨーロッパの中心にあり、経済や文化的にも似たような条件にあります。一方では、原子力への依存度が低く、もう一方はひどく依存する根本的な理由は、大国主義の有無から始まったと見ることができます。
ドイツはヒトラーの存在が示すように、元は大国主義を標榜する国家でした。しかし、第二次世界大戦で敗北した後に、ドイツ国民は、ドイツがこれ以上軍事的な冒険をしてはいけないという教訓を徹底的に学んだのです。東ドイツのマルクス主義哲学者だったが、エコロジーストロー変身して、1980年代初めにドイツの緑の党の創党の主役となったルドルフ パロはいつかこんな話をしました。どの国でも少年たちがいたずらでしばしば兵隊ごっこをするが、ドイツの少年たちは、戦争の後兵隊ごっこが全くできませんでした。子供たちが杖で遊ぶことさえ絶対に大人たちが許可しなかったからです。このようにドイツでは戦争への抵抗感が徹底していました。
最近も、ドイツでは、ナチナユダヤ人虐殺を追悼する博物館に学生たちが絶えず見学に来て教育を受けて議論する場面をよく見ます。一度だけ訪れていくのではなく、現場で真摯な市民教育、政治学習をするのです。だから子供の時から、ドイツの市民たちは、国民が常に監視しなければ国はいつでも戦争を起こして、弱者を犠牲にするモンスターに変身することができるという事実を歴史から、いつも生き生きと学ぼうとする雰囲気がドイツにはあるといいます。
フランスと違って、ドイツが相対的に原発があまり造られた理由は、まさにそのような平和志向的な感情のためであるようです。原発は基本的に核兵器の原料を生産する工場です。原子炉を稼動しなければ、核兵器の原料であるプルトニウムや兵器級ウランが出てきません。原子力発電の廃棄物が即、核兵器の原料なのです。
韓国でも人口に比べて原子力発電所がこんなに多い理由は、これまで韓国の保守右翼系権力者たちが密かに核兵器製造の可能性を期待していたからだと推測できます。単純に電力を生産し、産業を発展させるため、原子力発電所を建設したとは考えられません。
4 米国はどのように地震の多い日本に原発を移植したのか
日本も同じです。ニュージーランドには地震の危険性があって初めから原子力発電所はありません。ところが、日本は世界で最も地震が頻繁に発生する国です。地震学者たちは、日本の地震が400年周期で活性化されて減速されるといいます。過去400年間では、比較的穏やかな地震活動の時代だったとしたら、これからはその400年が終わって地震活動が激しくなる「大地動乱の時代」に入ったということです。この事実を、地震学者たちは、絶えず警告してきました。これらの警告のために、日本の大都市では、建物の耐震設計を強化してきました。最近では、日本政府も近いうちに東京の近くに、直下型地震(都市のすぐ下で起こる地震<編集者>)が発生するおそれがあると公式に発表しています。地震が起きたら東京の方は阿鼻叫喚になるでしょう。そうなれば、近隣の原子力発電所はもちろん、今やっと安定化作業が進行中の福島発電所は収拾できない状況になるでしょう。それでは、日本はもちろんのこと、東アジア地域は、おそらく地獄になるかもしれません。
日本の人々が狂ったのでなければ、世界で最も地震に脆弱な土地どう54個にもなる原子力発電所を建てたのでしょうか。本当に理解できません。なぜそうしたのか。簡単に言えば、核武装への未練を捨てなかったからです。福島事故以降、日本から降り注がれる資料の中には、これまで日本の政治指導者たちが密かに交わした発言を集めて公開したものがかなりあります。その記録を見れば、日本保守派の政治家たちはいつも、 「米国との原子力協定のために公開的に推進できないが、いつでも核兵器の製造が可能になるよう準備を整えてなければならない」という考えを持っていたのが明らかに表れています。日本では原発の稼働用ににプルトニウムが一年に何十トンを出ると言います。それがすべて核兵器の原料なのです。
原子力発電所が世界的に拡散するきっかけは、1953年12月に開始されました。当時アイゼンハワー米大統領が国連総会で原子力の平和利用を提唱しました。これまで原子力は武器のみ認識されたが、彼は殺傷用の技術を人類の繁栄と平和のために転換しようと提案しました。本当に平和のために原発を導入しようとしたのでしょうか。冷戦体制で、米国がソ連との競争には、核兵器開発に伴う膨大なコストを負わなければならず、そのためには議会の承認を受けて、議会は国民の支持なしには、核兵器開発にかかる莫大な予算に同意できなかったのです
