2012年2月12日日曜日

イエスに捕われー1000万人署名を終えて

「脱原発かわさき市民」は、昨年東京のデモで知り合った市民が集まり、自然発生的にできた集まりです。大江健三郎たちの呼びかけに応じて私たちは1000万人署名に参加してきました。30回以上にわたる街頭署名で6500筆が集まりました。

今日は川崎駅での最後の署名活動で、2時から4時までの2時間、10名で150名の人が署名に協力してくれました。無関心を装い、「脱原発の署名にご協力ください」と話しかけても素知らぬ顔をして通り過ぎていく人が多い中で、署名に応じ、頑張ってねと声をかけてくれる人から私たちは勇気をもらい寒い中での署名活動を続けました。

山本太郎は昨年の明治公園での5万人のデモの時、署名活動やデモに意味があるのか、もっと地元の議員に働きかけようとステージから話しました。地元議員に働きかけたら何か事態が変わるのか? 確かに安保の時はあれだけの人が殺されるまでのデモをやっても何も変わりませんでした。第五福竜丸のときは、3000万人の署名があっても、核兵器は作り続けられ、原発体制は強化されました。原発体制を作ってきた自民党が民主党に代わっても原発をなくす、輸出はしないという宣言はなされないでいます。要するに何も変わっていないのです。

まさに戦後の原発体制はどのように国民が反対しようが、何も変わらなかったかのように見えます。何一つ、いいようになっていない、かのようです。しかしそうでしょうか。私は、例えばこの「脱原発かわさき市民」ひとつとっても、代表者はいない、事務所はない、しかし必要に応じて誰かが呼びかければそれに応えて誰かが一緒に動くという市民の動きからこれまでにない可能性を感じるのです。

今ここから、街頭署名活動だけでなく、瓦礫の問題、災害対策の問題、放射能汚染の問題、リニアカーの問題に取り組み、福島の子供を預かるプロジェクトを立ち上げた人が出てきています。それらの学習会が始まり、MLでの活発な意見が交わされるようになりました。いかなる党派から指導されるというのではなく、自分の考えで否を言い、自分の考えで行動しようとする人がでてきているのです。それどころか、3月11日には川崎で初めて、脱原発一点で一致するのであれば党派を超えてデモをしようという動きになってきました。

これは実は日本社会ではできなかったことです。共産党はつい最近まで原子力の平和利用を唱えてきました。そしていわゆる「新左翼」の洗礼を受けた人と一緒に行動を共にすることはなかったのです。それに私のような、
これまで日本社会の民族差別の問題を取り上げてきた外国籍住民も一緒になって動き始めたのです。

この小さな動きの中に何をみなさんは感じられますか。私はクリスチャンで2000年前にあの中近東の僻地で殺されたイエスという人に捕えられ、自分もそのように生きることを求められ、それを生きがいにすることを決断した者です。とんでもない誇大妄想、そして何もできずに、黙ってローマの権力からそしてそれと結託する「同胞」の権力者から殺されていった人物です。私もそのように死んでいきたい、いや、そのように殺されるような生き方をしていきたい、そうであれば、現状を悲観している暇はないのです。私にそのような時間は残されていません。

ここから、この現状からみんなで勇気づけあって歩むしか道は残されていません。

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