私たちは過去を回顧しているのではありません。
日立闘争はなんであったのか、それはいつもその時点における闘いの意味を探ることです。日立に入社して40年を過ごした彼は、「続日立闘争」として、モノを言わせぬ会社と組合のあり方を問題にしてきました。その孤独の闘いは、今、原発問題を前にして何も反対の声をだすことができない、原発のある地域での闘いと重なります。 崔 勝久
「日立闘争」元原告朴鐘碩さん定年退職…仙谷議員も慰労にー民団新聞(1・18)
「画期的、歴史に残る裁判」
【神奈川】日立就職差別裁判の元原告、朴鐘碩さん(60、写真)の定年退職を祝い、当時の支援者らが6日、川崎市川崎区のコミュニティハウス「さくら」でシンポジウム「日立闘争の意味を問う」を開いた。
主催者は内輪の勉強会として参加者を20人と予定していたが、最終的には40人となった。弁護団の一員として日立闘争に関わった国会議員で元官房長官の仙谷由人さんが駆けつけるという「ハプニング」もあった。
仙谷議員は当時25歳。弁護士として初めて担当した裁判だったという。仙谷議員は「歴史的に大きな意味のある裁判だった。よく定年まで頑張った。何かを成し遂げたということは、必ず日本の歴史や在日韓国人の歴史に、画期的なこととして残ると思う」と述べ、固い握手で朴さんの労をねぎらった。
朴さんは昨年11月、22歳で入社した日立ソフトウエア戸塚工場を退職した。過去38年間を振り返りながら、「日立闘争は民族や人権について多くを学んだ私の人生の大学だった」と感慨深げ。この後、横浜国立大学の加藤千香子教授(日本近代史)らを交えたパネル討論もあった。
祝う会は日立闘争支援の中心的な存在だった崔勝久さん(66)=新しい川崎をつくる市民の会事務局=が企画。近隣の中華料理店を貸し切っての2次会には70人が参加し、これまでの朴さんの孤独な闘いを称えた。
(2012.1.18 民団新聞)
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