だから、アイゼンハワー大統領はアメリカ国民に原子力が良いという認識を植えなければならなかったのです。当時までアメリカ国民は、広島・長崎の原子爆弾投下以後、核を恐怖の対象としていました。だから、大統領は、国民の核への抵抗感を払拭させるために、原子力発電所というカードを取り出したのです。もう一つの理由もあります。米国は、核兵器製造のための原子炉を作って稼動していましが、それだけでは核兵器の量産システムを満たすには、プルトニウムの生産が非常に不足していました。だから、核兵器の原料を大量確保するためにも、原子力発電所の拡大が必要であったのです。
アイゼンハワーは第二次大戦の英雄でした。そのため、戦争の後、大統領になりました。退任時に彼は「アメリカを支配するのは大統領ではなく、軍産複合体」という有名な言葉を残しました。この言葉はまだこの世界の支配構造を説明する重要な用語として通用しています。資本が軍隊と産業を媒介拡張していく世界の支配構造が構築されたことを米国の大統領が認めたことになります。
そんなアイゼンハワーが就任すると、米国には核兵器が2000個ありました。軍産複合体による支配を本気で心配していたのであれば、彼は核兵器を制御すべきだったのです。人類の将来のために核兵器開発を凍結させることを心配すべきだった。しかし、そうではなく、むしろ逆に行動しました。アイゼンハワー大統領は参謀たちに「核兵器は使っても大丈夫な通常兵器と変わらない」という話をよくしたそうです。英国大使が彼の発言を本国に報告し、英国の首相がアイゼンハワー大統領に電話をかけて自制してくれと言うほどでした。アイゼンハワーは韓国戦争当時、朝鮮半島に核兵器を使おうとした張本人でもあったのです。
アイゼンハワーはさらに一線の指揮官にまで「核兵器発振ボタン」を押す権利を与えた。アイゼンハワーが在任中に米軍兵士数十人が「ボタン」を押す権限を持っていたといいます。ベトナム戦争関連国防機密文書を暴露したダニエル・エルスバーグは、 「アイゼンハワー時代に核戦争が起きなかったのは奇跡」と発言しました。アイゼンハワーには、どんな手段を使っても、ソ連を無力化させる考えしかなかったのです。参謀たちに核爆弾で、ソ連を崩壊させることができるシナリオを書くように求め続けたと言います。彼が退任するときは、就任時より十倍以上の核兵器が積もりました。
アイゼンハワーの「原子力の平和利用」という論理は、原子力技術を同盟国に売って利益を作る枠組みを作 りました(同盟国が無差別的に核兵器を開発することをコントロールしようとした機構が、まさに「国際原子力機関(IAEA)」です)。その主なターゲットは日本でした。日本を攻略すると、原子力を拡散しやすいと判断したのです。日本は唯一の被爆国であり、核技術への抵抗感が最も大きい国です。アイゼンハワーは、被爆国日本が原子力発電システムを受け入れれば、他の国で原子力を拡大することは容易であると計算したのです。
アメリカは大々的な工作をしました。外交官、広報担当者は、情報機関を総動員して、日本人の「核の固定観念」を変えようとしました。その手先になった人が、日本プロ野球の創設者であり、世界最大の発行部数を誇る読売新聞の社主、正力松太郎であったのです。正力は米国側の資金を受けてテレビ放送局も立てました。彼は新聞や放送を利用して大々的に原子力広報に乗り出しました。米国の技術者たちも来て、日本全国を回りながら、原子力博覧会を開きました。「原子力という夢のエネルギーで、人類は大きな慰めと繁栄を享受することができる」という認識が日本国民に広く浸透しました。
その結果、日本の人々はまたしても、米国が主導する原子力システムの手先になる運命になったのです。自発的な技術の導入という形を整えるにはしたが、原爆の犠牲者である日本国民が最終的には、福島事態が示すように、原子力発電システムの最大の犠牲者となる悲劇がこの時始まったのです。実は日本は第二次大戦後の外交的にはほとんどアメリカの属国と同じでした。結局、日本の自主性の喪失、民主主義の貧困が過大な原発導入の原因になったといえるでしょう。
