2012年2月11日土曜日

「さようなら原発 1000万人アクション」に参加して

2月11日、東京代々木公園で行われたデモに参加しました。私たちは「脱原発かわさき市民」の旗を立て、川崎の仲間と代々木公園での集会に参加してデモ行進をし、千駄ヶ谷で流れ解散をしました。

呼びかけ人は内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔で、実際の出席者は3人でした。全体の参加者は1-1.5万人というところでしょうか。鎌田さんは同時刻、新潟での集会に参加しているとのことでした。野外の会場はいずれにしても寒く、ロックバンドがあり、福島の人たちのアピールがあり、山本太郎の話がありでした。

やはりしっかりと書いたものを読みながら話したのは大江健三郎でした。昨年の明治公園での5万人集会ではマイクの調子がよくなく、メモを見ながら話す大江の印象はもっと話し言葉で大きな声で話せよと言いたくなるようなものでしたが、今日は、きっちりと聴かせました。原発に抵抗する倫理こそ、最も貴重なものという主題でじっくりと話し、聴衆からは拍車が上がっていました。

落合恵子は、会場で話すのに慣れ普通の話し方ができなくなったと笑わせながら、Never, never,never・・give up,give up, give up・・・を連呼していましたが、自分でも触れていましたが、その言葉はアジテーションというよりは自分に語りかけているように聞こえました。



会場で出会ったのが小熊英二さんでした。かわいいピンクの服を着たお嬢さんの手を握りながら私の前を通られたので挨拶をしましたが、会釈を返して前の方に行かれました。心なしかお疲れのご様子で心配したのですが、デモ行進に入り私たちが野外場から出ようとしたときお嬢さんを肩車にして、デモ隊の打楽器に合わせて笑顔で隊列のところにいるところをたまたま目撃しました。そこにはデモ隊の性格を分析的に話された一橋大での印象ではなく、お嬢さんと本当に楽しくデモに溶け込んでいる様子でした。こんな小さな時からお父さんに肩車をしてもらいながら原発反対のデモに参加したら、この娘はどんな感性をもつのかな、小熊さんもなにかお考えがあって連れて来られているんだろうなと、自分の子供たちが小さな時のことを思い出しました。

そう言えば私の長男はまだ乳飲み子の時、日立闘争の名古屋での出張裁判があり、夫婦で参加し、その子を裁判所の通路のところに寝かせて傍聴したことがありました。あれっ、あのときなんで通路に寝かせたのかな? とふと思い出したのです。私の子供は息子二人、娘一人でもう3人とも35歳を過ぎたのですが、彼らは私がデモに出ることを不思議に思わないでしょうが、恐らく自分から参加しようとしないかもしれません。と言っても二人は海外ですが。しかし日本にいる息子も、自分の二人の子供を育てるのに、放射能の数値が高いと言って購入したガーガーカウンターで計り、心配で松戸から出て行ったそうです。山本太郎と共演し、韓国で撮影をしたことのある俳優です。

東京近辺で自分の小さな子供が放射能でどんな影響を受けるのか心配し、毎日ガーガーカウンターで計測しながら生活をし引っ越しするとは、なんと嫌な世の中なんでしょう。彼らが気の毒です。ましてや福島のお母さんたちはそこを離れても、そこに留まっていてもいてもどんな気持ちでしょう、怒りと心配で毎日を過ごさなくてはならないとは本当に嫌な世の中になりました。原発を廃炉にする、そして決して使用済み核燃料や原発を輸出させない、私は深く頷きながらデモ行進を続けました。

シュプレヒコール、「さようなら原発 こどもをたちを守ろう!」「さようなら原発 海・空・大地を守ろ!う」「さようなら原発 再稼働をさせるな!」

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