2011年12月6日火曜日

市民主体のまちづくりを目指す高松市の動きについてー Et tu,Brute?

友人から「市民主体のまちづくり 高松市自治基本条例」というパンフが送られてきました。「ウム、どうしてか?」思いましたが、私が外国人住民として地域社会のあり方を模索していることを知っているので、参考になればと思って送ってくれたのだと思い読み始めました。

高松市は平成21年12月の市議会において、高松市自治基本条例を可決しました。前文では、「すべての人に基本的人権が保障され」ることを謳い、「市民、議会、行政が適切な役割分担の下、多様な協力関係を構築し、参画と協働のまちづくりを進めていくことが必要です。」とあり、その趣旨は明快です。

「市民、議会、行政の役割と責務」(第6条~第13条)では、「市政および地域のまちづくりに参画する権利」を「市民」に認めます。その「市民」の定義は、「高松市に住居を有する個人だけではなく、通勤・通学する個人や、市内で事業を行う個人またはその他の団体」とのことで、外国人を含んでいると解釈できますが、しかしそれは川崎市の基本自治条例でも同じことです。問題は、川崎市が「外国人市民」という概念を別途持ち出したことです。

類似点は、高松市の特徴は自治基本条例で「地域コミュニティ協議会」(第23条)を、川崎市は「区民会議」を設置している点です。前者は小学校区にひとつ、後者は区にひとつ設置され、前者の方が実際の身の回りの具体的なイベントなどに関わっているような印象をもちます。川崎の「区民会議」は市民でその存在を知っているのは4割以下であり、市議との関係も不明、権限に関しても不明で、形骸化しているということが明らかにされてきています。これは当初から設立に関わってきた市民の切実な声です。前回の市長選では民主党候補は「区民議会」という概念をもちだしましたが、「区民会議」と「区民議会」の違いは明確ではありません。自公民共の既成政党は学習会を通して2年後の市長選に備えているというようには見えませんが、2年後の市長ではどうなるでしょうか。もう準備しておかなければ遅いのでは、と思いますが。

いずれしても小学校区ということでは、名古屋は「地方委員会」を設置して日本で一番進んでいる住民自治を看板にして、小学校区に年間1億円の予算を与え、自分たちで使いみちを決めるということにしたのですが、一番の問題は、その委員の選出に際して外国人住民の選挙権・被選挙を認めず国籍条項を設定したことです。この点、パンフだけでは正確にはわかりませんが、「すべての人の基本的人権の保障」を謳っており、地域で活動をする各種団体・市民団体と自治会、そのいずれにも属しない人を含めた高松市の「地域コミュニティ協議会」は、すくなくとも外国人を排除することなく民主的な運営を志し、透明性が高いように感じます。川崎の「区民会議」は市民の権限が定かでなく、行政側が最終的に運営している感が強いです。

これまで多くの識者が川崎が外国人施策で日本で最も進んでいると報道する新聞やマスコミなどの紙媒体で知ったことを鵜呑みにして、実態調査を怠り、批判者に対する情報収集をしてこなかったことで、「共生社会」を実態があるものと思い込んでいた問題点を知る私は、高松市の動きに関しては好意的な印書をもちながらも、アメリカのポートランド市のような強い感動と印象をもちませんでした(中村剛次郎『地域政治経済学』参照)。

私はパンフに電話番号があった高松市市民政策部企画課」に電話をして一点だけを尋ねました。外国人住民施策です。回答は、同じ市民なので一切の差別はありません、だから外国人のことには触れていないのです(なるほど)。市民を行政・議会とフラットな関係と捉え、市民主体のまちづくりにしようとしていることに私は賛同しているということを説明しながら、それでは、外国人職員はどうですかと尋ねたら、応えられなくて、後で人事課から電話が来ました。

人事課曰く、国籍条項は撤廃して外国人も職員になれます、門戸は解放しています(なるほど)。(私)では、採用された外国人職員は、課長職に就けていかなる職務にも就けるのですね、(人事課)いや、それは、税の徴収とか、市民に命令する職務には就けません(なーんだ、川崎と同じか)という返事でした。(私)それは職員が法に基づいて業務を執行すいるということで、国籍でやれる人とやってはいけない人を分けるのは問題ではないですか。市民主体のまちづくりを志す高松市は、政府見解の「当然の法理」に縛られていて、それを乗り越え、これまでどこにもなかった「開かれた街」を作ろうというところまは行っていないということですね、首長がやろうと思えばできることで、中央の制約なんかないのではないですか、(人事課)いやいや、他の自治体と話し合わなければなりませんから、(私)それは横並びということですね、高松市は独自で市民主体のまちづくりを心掛けてきたんではなかったのですか、(人事課)それは私一人の意見としては何とも申し上げられないので上司と相談してご連絡さしあげます、しかしご期待に沿えるとは限りませんので・・・(私)結論だけ通達されても意味はないので、その議論の経過を教えてください。必要でしたら、いつで伺いますよ、という話になりました。

ということです。やはり「市民主体のまちづくり」を謳うところでも、フラットな市民を強調しながらも、それを支える行政のところでは採用した職員を国籍によって差別待遇するということが平然と行われているということでした。私は別に高松市を批判しているのではなく、せっかくここまで来たんだからもうちょっと頑張ればいいじゃないの、と彼には言いたかったんですが、伝わったのでしょうか。

市民の基本的権利には、地方公務員に就職する権利も含まれており、高松に住む外国籍市民が市役所に勤めてそのような差別にあうことは、自治基本法令の基本精神に反しているということがわかりませんか、私はのど元まででかかった言葉を呑み込みました。Et tu,Brute?

0 件のコメント:

コメントを投稿