日本国民は、一方的な宣伝に騙されて、原子力技術を良いものを受け入れました。さらに原爆被害者たちでさえ、原子力発電所は良いことだと思えるほどだったのです。内容をある程度知っている専門家たちは、多勢に押されて適切に声を出せませんでした。その結果、 "原子力マフィア"ができて、政官界、産業界、学界、言論界で構成されるこれらの利害関係が結合され、日本の原子力システムが確固たるものになったのです。
韓国も事情は同じでした。ジョ・ボンアム先生が率いた旧進歩党の綱領を見ると、原子力礼賛が数ページにわたって出てきます。それだけ無邪気な時代だったのです。 1959年にソウル大学に原子力工学科が誕生すると、全国の秀才が集まりました。核廃棄物処理の問題は考えてもおらず、考えをしたとしても近いうちに解決策が出てくると素直に楽観的であったに違いありません。そうするうちにここまで来たのです。
世界的に1970年代に原子力発電所がたくさん広がりましたが、オイルショックのときでした。しかし、1979年のスリーマイル島原発事故、1986年のチェルノブイリ事故後に原発建設は停滞し、20年後、再び原子力産業が復興する兆しを見せて福島の事故が起きました。
原発の歴史は第二次大戦後の世界の先進工業国が歩んできた民主主義の歴史を照らしてくれる鏡であるといえます。どの国がどのように真の民主主義社会なのかは、原子力に関する対応を見れば知ることができます。その点、アメリカも日本も決して民主主義国家とはいえません。原発を拡大してきた国の歴史は、一言で言えば国民を欺瞞してきた歴史です。チェルノブイリ事故もソ連が非民主的な国であるという事実と直結した問題でした。今、世界で核問題に対して大きく憂慮して発言をしている代表的な人物がゴルバチョフです。そのゴルバチョフがソ連の最高権力者でありながら、時間がしばらく経った後、チェルノブイリ事故に関する報告を受けたといいます。ソ連が滅びたのもチェルノブイリ事故の影響で見なければならないという見解もあるほどです。原子力は、すべての点で民主主義の敵なのです。。
5 デンマークはどのように原発を拒否したのか
このような点で、デンマークの例は注目に値すします。デンマークには原子力発電所がありません。デンマークのも先進国であり、石油資源がなく、オイルショックを経験しました。当然原発を建設したい誘惑を受けたはずです。デンマークにも原発を導入しようという人が多かったのですから。デンマークはこの問題をどのように処理したのでしょうか。デンマークには原子力や遺伝子組み換え食品のような科学技術に関連する重要な国家政策を決定する際に、 「市民合意会議」を開く伝統があります。平凡な市民同が集まって、両方の専門家を招いて十分に賛否の意見を聞き、市民たちが最終的な決定を下す仕組みです。言ってみれば、直接民主主義的参加の政治です。
このようになれば、市民の見識が高くなり、成熟されます。それは健康な社会になる基本的な条件なのです。原子力を導入するかどうかをめぐり激しい議論をしながら、デンマーク市民は 「電気を豊富に使うことが、人間が自由で幸せに生きることとどんな関係があるのか?」という哲学的な問題まで議論をしました。全国規模の市民合意会議の討論の末、彼らは 「我々は、豊かな社会が、必ず電源を豊富に使う社会とは思わない。原子力は、長所があるが危険廃棄物処理が困難である欠点がある。他のエネルギー源を開発しよう。足りなければ、我々は質素に暮らせばすみことだ。 」との結論を下したのです。
実際に原子力問題に関する限り、一番望ましい社会はデンマークです。市民がそのため、国会議員が業界と癒着してもむやみに原発を導入できません。ドイツはすでに原発を建てたからそう理想的な状態とは限りません。しかし犯した間違いを反省するということも見習うべき態度です。結局、原子力の問題は、民主主義に帰結します。
韓国はどうか。形式的に汝矣島の国会議事堂をひとつ作っておいて4年ごとに投票しても、民主主義が自動的に行われるわけではありません。これでは事実上の権力独占のシステムを免れられません。我が国では政治はいわゆるエリートの専有物です。いつもその顔がその顔だ。現在の政治システムで良心的な人々がどのように選挙に出て選挙運動することができますか?お金と組織に頼らなければ絶対できません。
代議民主主義は欠陥が多くあります。欠陥の多い代議民主主義を実質的な民主主義にするためには、いくつかの付随的な補完装置が必要です。まず、市民がデモをたくさんする必要があり、デモが当局の許可事項になってはなりません。第二に、国民投票や住民投票、そして任期中にも選出された者をやめさせる召還制度が活発に行われなければなりません。第三に、市民が自分の意見を自主的に表現して仲間の市民たちと論議するための通路が必要です。つまり、熟議民主主義が用意されなければならないのです。このようにいくつかの要因が相互作用することにより、民主主義社会は、健康に保たれて育つことができます。
6 原発の多いフランスより韓国が危険な理由
"民主主義の成熟"という観点から原子力発電所問題を眺めてみましょう。今、韓国よりもフランスの原発が多いのですが、今後いつか重大事故が起こるとしたら、それは、フランスよりは韓国になる可能性が高いでしょう。なぜなら、フランスは、安全の問題にとても気を使って、同時に市民が原子力の安全問題に監視、関与することができるシステムを備えているからです
。
フランスには現在、 "環境リスクコミュニケーション"という制度があります。政府、官僚、企業、科学者、メディア、一般市民が共同で参加して、関連する問題についての情報を共有し、相互理解を深める制度です。利益集団や専門家だけの参加では狭い視野に閉じ込めらるので、特別な利害関係のない一般市民の参加を不可欠なものと認めているシステムです。情報の公開と透明性は、原子力問題における絶対的に重要です。それをフランスでは、実践しています。このような合理的な原子力発電所の管理をしているという点で、フランスで事故が起こる確率が韓国より低いといいことなのです。
福島の事故同様の規模の事故がもし韓国で起こったばあいどうでしょうか?想像することさえできません。皆さんは韓国の原子力発電所が100%安心できるように徹底的に管理されていると思いますか?日本は地震のために事故が起こりましたが、スリーマイル島やチェルノブイリでは、それぞれ別の理由で事故が起こりました。これからどこかで事故が起こったら、まったく別の原因で事故が起こるでしょう。もし韓国の原発で重大事故が起こったら、その日に、この国はお終いになるでしょう。
7 原発を閉鎖したらエネルギーは大混乱するのでしょうか
原発推進論者は、韓国で原発の稼働を中断すると、エネルギーの大混乱が起こるといつも脅します。ところが面白いのは原発の稼働を中断することにしたドイツは、ヨーロッパを席巻しているこの冬の寒波にもびくともせずに過ごしたが、原発への依存率が80%に達するフランスのは、むしろドイツからの電気を輸入して使っているという点です。ドイツは現在、原子力発電所の半分も稼動していないのに、むしろ消費電力が余りむしろフランスに輸出をしています。フランスがこのようになったのは、無駄な電力が構造化され、生活化されているからです。フランスでは、家庭の暖房にも電気を使います。暖房を電気でするのは、最も非効率的なシステムなのです。韓国にも最近は電気暖房機があまりにも多く使用されています。それでもこの現象を改善する意志がありません。豊富な電力生産よりももっと重要なのは、節制された電力使用なのです。
日本は現在、全体の54機の原発のうち、2つだけ稼動しています。今年4月からは、その2基も定期検査に入り、稼働停止されます。日本の原発が100%止まるというわけです。そんな状況なのに、日本で電力の大混乱が起きたというニュースはありません。もちろん、油と天然ガスは、例年よりも多く仕入れて火力発電所も以前より多くなってきました。しかし、これまで政府関係者がしつこく主張してきたように 「原子力なければすぐに真っ暗になる世界」は来なかったのです。
今は、日本の人々のうち、70%以上が 「原子力発電所なしで暮らしたい」と答えたと言います。昨年3ー6月までは、世論調査をすると、 「それでも原子力発電所に戻るべきだ」という答えが多かったそうです。そう大きな事故が起きた後もしばらく世論はそのままでした。政府と業界のスポークスマンの役割をしてきた主流メディアが常に原子力に関する誤った情報を提供してきたからです。原発の稼働が中断され、今では日本でも原子力なしに住むことができるという認識が広く拡散しています。
8 原子力の代替は、有機農
福島事故直後の最初の犠牲者は、近隣の有機農業をしていた70代の農夫でした。その農夫は一生努力して培った農業基盤が一瞬に破壊されてしまった現実の前に絶望して自殺ました。原子力事故の最初の犠牲者が他の人ではなく、農民であるという事実は極めて象徴的です。農民は、人間の生活の基盤中の基盤を守る人です。原子力は、この土台を根本的に破壊する、生命の敵であるという事実を福島の、古い農家が自分の死で証言したのです。
最近よく人々は、原子力の代替として再生可能エネルギーについて述べます。しかし、私は原子力の代替は、再生可能エネルギーではなく、 「有機農業」と言いたいのです。そう考えなければ、原子力問題の本質をきちんと見られず、核のない世界が果たしてどのような世界であるのか、正しく想像することはできません。
再生可能エネルギーが間違っているのではありません。しかし、原子力システムの代わりに、再生可能エネルギーと言えば、それだけで電力生産方式の転換さえなされればいいというレベルで思考が停滞します。そして再生可能エネルギーであれば、電気をいくらでも無尽蔵に使ってもよいという話になりやすいです。重要なのは根源的な問いです。つまり、エネルギーが豊かな生活が果たして良い生き方かどうかです。
原子力の問題は安全性だけでなく、より深刻な問題、すなわち、人間の差別という問題を構造的に内包しています。原発は、弱者を絶えず犠牲にせずには維持できないシステムなのです。原発の危険区域内に入って働かなければならない現場の労働者がその代表例です。原発は普段にも、常に人間の手が必要な数多くの機械装置であるため、誰かが被ばくを覚悟して入って働かなければなりません。ところが、その労働者たちは通常、正規職もなく、下請け、孫下請けを数段階も経た路上生活者です。世の中に誰が自ら進んでそんな危険な地域で、刻々と恐怖を感じて重い装具を着用したまま手に負えない労働をしようとするでしょうか。食べていくための最後の手段としてそのような労働をせざるを得ない弱者なしには、原子力発電所は回らないのです。
福島事故現場では今も多くの原発労働者が交代させられています。しかし労働者の出入りや被ばく量をチェックする管理台帳はめちゃくちゃだという話が聞こえてきます。おそらく意図的なのかもしれません。法的制限レベル以上に放射能被爆がないように労働者の身分と被ばくの状態を徹底的に点検すれば大量に必要な労働者の確保が不可能だからです。さらに、最近ではヤクザが街をさまよう人々やホームレスを半強制的に連れて来て、原発の研修会に投入しているという話も出てきました。容認できない非人間的なものが原発を巡って起こっています。
労働者も労働者ですが、原子力発電所の近隣住民はいつも不安と恐怖の中で過ごさざるをえません。事故が起きなくても普段でも、低線量放射線が漏れているのが原子力発電所です。その結果、土壌も水も、長期的には汚染され、その後、それが農作物や食べ物にも影響を及ぼし、最終的に被害はすべての人に移るでしょう。もちろん、すぐに直接的な被害を受ける人は、地元の人 - 農民と漁民です。
問題は、弱者の犠牲を必要とせず、人々が安心と平和のうちに子供を産み育てることができる社会を作ることです。再生可能エネルギーを通し、豊かな電力を使う社会ではなく、人間的に納得できる社会を作ろうということが、原発に反対する最も重要な動機にならなくてはなりません。だから、私は原子力の代替は、再生可能エネルギーではなく、有機農と言いたいのです。
実際に私がそう考えるようになったのは私が尊敬するある人の影響です。槌田劭という方だが、元京都大学金属工学科教授でした。槌田劭先生は、1970年代初めのオイルショックの現象を経験しながら、 「石油だけでなく、地下資源がすべて最終的には、再生不可能な物質である。このようなものに基づいて維持されている産業社会は、近い将来崩壊するしかない」という結論に達しました。彼はそれで金属工学教授職を辞任し、市内に出てきて 「使い捨ての時代を考える会」という市民団体を作ります。
産業社会というのも結局、人も材料も絶えず使いものになる間はある間は使って捨ててしまい、無駄を強要するシステムであるということに注目したのです。だから、最初しばらくの間は、実際に市内を歩いて缶、ビニール袋、トイレットペーパーを収集する仕事をしたそうです。そして会員を募集して都市と農村の農産物直取引の運動を始めました。槌田先生を私はソウルでお会いしたことがあるのですが、自分は学校での研究生活をする時よりも近所のおばさん、おばあちゃんたちと交わって菜園を作って、豆を収穫して、味噌を使って味噌汁を作る時が一番面白く 、そのような生活に真の自由と幸福を感じるとおっしゃってました。彼の考えでは、原子力を許すことができない最も重要な理由は、その体制が共生の原理を否定する産業社会の頂点にある技術だからです。槌田先生のこのような見解にヒントを受けて私は、原子力の代案は有機農という考えをするようになりました。
有機農は、土地を世話して大切にすることを何よりも大切にしている農民たちが農民共同体という基盤の上で行う共生農法である。したがって、有機を適切にするには、自然の理を尊重し、調和のとれた人間関係を重視するしかありません。排他的な競争原理は、産業農の原理であって決して有機農の原理になることがありません。槌田先生は、人と一緒に平和に暮らすには何よりも自分を立てずに、質素に暮らさなければならないということを強調します。それを彼は共生共貧という言葉で要約しています。
共生共貧というのは考えてみると、非常に意味深長な言葉だ。それは共同体的協働生活に基づいた自立と自治を通って平和に生きてきた農民共同体の長年の知恵に根ざしている概念です。それは排他的な競争論理である 「富国強兵」の反対語であると言えます。そんな点でいつも国益を掲げて富国強兵を言いながら、社会的弱者と自然を収奪、搾取してきた国 - 資本の論理と農民生活の原理は、本質的に相克するしかないのです。
原子力システムは、国と結合された資本家、そしてそれに忠節な御用学者、御用マスコミ、ありとあらゆる既得権で構成され、強大な権力体制の主要な構成部分です。このシステムは、基本的に民主主義を否定し、社会的弱者と自然を犠牲にせずには、一日も耐えられない非人間的なシステムなのです。これに対抗するための力はもちろん、市民たちにかかっています。しかし、より根源的な次元では、非人間的な体制を超えることができる真の選択肢は、有機農に表象されている自立、自治、分権的生活の広範囲な回復以外はないということを我々は深く認識する必要があります。
Pressian主催講演より(2012 年3月11日)
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=30120309200753§ion=02
(翻訳:崔 勝久)
3・11以来たくさんの記事を読んできましたが、これほどに原発のバックグラウンドと歴史を描写してくださったかたは初めてです。韓国の民主主義は日本のそれよりも進んでいます。日本ではこれだけの真実をいう勇気がある人はいません。
返信削除ありがとうございます。
今朝このコメントを読み、飛び上がり喜びました(笑)。
返信削除金鐘哲さんはまだ日本で一度も講演をされたことがないと聞きました。
私は彼とソウルで一杯やりながら、ほぼ同年輩の親しみもあり、
是非一度、お呼びしたいと思っていました。
「脱核エネルギー教授の会」の李元榮さんのメールで紹介された金鐘哲
さんの講演録を読み、是非、日本の人に紹介したいとブログに載せました。
よき読者にめぐり逢い、今日は幸せな気持ちですね(笑)。
叡智に満ちたメッセージ、翻訳してくださってありがとうございます。ひとつひとつに頷いながら拝読しました。周囲にも紹介したいと思います。
返信削除本当に素晴らしい、人間のあるべき姿を示していると感心しながら読ませてもらいました。一人でも多くの人が理解すれば世の中きっと良くなると思います。
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